千葉にある、手軽に行けるお城の一つ。
千葉県立中央博物館大多喜城分館 / / .
休城中です。
外からだけでも城は楽しめます。
小規模な展示館がオープンしていますが5分位で見終わります、そこは土足厳禁です。
御朱印と続日本100名城スタンプは大多喜町観光協会で手に入れました。
本多忠勝の城。
主な改修者が本多忠勝、阿部正次の両名であることから、瓦には2つの家紋が見られます。
町営駐車場が30分無料で利用できます。
超えると200円だけ徴収されます。
本丸までは駐車場から100mほど、外観だけを見学するなら30分ほどで一周して駐車場まで戻れます。
いつまで立ち入れないのだろうか…駐車場はゲートバーが設置されていたが(無料だった)。
敵方の本多忠勝のクリアファイルが250円だったので、購入した。
家康に過ぎ足るものが二つあり、唐の頭に本多平八。
2021年12月よりしばらくの間、施設改修の為に建物内部へは入れなくなっていました。
周辺の散策は問題なく可能です近くに30分無料のパーキングもありますゆっくり写真撮影するには良かったです。
徳川四天王の本多忠勝の城。
中は博物館になっており大多喜の街が一望できます。
本多忠勝や徳川家康、真田幸村の甲冑が展示されていました。
本多忠勝の甲冑はマジで凄いので一見の価値はあります。
たまたま行ったら企画展「兜とカブト」やってて楽しめました。
駐車場は20分以内無料。
1時間くらい停めても200円です。
駐車場は自動ゲート式で30分までは無料です。
そこから、お城の特徴である坂を数百メートル歩けばたどり着きます、お城としては短い距離かと。
途中に休憩所があります、着けば大多喜のまちが見渡せます。
大多喜町は東京駅から小湊鉄道の高速バスでアクセスできるので意外に容易に行くことができます。
町に着くと丘陵の上に立つ城がすぐに目に入って来ます。
城の隣の森は県立大多喜の森公園に指定されていて散策路が整備されています。
展望台もありそこからは城や大多喜の町を見下ろします。
白亜の素晴らしい城でした。
大多喜町のシンボル。
本田忠勝の居城ということで歴史資料満載・・・と言いたいところですが、意外に残されてないです。
昔の本丸跡も城の形も不明。
鉄筋コンクリートづくりのお城は、他のお城をモデルに新たにつくったものです。
なんで別館なのかと思ったら、本館は青葉の森にある中央博物館だとか・・・なるほど。
お城は高台にあって庭は風が気持ち良かったです。
賛否両論あると思いますが、街づくりのシンボルであることを考えればこれもありかと。
古い土塁跡だとか水道跡だとか、県民の森など散策できるエリアです。
それほど大きなお城ではありませんが、館内の展示物は色々見るべき所があります。
最上階からの眺めも良く、入ってみる価値は有ると思います。
御城印の販売は、何故か11時半からと言う事で、大多喜駅前の観光物産館で買いました。
お城には特に興味ある訳ではないので中には入らなかったが、30分無料の駐車場は良心的で30分でちょうど良く見れる規模。
なんかいいですよ。
なかなか立派な天守閣あり。
駐車場からは徒歩5分ほど。
遠くに九十九里浜と太平洋が望める。
千葉にある、手軽に行けるお城の一つ。
ここだけで1日見て回るボリュームでは無いので、他の近隣の観光地とセットで行くのがお勧め。
大多喜駅から散歩がてらに行きました。
相変わらず桜は綺麗でしたがコロナの影響で桜祭りも中止だし人も少なかった。
大多喜城(おおたきじょう)は、現在の千葉県夷隅郡大多喜町にあった戦国時代から江戸時代かけて存在した日本の城(平山城)。
初めは小田喜城(おだきじょう)と呼ばれていた。
江戸時代には大多喜藩が置かれていた。
天保13年(1842年)の天守焼失後、焼失した天守に代えて「神殿」と称する建物が建てられたとされるが、大多喜藩が財政難に苦しんでいた時でもあり、粗末な建築物だったのではないかと、この城を研究した渡邉包夫は考えている。
火災があったことに関しては、昭和48年(1973年)の学習院大学の発掘調査でも大量の焼土が発見されたことで裏づけられているが、改築および天守建築を否定する説もある。
