戦前・戦中・戦後、歴史ある銅像です?
菊池家15代当主菊池武光九州に住んでいる方は絶対に知っておかないといけない武将の一人だと思います!明治天皇によってつくられた熊本県の『菊池神社』そこにある有名な銅像は馬に乗っていますが、こちらの銅像は馬から降りた状態です!なにか意味があるのか気になるところです!血刀を川で洗ったことから『大刀洗』という地名がつくほど影響力のある人!熊本県菊池市もこの菊池一族からなるもので福岡市博多区の聖福寺に匿われていたりと、とにかく歴史を辿ると知らなかったことが知れて楽しいですね!
大刀洗町の地名の由来になった武将。
全国各地の人馬一体の銅像の中で馬から降りている銅像は珍しいそうです。
また、馬腹や台座には米軍機からの機銃掃射の弾痕も残っていて、この銅像だけでも一見の価値があると思います。
戦前・戦中・戦後、歴史ある銅像です🤔。
台座や銅像に機銃掃射の弾痕が残っています。
菊池武光の勇姿と共に、戦争の記憶も後世に伝えるモニュメントとなっています。
菊池武光銅像は、昭和12年に作られ、今は大刀洗公園の園内にあります。
菊池武光は、宮方の武将として、正平14年(1359年)8月7日大保原(小郡市)で武家方の小弐頼尚に勝利しました。
さらに敗走する敵を追って山隈原まで進出しました。
この方面で戦っていた小弐方の大友勢も菊池勢の側面からの攻撃に敗れましたり武光はさらに小川を渡り(菊池渡りという)深く追撃しようとしました。
しかし夜明け前からの激戦で死傷者は小弐方1万8千人、菊池方6千9百人と伝えられるように味方も損害が大きくまた疲れきっていたので、進撃することを止め、軍を山隈原にまとめました。
朝からの戦いで血まみれの刀を山隈原を流れる小川で洗うと、刀は鋸のようにこぼれており、川の水は真っ赤に染まりました。
「帰来河水に笑って刀を洗えば、血は奔湍にほとばしって、紅雪をふく・頼山陽」 「そのかみの血しおの色とみるまでに、紅葉流るる大刀洗川・乃木希典」 古人は、このありさまをこのように詠じています。
この故事によって、大刀洗町と名づけられました。
勇ましい姿のこの銅像はゆかりの菊池渡りの地に昭和12年建立されたものです。
なお、馬腹や台石の弾痕は昭和20年3月の大刀洗飛行場爆撃時の名残です。
懐良親王とともに征西府の最盛期を築いた菊池武光公。
その生涯で最大の戦いの舞台となったこの地に彼の銅像が建立されています。
皇居外苑の楠木正成公の銅像にも比肩しうる凛々しさです。
名前 |
菊池武光銅像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.4 |
大刀洗の由来と戦争の傷跡も勉強出来るスポットです。
お子様連れで公園で楽しめますね。