毎朝参拝させて頂いております。
境内で気になった点を記載する。
【以波末の桜碑】「以波末之桜」と刻む石碑あり。
反花座の上に設置されている。
裏面に漢籍碑文。
以下、翻刻・訓読・私訳する。
『白文』此樹也従五位下丹波守源政武朝臣所命也徴諸古今集所載和歌者矣因記事別置于祠頭乃欲俾傳馥郁於千載而不朽也盈等故立石以述云明和丙戌三月手塚 源 正盈 村岡 平 正甫 撰 福原 大江 就壽 建 三宅榮茂 刻『訓読』此の樹や,従五位下(ジュゴイゲ)丹波守(タンバノカミ)源(ミナモトノ)政武(マサタケ)朝臣(アソン)命ずる所なり。
諸古今集に徴し,和歌に載さ所(ル)るなり。
記事因り,祠頭(シトウ?)に別置(ベッチ)せよ,乃ち,千載不朽に馥郁(フクイク)を伝え俾(シ)むと欲するなり。
盈等,故に石を立て,以て,述ぶと云う。
明和丙戌三月。
『私訳』この桜は,従五位下 丹波守 源 政武 朝臣が仰せになる所のものです。
(それは)幾つかの和歌集に求められ,和歌に記録されています。
記載の事実によりますと、(政武様は)「(この桜を)祠の前に移動させよ」と,すなわち,千年後まで朽ちない様に(この桜の)馥郁を伝えさせなさい,と願われておりました。
正盈らは,それゆえに石を立て,そして,述べることにしたのです。
1767(明和3)年3月。
≪補足≫①「以波末」とあるが何を指すのか不明。
地名か。
そもそも「いはま」なのか「いわま」なのか「もってなみすえ」なのか。
②「従五位下丹波守源政武朝臣」は,『文京区のいしぶみ』によると,幕臣である礒野政武に比定されるとのこと。
政武は,徳川吉宗の紀州時代からの家臣。
吉宗が将軍になるに当たって,江戸に付いてきた様である。
また,歌人として有名だったらしい。
③文脈および個人的な予備知識から,「盈」は「手塚 源 正盈」の「盈」と解釈した。
④背景情報に分からないところが多く,あまりピンとこない私訳になった。
以波末の桜を境内の入口に移し替えた,という話だとは思うが、あまり確信はない。
参考までに。
椿山荘よこの小さな神社。
猿田彦命を祀っているとのこと。
狛犬がかわいい。
小さな神社です。
猿田彦命(さるたひこのみこと)、稲荷大神(いなりおおかみ)が祀られています。
江戸時代は、幸神社の前を通る道は「清土道」とよばれ、江戸(東京)から練馬などの西北近郊の村々を結ぶ主要道の一つだったとのことで、道ゆく人の安全を祈った祠であったそうです。
なお、「シアワセジンジャ」ではなく、「コウジンジャ」と読みます!
小さな神社です。
猿田彦命(さるたひこのみこと)、稲荷大神(いなりおおかみ)が祀られています。
江戸時代は、幸神社の前を通る道は「清土道」とよばれ、江戸(東京)から練馬などの西北近郊の村々を結ぶ主要道の一つだったとのことで、道ゆく人の安全を祈った祠であったそうです。
なお、「シアワセジンジャ」ではなく、「コウジンジャ」と読みます!
椿山荘の脇にある神社。
大きいわけじゃないが、ちゃんとしている。
寂しく感じました。
名前 |
幸神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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