静寂に包まれた北沢八幡宮。
北澤八幡神社の特徴
南天の実が真っ赤に実り、季節の美しさが溢れる神社です。
下北沢駅から徒歩十分、静かな住宅街に鎮座する落ち着きのある場所です。
年始の初詣や地元のお祭りは、盛況で見応えあるイベントです。
大きく 変貌した下北沢の街を抜けて静かな住宅街にご鎮座されていました。
数段の石段を登っただけなのにお社を背に振り返ると静かに広がる街並みが見えました。
静かで囲む木々に浄化されるすばらしい神社でした!御朱印もおしゃれです。
下北沢駅から東南方面に10分ほど歩いた落ち着いた場所にある神社。
敷地はさほど広くないが、いかにも地元に愛される神社と言った趣き。
鳥居を潜り階段を登り参拝。
もちろん御朱印も頂ける。
江戸時代に富士山から運んで来た熔岩で作った遙拝所もある。
東京都世田谷区は代沢に鎮座します「北沢八幡宮」です。
創建年は不明ながら15世紀末?~16世紀中頃まで(1400年代末?~1500年代中までの間の戦国時代)に、当時の当地の領主である吉良氏の吉良頼康が勧請(かんじょう)したと伝わります。
(吉良頼康は生誕年は不明ながら1500年代中ぐらいまで生きた武将で有る事から)約600年近くの歴史ですね。
因みに吉良頼康は当時小田原北条氏の家臣でしたが、正室に北条氏二代目当主・北条氏綱の娘を娶って(めとって)います。
北条氏家臣団の中でかなり力を持っていたのが伺えますね。
(北条氏綱の父は言わずもがな北条早雲です)また、吉良頼康が北沢八幡宮を勧請してすぐに、吉良氏の家臣が所領として拝領され土着し、この地の開墾を始めた様です。
本殿は所々が少々色付けされており、色鮮やかでした。
また、神社の境内には富士見塚が有ります。
この富士見塚は富士山の溶岩石で造られている様です。
この富士見塚の前に立つと、本物の富士山が富士見塚の向こう側に見えるスポットとなっています。
ほぉ~確かに…東京都23区に有って遮るビルも無く、富士山が見えました見えました。
素晴らしい。
近いので是非にブラリと散歩がてらに。
森巖寺に隣接して鎮座しています(森巖寺が別当寺)。
境内にミニ富士塚のようなもの(正式には「遥拝所」)があります。
下北沢の駅から徒歩数分の閑静な神社。
高低差を感じる神社で、社殿は結構高台にあります。
普段は混みませんが、年始の初詣、ご祈祷はかなり混雑します。
境内には野生のインコが生息しております。
富士山が見える神社2023年1月2日 07:30頃は綺麗に見えました♬
占い師さんに教えていただき、伺いました。
境内では幼稚園が終わった子供たちとママさんがたくさんいました。
ほんわかした気持ちになります。
地元の方達は神社さんの前を通る時に一礼して通っておられました。
神社さんは木々に囲まれ、落ち着いた雰囲気です。
静かにお参りできます。
下北沢周辺の代沢や北沢の氏神様。
公園も併設されており、地元の子どもが集まりいつも賑やかな神社です。
冬の空気が澄んだ時には、境内の特定ポイントから富士山も見えます。
毎年9月に行われる例大祭には、地元の人をはじめ、たくさんの人が訪れお神輿も各地から集まり、華やかで歴史を感じます。
また出店はいわゆるテキ屋は一切なく、法人会やガールスカウト、そして地元の方やお店が出店し、お祭りを彩ります。
もう、2年間完全な形でのお祭りはできていませんが、、、。
また、お正月の初詣の際は地元の人はもちろん、下北沢の各ライブハウスでカウントダウンライブを終えたバンドマンやお客さんが集まり、とても賑やか。
毎年年始にお参りして、下北沢の新たな一年を迎えます。
[追記]令和4年9月、北澤八幡神社例大祭が3年ぶりに帰ってきた。
まだ、御神輿の宮入りはできなかったけど、縁日や舞台奉納でお祭りが戻ってきました。
そして、お祭りのあとは「ムーンアートナイト下北沢」。
北澤八幡神社の境内に、巨大なウサギのアートが3体展示されました。
雰囲気があって,なかなか良かったです。
下北沢の駅から少し歩いた所にある神社神職ご不在で御朱印はいただけず…
運が良ければここから富士山が見えます。
地元で愛される神社で、9月始のお祭りは壮大で見応え十分です。
コロナが落ち着いたら是非見た方が宜しいかと思います!
