黒い門構えがかっこよかったです。
明治時代、宮谷県庁がおかれた場所だそうです。
黒木の山門が立派でした。
パッと見たところ堂内にもすごい彫刻があるようでした。
施餓鬼で訪れましたが、立派なお寺でした。
駐車場も広いです。
日蓮宗寺院。
本山でもなく、由緒寺院でもないのですが、大きなお寺です。
門前が駐車場に整備されているのですが、そこに県庁跡地の石碑が立っています。
どうやら明時期の廃藩置県当時、ここに県庁が置かれていたそうです。
なので、寺院もその名残を残しているのだとか。
まず、目に飛び込んでくるのが黒門です。
非常に重厚間のある黒い門に、金色の文字の遍額が映えて、当時の様子が浮かんでくるようです。
本堂もまた大きく、威厳さえ感じてしまいます。
木像の日蓮聖人座像があるようですが、拝観は叶いませんでした。
江戸初期には宮谷檀林(仏教寺院における僧侶の養成機関、仏教宗派の学問所)が置かれていた他、明治初期には「宮谷県(みやざくけん)」の県庁が置かれるなど、歴史のある寺です。
この本國寺は、日蓮宗の寺院ですが、弘仁2年(811年)に真言宗の寺として開山しました。
文明3年(1471年)に上総七里法華により、日蓮宗に改宗し、現在の寺名に改められたとのことです。
上総七里法華とは、戦国時代初期の上総国土気城主、酒井定隆が行ったとされる宗教政策です。
あるとき、当時下総国中野城にいた酒井定隆が、京都出身の妙満寺派(現在の顕本法華宗)の僧日泰の船に同船していましたが、突如、海が荒れはじめました。
そのとき日泰が読経により海を鎮めたことから、定隆は日泰に帰依しました。
その後、定隆は土気城主となると、領内に法華宗への改宗令を出したと伝えられています。
令和2年6月11日お参り駐車場:広くてきれい明治維新時、廃藩置県で宮谷県庁(みやざくけんちょう)が置かれた場所です。
重々しさがあります。
すぐ隣りに宮谷八幡神社があります。
ちょっと風情ある長い石段があります。
眺めも素晴らしいです。
こちらにもお詣りすることをお勧めします。
山門が立派で境内も禅宗のように履き清められており、本堂も威厳がある造りだなぁ……❗️と感じていたのですが、調べてみるとココ「本国寺」は日蓮宗の檀林(学校)だった寺との事でした。
また明治維新の廃藩置県の際には、本国寺に県庁が置かれたと言う由緒も有るそうです。
(この辺りの地名により宮谷県庁と呼ばれていたとの事です)、立派な建物も納得です。
そんな歴史を持っていますが、参拝者も多くは無く広い境内は静かです。
とは言え木々や塀に囲まれている寺院ではなく、谷間ですが開けている地形なので境内は開放的な雰囲気があります。
黒い門構えがかっこよかったです。
境内きれいで整備されており、駐車場広いです。
日蓮宗寺院。
凄く立派なお寺です。
本堂も、一般的寺院に比べてとても大きいです。
それは、僧の学寮檀林があったお寺さんだからです。
日什上人所縁の、什門流です。
平成27年1月参拝。
名前 |
本國寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0475-72-3532 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
境内はキチンと掃除されていましたし、駐車場も広いですね。