2の鳥居と進むと楼門が有りその先に大社造りの本殿が...
那須神社(金丸八幡宮) / / / .
道の駅おおたわらの隣に鎮座されております。
平らであまり長くない、でもきれいで趣のある参道を進むと派手な門があり奥には歴史を感じる本殿があります。
時間が遅かったので社務所が閉まってました。
再チャレンジです。
重要文化財に指定されている江戸初期の本殿と色彩も艶やかな楼門があり狛犬も立派です。
参道の杉並木もまるで森の様に鬱蒼としていて神聖な感じがします。
道の駅 那須与一の郷が隣接している八幡宮で、那須与一が屋島の戦いで扇の的を射た時に誓った神社が此方です。
道の駅の隣にあるので、道の駅に行ったついでに、寄ってみました。
歴史のある建物だと思われますが、雑草は延び放題、建物の老朽化もあり、荒れ放題です。
御朱印が欲しかったのですが、隣の部屋に人を呼びに行く気にならず、諦めました。
1の鳥居から真っ直ぐに参道が延びて、建物事態も歴史があり、もっと色々遣りようがあると思います。
とにかく、もったいないと思ってしまったのは私だけでしょうか?
道の駅那須与一の郷で休憩し、ユキ🐩の散歩をしてる途中で気づき参詣しました。
前情報も調べてなく期待してなかっただけに、一之鳥居から続く参道に歴史を感じ、また桜が良い感じで参道に色を与えてて、何だか穏やかな気持ちになりました😊。
応神天皇を祀る八幡宮です✨。
特に煌びやかであったり、豪華であったりとかそういうのではないのですが、神秘的な雰囲気を感じる事のできる神社です。
2023年から2033年の十年間掛けて大改修の予定です。
現状より綺麗になります。
2023年に改修工事に入るとのこと、その前にと思い伺い御朱印とお守りを頂きました、とても綺麗な門 一度伺ってみてはいかがですか。
直線で距離のある参道には 心がワクワクしました。
道の駅に車を停めて 一の鳥居から 杉並木を歩き風が気持ちがいい。
力強い狛犬 カラフルな楼門 太鼓橋 とても素敵な神社です。
少々粗さはを感じますが 何か 何でしょ 本殿奥から何かが伝わってくる神社です。
菊が綺麗に手入れされていました。
きっと咲いたら綺麗にです。
歴史の感じられる神社です。
もう少し清掃に気遣えばよいと思います。
目の前の道の駅が繁盛しているのでもう少し多くの方に見ていただければとおもいます。
大田原市南金丸に鎮座します。
御祭神は応神天皇。
由緒書には仁徳天皇(313~399)時代の創立とありますので、相当古い歴史がありますね。
本殿と楼門は中世と近世の特徴を併せ持つ神社建築として高い評価を得ており、国の重要文化財に指定されています。
有り難く、”金丸八幡宮 那須神社”の御朱印を頂きました。
境内も広く建物も重厚素晴らしいですが、保守管理があまり良くありません。
一部崩れ落ちている所も有りました。
与一さん泣いていますよ。
氏子の方がた役所の協力を得て何とかなりませんかね。
説明を読むと松尾芭蕉も訪れた、たいそう歴史ある建物だそうで、国の指定文化財でもあるのに殆ど手入れもされず観光客が誰もいない状態…。
とても勿体ないと思いました。
空気も神々しくいい場所なのに。
地元の受験生の合格祈願絵馬がたくさんありました。
本社は仁徳天皇の御代下野国国家鎮護とし本地に金瓊を埋め塚を築き祠を乙祠のが始めで坂上田村麿東夷征討の時、この地に応神天皇勧請(金丸八幡宮と号し奉った。
)その後那須氏の氏神となり那須与一宗隆が扇の的を射る時、当社八幡大神、温泉大社を中心に念じ名声天下に博したので土佐杉で社殿を再建し、その後、黒羽城主大関氏の代々の氏神となり、明治六年に那須神社と改称した。
八幡神社のため鶴岡八幡宮と同じく、八の字が鳩の形をしていました。
鳩サブレはないか?
奥の細道 第8の段「黒羽」の”八幡宮を詣づ”はこの神社とおもわれる。
正式名称は、那須総社金丸八幡宮那須神社といい、知る限り御神祭は応神天皇(八幡菩薩)である。
芭蕉がこの地を訪れた当時の領主は大関家で、戦国時代は那須家の主要家臣いわゆる那須7騎の1騎であった。
(奥の細道でこの地を訪れたのは大関家家老で城代<館代>の浄坊寺図書が俳句の門下であったためである。
)那須家は、秀吉の北条攻めの遅参を責められ、改易されるが、大関家、大田原家は遅れず参陣し、領土を安堵される。
そもそも那須家は藤原北家の末裔で、奥の細道で書かれる「与市」はよく知られている那須与一(宗高<諸説有ここでは平家物語の記述を引用>)である。
与一は11という意味で、那須家7代目資高<諸説有>の11男である。
源平の戦い屋島の合戦では、通して源義経の大将としての器の小ささを感じる場面である。
有名な扇の的を射る場面で義経が最初に任命したのは、秩父党の頭領の畠山重忠である。
重忠は頼朝挙兵の際、平家に属し、岳父である三浦義明(玉藻神社でも登場)守る衣笠城を攻め義明は討ち死にする。
安房で再起した頼朝が江戸に入ったとき、その足下に参向した。
この時点で父畠山重能は、平家に仕えており、親子で源平に分かれることになる。
義経はこの難しい立場の人間を(捨て駒として)選んだのである。
加えて宇治川の合戦の折り、重忠は義経に意見したことを恨み、重忠の弓が5人引(義経の弓は2人引)きであることを妬んでいたのかもしれない。
重忠は脚気を理由に固持し、与一の兄を推挙するが、一の谷の合戦で負傷していて、与一が推されることになる。
与一は固持するが義経は譲らない、与一は悲壮感に襲われながら八幡菩薩及び下野国の神々に念じて奇跡に近い的を射ることを叶えるのである。
時は下って、同国の戦国武将佐野了伯は「弓箭取る道ほどあわれなるものはあらじ」と感涙している。
芭蕉は「感應(神仏に真心が通じ、神仏がそれにお応え頂くこと)殊にしきりに覚えられる」この神社でなく、光明寺で願を立てているところが意味深長である。
この神社はかつて、前九年の役のおり、源義家が祈願したと伝えられる由緒ある神社である。
那須家の本拠が那珂川東岸の大輪にあったことから、与一もここを訪れていると推測する。
門構えが見事、というかメインが門なんで社殿、拝殿はこれといった特色なし。
丁度、菊の鑑賞会やっている時に参拝出来たので、二重に目の保養になった。
古くは金丸八幡宮と称された古社で、江戸時代初期の建築とされる楼門や本殿が今も残る。
特に、本殿と楼門は国の重要文化財に指定されている。
が、それらの素晴らしい社殿も、整備を放棄したような社殿と未清掃とさえ思える境内の中でこのまま朽ち果てて行くのかとさえ思える物悲しさ。
すぐ脇が道の駅なのだし、もう少しそれらの施設と連動させて整備を進めた方がいいのではないかと思う。
名前 |
那須神社(金丸八幡宮) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0287-22-3281 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
まっすぐな参道を、1の鳥居、2の鳥居と進むと楼門が有りその先に大社造りの本殿が有りました。
元々は立派な神社だと思われますが、少し寂れて淋しい気もします。
道の駅ばっかりに力を入れず、大田原市の観光課にもう少し神社に力を入れてほしい気がしました。