泉岳寺の中心にある立派な本堂です。
泉岳寺の入口になる「中門」を過ぎると、より一層立派な「山門」が現れます。
山門左右に入口が有り右側から入ると「泉岳寺本堂」がある境内へと導かれます。
本堂は立派で風格があります。
泉岳寺HPによれば『旧本堂は第二次世界大戦で空襲に遭い消失。
現本堂は昭和28年12月14日に落成した鎌倉様式の建築です。
ご本尊は釈迦牟尼仏、他に曹洞宗の宗祖である道元禅師・瑩山禅師、また大石内蔵助の守り本尊である摩利支天(秘仏)などが納められています。
本堂では坐禅・読経などの修行が住職をはじめとした修行僧により厳粛に勤められています。
正面に掲げられている「獅子吼」の額は「ししく」と読み、お釈迦様の説法のことを指します。
』とのことです。
最寄り駅は私は羽田空港から京浜急行に乗りましたから泉岳寺駅です。
泉岳寺は曹洞宗の寺院です。
1612年に門庵宗関和尚を拝請して徳川家康が外桜田に創立した寺院です。
1641年の寛永の大火により焼失、現在の高輪の地に移転しましたが、家光が復興のままならないのを見て、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷各大名に命じ泉岳寺完成しました。
浅野家と泉岳寺とのつきあいはこれ以降赤穂浪士の墓があることで関係性が強くなっています。
御本尊は釈迦如来、道元禅師、瑩山禅師、大石内蔵助の守り本尊摩利支天です。
赤穂浪士ゆかりのお寺は歴史を感じさせてくれる。
外から眺めるだけ。
この建物は第二次世界大戦で焼けてしまって再建したもの。
鎌倉様式だそう。
萬松山泉岳寺。
曹洞宗の寺院。
總泉寺、青松寺と共に江戸三箇寺の内の一寺。
御本尊は釈迦如来。
古風でした。
泉岳寺の中心にある立派な本堂です。
もともとの本堂は戦火で焼失。
現本堂は、1953年に再建された鎌倉様式の美しい本堂。
入口正面に掲げられている「獅子吼」の額が印象的。
お釈迦さまの説法の様子が、百獣の王ライオン(獅子)が吼えているかのような威厳に満ちていることから「獅子吼」と名づけられている。
本尊は、釈迦牟尼仏で、曹洞宗宗祖の道元禅師と瑩山禅師、そして赤穂義士の大石内蔵助が守り本尊としていた摩利支天(秘仏)をお祀りしているそうです。
11月の朝7時過ぎに参拝させて頂きましたが、晴天下、青空を背景にした伽藍はとてもきれいで写真映えに満足しています。
福井県「吉祥山 永平寺(きちじょうざん えいへいじ)」と、横浜市鶴見区「諸嶽山 總持寺(しょがくざん そうじじ)」を大本山にもつ曹洞宗の「萬松山 泉岳寺(ばんしょうざん せんがくじ)」は、1612(慶長17)年に「徳川家康」(1543/天文11年~1616/元和2年)が、駿河の戦国大名「今川義元(いまがわよしもと)」(1519/永正10年~1560/永禄3年)の孫「門庵宗関(もんなんそうかん)」(1546/天文15年~1621/元和7年)を招いて、現在の警視庁周辺「外桜田」に創立した寺院だという。
1641(寛永18)年の火災により焼失して、高輪の現在地に移転したというが、同寺は第二次世界大戦で「山門」「義士館(現在の講堂)」などを残して空襲により焼失するという戦禍にも遭っている。
1953(昭和28)年12月に再建された鎌倉様式の現「本堂」は、本尊「釈迦如来(しゃかにょらい)」(仏教の開祖「釈迦牟尼」の尊称)のほか、曹洞宗高祖「道元禅師(どうげんぜんじ)」(1200/正治2年~1253/建長5年)太祖「瑩山禅師(けいざんぜんじ)」(1268/文永5年~1325/正中2年)、秘仏「摩利支天(まりしてん)」(陽炎を神格化した女神で我国では武士の守護神とされた)の像などが納められ、正面には釈迦の説法をいう「獅子吼(ししく)」の額を掲げる座禅・読経などの修行が行われる堂宇だ。
名前 |
本堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.4 |
ちょうど一年前に伺いました。
雨が降りましたが、良い観光になりました。
四十七士のお墓、浅野長矩公、正室のお墓もあります。
御朱印も頂きました。