大手門が完成し、素晴らしい名所です。
水戸城三の丸 水戸藩校弘道館 / / .
☆想像以上に広い「弘道館」全国各地にある藩校の中で日本最大規模❗️水戸城の三の丸が殆ど弘道館の敷地、江戸時代は今の3倍の広さとは驚いた😲中心は政庁と至善堂、敷地内に武術修練する武館・学問学ぶ文館、馬場に調練場、医学館に天文台、更に学生寮も完備、これは総合大学だ‼️江戸時代後期、天保12年(1841)に創設させた水戸藩第9代藩主「徳川斉昭」の発想が凄いと感嘆🤔1868年弘道館戦争で焼失せず、1945年水戸空襲で延焼せず、往時の姿を残した政庁・至善堂・正門が現存して良かった、そして国指定特別史跡(国重要文化財)✨政庁玄関前の左近の桜は徳川斉昭夫人ゆかり・黒松は徳川斉昭お手植えの松(三代目)、正面裏手にも学生警鐘や孔子廟もあり見処沢山です👀【弘道館 正門】…重要文化財正門の入口側の柱を良く見ると「弾痕」が数ヶ所あり、明治元年(1868)に勃発した藩内争乱、保守派(諸生党)vs改革派(天狗党)『弘道館戦争』の証⚔️
無料駐車場が目の前に有り便利です。
館内の展示物はどれも見入ってしまうほどの書や作りです。
よく見ると三葉葵の畳み表でした。
梅の時期にも訪問してみたい。
入館料400円。
茨城子育て支援カード提示で200円。
1841年7月に完成し8月1日に仮開館(本開館は1857年5月31日)。
第9代水戸藩主の徳川斉昭によって水戸城三の丸内に作られた(弘道館設立の前は、山野辺家などの重臣層の屋敷地であった)。
初代教授頭取には、会沢正志斎と青山拙斎が就いた。
建造は戸田蓬軒が務めた。
また、経営にあたる学校奉行には安島帯刀が任命された。
八卦堂の『弘道館記』の碑には藤田東湖草案の建学の精神が漢文で書かれている。
武道のほかにも、広く諸科学、諸学問が教育・研究された。
学問の教育・研究としては、当時広く行われていた文系のほかにも、一部の自然科学についても行われていた。
また、第2代水戸藩主の徳川光圀が編纂を始めた『大日本史』の影響を受けた水戸学の舞台ともなった。
当時の藩校としては規模が大きく、また水戸藩も財政が潤っていたとはいえなかったことから、当時の水戸藩の教育政策がうかがえるといわれている。
通常、卒業の概念が設けられているものが多いが、学問は一生行うものであるという考え方に基いて特に卒業の概念を設けず、若者も老人も同じ場で学んだといわれている。
また、藩学出席強制日数という形式的な基準を設定していた。
文武のうち、文館への入学には一定水準以上の学力が要件となったが、武館への入学は無試験であった。
一方で、家格と実力が合致するような人材を育成するという目的から、家柄に基づいた出席日数の制限が行われ、家柄が低い者へは出席すべき日数が少なく設定されていた。
明治維新の際、水戸藩では改革派(天狗党)と保守派(諸生党)が激しく争い、弘道館もその舞台となった。
慶応4年(1868年)4月、謹慎中の徳川慶喜は江戸開城の合意事項に沿って水戸に引き移り、弘道館の至善堂に入った。
しかし当時の水戸藩では藩主慶篤が病没して藩主不在の混乱状態であり、慶喜が紛争に担ぎ上げられることが予測されたため、7月に慶喜は静岡に移った。
改元して明治元年10月1・2日(1868年11月14・15日)には会津戦争で敗走した諸生党が水戸に舞い戻って弘道館に立てこもり、水戸城に入った本圀寺党・天狗党の残党らと大手門を挟んで戦闘する事態となり、文館・武館・医学館等多くの建物が銃砲撃により焼失した(弘道館戦争)。
1872年(明治5年)12月8日に閉鎖され、その後は太政官布告により公園とされた。
弘道館が有していた蔵書の多くは国有とされ、後に設立された官立の旧制水戸高等学校が引き継いだが、昭和20年(1945年)8月1日から2日未明にかけての水戸空襲により国有化された蔵書は焼失した。
そのほかの蔵書については、弘道館の伝統を引き継ぐために関係者によって作られた自彊舎に引き継がれ、その後は、弘道学舎、水戸塾、水戸学院、茨城中学校・茨城高等学校と続いている。
現在、約1万冊程度の蔵書が現存し、茨城県立歴史館が委託などで管理を行っている。
また、徳川斉昭の意向により設立当初から多くの梅樹が植えられ、その由来が『種梅記』の碑に記されている。
斉昭の漢詩『弘道館に梅花を賞す』には「千本の梅がある」とある。
現在、敷地跡は梅樹約60品種800本が植えられており、梅の名所となっている。
なお、弘道館と同じく梅の名所である偕楽園は、弘道館に対し、心身保養の場として対に作られたものである。
梅祭りの偕楽園に行くためにコンビニチケットを購入しましたら、弘道館がセット割引でした。
もし、このセット割引が無ければ偕楽園だけの観光になっていたかもしれませんが、本当に行って良かったです。
風格ある建物、『尊攘』の掛け軸、大日本史、梅の庭園、さらに空堀を渡り、水戸城跡、、復元された大手門などに元の城の威容を想像し、堪能しました。
初めて訪れました。