芸能人の方々もそうですが、そもそも地元の方々が大切にされている神社です。
常に子供たちが公園で遊び、参拝者が耐えない素敵な神社です。
更に、神社庁の支援に頼らず、自前で運営をされている稀に見る神社でもあります。
某スピリチュアリストが在籍されていたことも有名ですが、こちらの神主さんは主にじょせいだということが注目すべきポイントです。
是非オススメです(^-^)
かつて有名なスピリチュアルカウンセラー氏もいらっしゃった神社です。
運が良ければ芸能人に会えるかも!もちろん強力なパワースポットです。
北澤八幡神社。
主祭神は応神天皇、比売神、神功皇后、仁徳天皇。
舞殿前でバーベキューをしていましたが、もう少し舞殿から離れてして欲しい。
何故か6センスで…感ずるところ有り。
お姿に見惚れてしまいました。
2020年8月、ロードバイクにて夏詣御朱印巡り。
鳥居をぬけると広場のようになっています。
その右側に遊具があり、子供達が遊んでいました。
石段を登って社殿を参拝しました。
右側は、スロープになっています。
御朱印は、二種類あり一つは書き置きの御朱印、もう一つは、裏側がシール貼りになっている珍しいものでした。
手水舎は、色とりどりの水ふうせんの演出がされ弁天社、産土社等の末社をありました。
富士山から持ち込まれた石を利用した富士山塚があり、運が良ければ、富士山が見えるようです。
下北沢から10分なでしこジャパンが参拝するので有名です元巨人藤田監督の家が近くでよく参拝したそうです割合近くに松陰神社、世田谷、太子堂八幡、豪徳寺、目青不動尊があり寄り道しがいがあります。
北澤八幡神社。
鳥居をくぐると隣が公園です。
天気がよく、富士塚の隣から富士山が見えました。
駅からは15分ほど歩きます。
バリアフリーで、スロープもついています。
おみくじの場所がわかりにくいですが、お守りなどの販売している窓口の右にある窓口でできます。
閑静な住宅街の中にあるとても素晴らしい神社です。
一番下の鳥居の傍には児童公園があり、賑やかな声が聞こえてました。
清掃も行き届いていて、境内はとても綺麗でした。
2018/2/12拝受 境内全体は三段のひな壇のようになっている。
一番高い3段目に本殿末社があり、2段目は神楽殿や神輿庫。
そして大鳥居を潜った一番低いところには遊具が設置された児童遊園になっている。
近所のお子さんたちが楽しそうに遊んでいました。
これは、とても素晴らしい事だと思います。
地形のハンディキャップを解消するために本殿までスロープを造成するために工事が行われています。
御朱印を頂きました。
御朱印はとてもカラフルで素敵なものでした!
自然いっぱいの素敵な所でした。
児童公園もあり、孫達はいっぱい遊んでました。
境内から富士山見えなかったのは、残念でした!
私が上京した当時の氏神様。
五百年以上の歴史と境内に能舞台があり素敵な場所です。
お天気が良いと富士山が見えます。
下北沢駅から少し歩く神社。
電車で行く場合、最寄駅が徒歩15分くらいの所にある。
行ってみると、地元の人に愛されている雰囲気がとても伝わってくる神社。
訪れたこちらもあたたかい気持ちになる。
社務所の隣には、この神社限定の勾玉のガチャガチャがある。
御朱印は500円。
世田谷区なのに、この広い境内、いい事が起こりそうです。
漫画とかアニメに出て来そうな典型的で理想的な地元系神社。
石段と境内の木々がそういう雰囲気を出している。
自転車で晴れた日のなんとなく立ち寄ると気持ちい。
ふと訪れて、思いがけなく居心地が良い。
末社がたくさんあって、なんだか前に来たことある気がするから不思議になる、デジャヴか、それか神社巡りは誰かの記憶か、集合無意識に交差してることが分かりやすい気がする。
二度目の参拝、平成二十九年四月二十八日金曜日、世田谷八幡宮にタケノコを奉納してから北澤八幡宮にもタケノコを奉納しにやって来た、やっぱりここは気持ち良い神社だと思う、まぁ基本はどこも気持ち良い神社だろうけど、ここは優しい神霊がいるのだと思います、そう言えば八幡宮でも厳しい感じのとこもあるし、ここは子供が走り回っててなごやかな気配があります、北澤八幡宮は美しいです、そして次は代田八幡宮にタケノコを奉納しに向かった、莞爾。
夢の中でこれに似たような神社にはきましたね。
その夢では確か大きな犬がいました。
県外ですが一度いってみたいです。
子供の頃からこれと言って変わらぬ佇まいが良いです! 以前は9月の大祭の折、露天がここから下北沢駅入り口まで続いたものですが今は香具師【露天商】が出店できず寂しい限りです。
ここ北澤八幡宮は15世紀後半頃、世田谷城主だった吉良頼康【きらよしやす】が勧請したと伝えられ祭神は応神天皇、比売神、神功皇后、仁徳天皇です。
坂の下に位置する八幡山浄光院森厳寺はもと別当寺だったんです。
ここへ来ると子供の頃、散々いたずらした思い出が蘇ります。
特に夜は静かで厳かです。
東国原英夫【そのまんま東】さんが子供を連れてよく訪れていたことを思い出しました!
名前 |
北澤八幡神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3422-1370 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
周辺のオススメ

拝殿前の南天の実が真っ赤になり、鳥居からも見えていました。
その鳥居脇にどこの神社でも有る「社号標(神社名が標された大きな石碑)」が立っています。
その裏側を覗くと「大東亜勝戦記念」の文字が埋められているのが分かります。
昭和17年2月11日に当時の陸軍大将荒木貞夫謹書と記されています。
文字が埋められたのは戦後、特に「勝」の文字が削られる様に潰されています。
当時の人々の思いが推し測れます。
(補足)大東亜戦争とは、太平洋戦争の戦時中の名称です。
真珠湾攻撃は昭和16年12月、戦況の転換点とされるミッドウェー海戦は昭和17年6月。
鳥居の脇の広場は児童公園になっていて淡島幼稚園の園児さんたちの良い遊び場です。
この子たちが大人になる頃、心が荒む歴史が繰り返さない事を切に祈ります。