名前 |
流行神の祠 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
県道の向こう側には,勝倉小学校への進入道。
こちら側は陸上自衛隊の敷地のフェンスが続くが,なぜかちょっとだけフェンスが凹んだ,県道脇の一角(雑草とタンポポが咲き誇っていました)に,小祠があります。
元々は,勝倉小学校正門前にあって,そこから石棺と骨壺見つかり,霊験あらたかという評判となって流行神として参詣人多く,この小祠が建てられたそうですが,日立工機・自衛隊の建設のため,現在地へ移されたそうです。
また,小祠のすぐ隣にお地蔵様がありますが,こちらは平安時代(1141年)に陰西上人が武田溜(一本松溜とも呼ばれた)のほとりに建てた照道寺に,インドから持ち帰った松の実を蒔いたところ,後に見事な一本松となり,傍らに上人が描いた仏画を元に地蔵菩薩を建立したそうですが,これもまた,この地に移されたとのことです。
松の葉は、普通は2~5本の束状ですが,不思議にこの松の葉は1本のみと不思議だったことから「勝倉の一本松」として知られました。
しかし,明治30(1898)年8月28日午後3時過ぎに,突然大音響と共に倒壊し,樹齢757年,稀代の銘木の生涯は閉じてしまったとのことです。
さて,徳川光圀の寺院整理政策によって照道寺は廃寺となり,今となっては,武田溜のあたりの地図(今は自衛隊敷地で入ることは出来ません)を見ながら,照道寺はどのあたりにあったのか,一本松は?時を遡って戦国時代はその辺りが武田館の本丸だったのかな?などといろいろ考えつつ...