梅が綺麗なところです。
弘道館は趣もあり展示物も興味深く楽しめました。
最初に弘道館を見てそこから鹿島神社を見るのをおすすめします。
12月28日 水戸藩弘道館 あたりの 散歩をしながら 色々と 写真に撮りました弘道館 あたりは 色々と整備されトイレも完備され 雰囲気が いい場所になってます 三の丸辺りの 景色も 綺麗に整備されているので 歩きやすいです 二の丸角櫓 も行かれると いいと思います 付近を歩いていろいろ撮りました 通りすがりに 水戸中央郵便局の 前で面白いポストを見つけました ので とりました 年賀はがきは 早めにと 獅子が 言っていました 今日も 可愛いワンちゃん達に会いました 三の丸では 柴犬のコタちゃん顔の整った子です 元吉田では おっとりした男の子のそらちゃん ポーズが決まってます ポメラニアンの家族にも会いました お父さんがみぞれ お母さんがポコ 長男の 白形の きなこ バッチ のやんちゃな ゴマちゃん みんな可愛い ワンちゃん です 余談ですが 弘道館 の梅は 4本咲いているそうです。
「尊攘」の掛け軸が想像していたより大きく迫力がありました。
資料も豊富で読みごたえがありました。
幕末維新ファンは必見ですね!
大河ドラマが渋沢栄一をモデルにしているせいか渋沢と慶喜を中心にした展示となっていました。
本当は幕末の水戸内紛を中心に見たかった…
藩校跡。
状態は良く幕末を偲ぶことが出来るいい場所。
慶喜が大政奉還後に居たと言う間に同じように座り歴史を想うと至福な気分になれた。
水戸学を涵養(かんよう)するために水戸徳川家が開設した藩校。
大日本史など尊王論に大きく影響を与えた史料が展示されている。
また、令和3年8月現在、渋沢栄一が水戸や弘道館を訪問・講演した際のエピソードなどが解説されている。
歴史を感じる場所。
こういう場所は、今後も我々の子供達のためにきちんと残しておきたい。
水戸発展の基礎を築いたファクター。
散策するだけでも、歴史を深く学ぶためでも楽しめます。
あまり興味はないけど、他に行くところがなく、、、という来訪でした(失礼😓ですが、【青天を衝け】の渋沢栄一企画展もあり、斉昭氏が力を注いだ水戸学の歴史も勉強になり、見ごたえがありました。
連休中でしたが、混雑もなく、静かな趣のある空間でゆったりと見学できました。
正門近くに無料駐車場あり。
何度も通っているのに、入館するのは初めてでした。
「青天を衝け」を観て興味を持ちました。
徳川斉昭によって創立された藩校です。
最後の将軍、徳川慶喜も幼少の頃、ここで厳しい教育を受けたそうです。
展示物を観て回ると、幕末の日本、及び水戸徳川家の現在に至る歴史がわかります。
派手さはないものの、重厚な造りの建物も素晴らしいですが、お庭にはたくさんの樹木が植えられ、散策にはもってこいです。
あまりにも近くにあり、かえって訪れることがありませんでしたが、一見の価値ありです。
四季折々のお花を観にこれからは何度も訪れることになりそうです。
LAWSONで事前に偕楽園のチケットと一緒に購入済みなので、並ばずに入場。
天気も良く、弘道館と偕楽園ともゆっくり歴史を感じる事が出来ました。
弘道館は駐車場が空いていないと大変かも。
水戸城の正門も立派。
弘道館自体が趣きがあり、何より中に入れ臨場感が味わえる事がいとをかし。
勉強にもなり偕楽園に行く前に寄るのもオススメ。
大河ドラマの撮影にも使われたようです。
私は偕楽園も良きですがこちらの方がfavorite!
夫婦で行って来ました。
古い書籍や図面や見たことも無い古い写真も有り、見ごたえがありました。
広い庭も散策出来るようになっており、気持ちが爽快になりました。
歴史が好きな人にはお勧めです。
これまで行ってきた史跡の中で一番と言っていいほどよかったです。
平日の午前中に行きましたが、人も少なくほぼ独り占め状態でした。
徳川慶喜が勉強していたということもあり、感慨深いものがありました。
歴史を感じる建物で畳敷きの大きな部屋に風情を感じます。
閉館時間は、10/01から3/31までが16:30、4/1〜9/30は17:00です。
大手門が完成し、素晴らしい名所です。
是非、訪れてみては如何ですか。
凄く素晴らしいし勉強なりましたよ。
水戸藩の歴史が分かり、良かったです。
梅の綺麗な時期に来てみたいです。
20200516~17第2回茨城⇔千葉弾丸帰宅洗濯ツアーに行って来ました!「ホテルルートインひたちなか」を8:30に出発して、5月12日~入場再開した「弘道館」に立ち寄りました!9:00に弘道館駐車場に到着しました!弘道館事務所で入場料を支払いパンフレットを頂きました!パンフレットの前に何と「水戸城」の日本100名城スタンプが有ったので、押印させて頂きました!これだけの歴史的建造物を貸し切りで拝見出来ました!日本最大の「藩校」とは言え、とても贅沢な造りでした!庭園も、とても広く季節の花が楽しめます!私が行った時は、桜が終わり新緑が綺麗でした!