小高春雄は改築そのものを否定する日本工業大学の見解を紹介し、やや否定説に傾きつつも、渡邉が発見した大多喜城天守絵図面の存在から完全に否定できないとする、玉虫色の見解を示している。
天守存在説に関しては学界でも論議があり、非実在説もある。
非実在説の根拠としては、寛文年間と推定される大多喜城の絵図には、天守が描かれていない。
上記の通り、寛文11年の記録には「一重の塀もないありさまで、門や櫓などもない」とある。
櫓もないのだから天守もなかったのではないか。
また、元禄3年の『土芥寇讎記』にも、「塀もない状態、ましてや門や櫓などあろうはずがない」と書かれているということは、この時点でも天守はないのではないか。
サン・フアン・デ・ウルア要塞守備隊長やフィリピン総督を歴任したドン・ロドリゴが、慶長14年(1609年)にこの城を訪れているが、ドン・ロドリゴの記録『日本見聞録』に天守が登場しない。
発掘調査時に天守石垣の痕跡がなかった。
などが挙げられているが、2通りの天守絵図が存在することや、本丸は明治時代に削られたために石垣の痕跡はそもそも見つからないのではないかという反論もあり、現在でも結論に至っていない。
このため、この城の再建天守の評価が書籍によって「復元」「復興」「模擬」と分かれている。
本多家10万石の大多喜城。
遺構は少ない。
町を歩いていると、若い子が皆挨拶してくれる礼儀正しい城下町。
大多喜城跡とありますが、天守閣の作りをした歴史博物館です実際の大多喜城はたぶんここにあったんじゃないかという感じらしいです。
辿り着く迄がしんどいです・・・。
駐車場が無いので、歩くしかありません。
でも、上階から見る景色で、また来るぞ~~ってなりますネ!不思議な魅力いっぱい!
【千葉県史跡】…史跡指定は「本丸跡」…上総大多喜城は戦後時代に築かれ、小田原北条氏の滅亡に伴い、徳川四天王の一人である本田忠勝がこの地に十万石で封じられました。
城主は、本田氏三代のあと、阿部氏等の譜代大名が入りましたが、元禄16年(1703)の松平氏の入城以降は9代続き、最後の城主松平正質(まさただ)の代に明治維新を迎えました。
…大多喜藩は財政難だったため、天守など無かったという説が有力です。
眼下に広がる城下町。
いい眺めです!
大多喜城は徳川四天王のひとり、本多忠勝によって築かれた城です。
遺構としては大多喜高校に二の丸御殿薬医門が移築されており、さらに二の丸には周囲17m、深さ20m、日本一の大井戸が現存しています。
現在は千葉県立中央博物館大多喜城分館として、1835年(天保6年)の図面を基にして天守が再建。
最寄りの駐車場から歩いていく際、坂道の傾斜は結構あります。
足腰の弱い方は注意が必要です。
お城のある所からの景色は良いです。
季節毎に楽しめると思います。
本丸の歴史博物館へ入る場合には入館料が必要になります。
なかなかの雰囲気です。
これまた山城なので、坂を歩いて登ります。
その間も土塀や空堀などを見ながらなので、飽きません。
眺望も良いです。
千葉の平野のイメージから一転、養老渓谷や山深さに驚きます。
いみす鉄道の大多喜駅からは、少し距離があります。
いい運動になりますよ。
内部は一般的な城跡です。
無料駐車場が手前にあります。
間違えて進むとめんどくさいです。
徳川四天王 本多忠勝が城主であったことで知られる大多喜城。
当時の姿そのものではないものの、天守閣も復元されています。
遠景も、なかなかよいと思います。
城内に入っていないので、良く分からない。
お城にしては、駐車場からの徒歩での所要時間が少なくて良い方ですあと、新緑が気持ち良かったです✨
新緑の季節に伺いました!マイナスイオンたっぷりの森林浴ができ、とても気持ち良かったです!
名前 |
千葉県立中央博物館大多喜城分館 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0470-82-3007 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.7 |
山の中のお城ですが、ただいま内装改装中で、中は入れません。
外観と隣接されてる展示場は見れます。
休館中につき、駐車場無料。
展示場も無料。