「烈公」こと徳川斉昭が設立した水戸の藩校で、幕末に大きな影響を与えた尊王攘夷思想の発祥・発展の地。
斉昭の人物評には芳しくないものが目立ちますが、水戸藩だけでなく日本を国難から救い発展させていく礎は人材であり、財政難の中で生涯教育を掲げた藩校を開校した先見の明は素晴らしいと思います。
私は司馬遼太郎の「最後の将軍 徳川慶喜」を読んでから訪れたので、慶喜が育った環境に思いを馳せ、また江戸幕府終演後に蟄居謹慎していた一室を見て、心が揺さぶられるいい旅になりました。
1度は行ってみたかった場所だ。
幕末期に水戸藩の侍達が動いた…。
ココから口火を切ったのだ。
門から正面に見える「尊攘」(尊王攘夷)の堂々たる掛け軸を見ると体が震えてくる。
水戸城の「三ノ丸」に位置している。
ココで多くの侍達が武術や剣術、その他医学、天文学等を学んだようだ。
当時としてはかなり進んだ「大学」だったようだ。
建物はかなり広いのでビックリ!水戸城は残っていないが、弘道館はいつまでも壊さずに遺してほしいものだ…。
御三家の一つの文化と高い教育姿勢の土壌が整っている場所と感じました。
今度はゆっくりと水戸で歴史を感じる旅をしたいと思います。
再訪in水戸city。
建物も見事ですが、お庭に四季折々の花木があり、いつ来ても風情があります。
梅の季節はもちろん、桜の巨木、松、沈丁花など……。
昨日訪れた時には、ふわっと花の香りが漂っていました。
陽光の入る中庭や、敷き詰められた砂利や苔もまた良いです。
入場料も200円程度ですし、散策がてら是非。
水戸駅から近く歩いても5分位です。
江戸時代の武士の教育や生活を垣間見た気持ちになれます。
お勧めは庭園の梅の開花時期です。
水戸駅北口を出てややきつめの坂を上ること10分弱、旧三の丸の中にあります。
東日本大震災での損傷も全て往時のままの姿で復元されており見事です。
敷地内には多くの梅の木が植えられ散策路が整備されており建物の周りを散策出来ます。
梅の時期はとても見ごたえがあります。
水戸徳川の偉大さと先見性を感じれる施設です。
再建された建物と庭は閑静なお寺のようにも思える雰囲気です。
行ったのは1月ですが梅の季節や夏にも再訪したいです。
施設で働く方も丁寧で親切でした。
歴史の息吹きを感じる場所です☺️周辺も水戸城の雰囲気が残り、趣きがあります✌️是非、見学してください🙇駐車場🅿️や、お土産売り場もあります✌️
水戸学を知るには偕楽園と弘道館は外せないでしょう。
幕末に思いを馳せ当時を自分で感じられます。
慶喜が大政奉還後に水戸に送られ恭順生活を送った部屋もあります。
正門の柱には弾痕も残って見られます。
弘道館設立の歴史、出来事、水戸藩の諸事を実物と適切な解説から深く学べる場所。
偕楽園も含めて斉昭のカリスマ性を実感できる。
水戸藩校の流石の佇まい。
梅と建物のバランスは見事。
私は日曜日にいったのですが、水戸の御老公、光國公と助さん角さんと記念写真を撮りました。
フィリピン人の家内の家族が来日した際、観光で訪れました。
「昔の侍は博学だったんだ」と叔父は関心していました。
お土産屋ではTシャツや提灯を購入しました。
アメリカ人とフィリピン人の宣教師ご夫妻を案内しました。
サムライが好きだったそうで、展示に大変満足されていました。
また、館内は大変静かでそれにも感銘を受けていました。
残念なのは、いつも思うのですが、駅から徒歩の場合、日本人でもわかり難い順路な点です。
この点はさらに改善を要るのではないかと思います。
名前 |
水戸城三の丸 水戸藩校弘道館 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
029-231-4725 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
土曜日に伺いました。
混雑はなく、入場料400円を払い中へ。
きちんと手入れされた館内は当時の生活感がわかるほど。
なかなか自分の足で歩ける歴史遺産は数少なく、畳の間から覗く中庭は、そこだけ時間が止まっているような感覚になりました。
近くに来たらよってみる価値がある、素敵な歴史がありました。
また伺います。