茨城県水戸市三の丸1-6-4️…弘道館入口近くに有...
水戸烈公が弘道館を開くにあたり、新たに設けられた社。
小さく華美でありませんが、弘道館の質朴さと相俟っています。
徳川斉昭公が、創建した神社です。
立派な、しめ縄が飾ってあります。
拝殿の造りが独特です。
🏣茨城県水戸市三の丸1-6-4🅿️🚗…弘道館入口近くに有る駐車場を利用。
🚃…水戸駅から徒歩8分程🚌…大手門下バス停より徒歩3分程※参拝時間8時30分~16時30分※総本社…鹿島神宮(茨城県鹿島市)ご祭神…武みかづちの神御利益…勝利祈願、旅行安全、武芸上達、事業成功、出世開運等※創建1857年5月9日※境内の中には八掛堂が有る。
弘道館公園の南西方向に鎮座する神社。
弘道館番所方面から向かうと、整備された公園をぐるっと回り、遠回りになってしまいました。
また平日訪問では社務所が閉まっており、ご朱印は頂けませんでした。
徳川斉昭公の要石の碑がありました。
御朱印目当てで参拝しました。
駐車場は鳥居をくぐり抜け境内にありますが参道を通る為歩行者注意です。
御朱印は書き置きタイプですが日付けを書き入れてもらえます。
弘道館鹿島神社〒310-0011 茨城県水戸市三の丸1丁目6-4僕がこちらを訪れた2023年10月8日の朝はひっそりとしていました。
水戸市教育委員会の方の案内板に書かれている、神明造(伊勢神宮の建築様式)の技法を伝える物証として、建築史の観点からも価値が高い。
それが水戸市にあることが素晴らしいと思います。
鹿島神社と水戸市教育委員会の案内板があり、鹿島神社作成の方は読みづらいのですが、双方テキスト化しましたので、この神社の由来などについて参考になればと思います。
●水戸市指定文化財 建造物Mito City Designated Cultural Property: Building平成29年2月3日指定Designated on February 3, 2017鹿島神社本殿・拝殿・中門及び瑞垣(みずがき) (附(つけたり)設計図9点)Inner shrine, hall of worship, inner gate, and fence of Kashima Shrine (attached nine-point layout)鹿島神社は、 武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祭神とし、水戸藩第9代藩主徳川斉昭が藩校弘道館を開館するにあたって仁孝天皇から勅許を得て成立したとされる。
孔子廟とともに弘道館の中央(聖域)部分に位置し、安政4(1857)年に常陸国一宮(ひたちのくにいちのみや)の鹿島神宮から分祀式(ぶんししき)を行ったうえで弘道館は本開館した。
昭和20(1945)年8月の大空襲で焼失したが、昭和49(1974)年、第60回伊勢神宮式年遷宮の後に、神宮内宮の別宮(正宮の次に格式が高い宮)の一つ風日祈宮の旧殿一式(本殿・拝殿・中門及び瑞垣(みずがき))が特別譲渡され、伊勢神宮で造営されていた際と同様の建築様 式と資材をほぼそのまま用いて移築された。
伊勢神宮の社殿は式年遷宮ごと(20年)に解体され、その後各地神社に資材として譲渡される事例はあるが、鹿島神社のように一式で譲渡されるのは珍しい。
さらに、昭和28(1953)年の第59回の式年遷宮における神明造(伊勢神宮の建築様式)の技法を伝える物証として、建築史の観点からも価値が高い。
また、水戸で移築を行った際に施工会社が作成した設計図9点が残されており、神明造による社殿構造が理解できる貴重な資料である。
Kashima Shrine is dedicated to the god, Takemikadzuchi (mythical god of sword), and built by charter from Emperor Ninko after the tentative opening of the Kodokan clan school by Nariaki Tokugawa (the ninth lord of the Mito feudal clan). The Kodokan was officially opened after holding the ceremony of the movement of an enshrined deity to another shrine from the Kashima Shrine in Ichinomiya, Hitachi Province in 1857.It was burned to the ground in an air raid in August 1945, however, at the time of the 60th shikinen sengu (construction of a new shrine and transfer of the enshrined object from the old to the new) of Ise Jingu in 1974, the complete set of old buildings of the Kazahinominomiya (inner shrine, hall of worship, inner gate, and fence), one of the associated shrines of inner sanctuary of Ise Jingu, was especially given, removed, and reconstructed using nearly the same architectural design and materials as that of Ise Jingu.The shrine pavilions of Ise Jingu are taken apart with each shikinen sengu (20 years) and after that, there are cases where they are given as materials to shrines in various locations, however, it is rare for them to be given in a set as with Kashima Shrine. As material evidence of sharing techniques of shinmei-dzukuri (style of shrine architecture based on that of Ise Jingu) in the 59th shikinen sengu in 1953, it is also enormously valuable from the perspective of architectural history.The nine-point layout prepared by the contractor at the time of the removal and reconstruction in Mito has been preserved and is an invaluable piece of material in understanding the shrine pavilion structure based on shinmei-dzukuri.移築中の様子Removing and reconstruction本殿立面図Elevation view of inner shrine.竣工後の鹿島神社After completion水戸市教育委員会●弘道館鹿島神社祭神 武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)創建 安政四年(一八五七)五月九日なりあきれてう由緒 水戸藩九代藩主徳川斉昭烈公)は天保十二年(一八四一)水戸学大道の象徴たる藩校「弘道館」の仮開館に際して、仁孝天皇の勅許を得て神殿を造営し、同十一年(一八四〇)九月構内に武甕槌大神を祀る意志を宣告した、「弘道館記」を真弓産の大理石に彫らしめました。
安政四年(一八五七)五月九日、常陸国一ノ宮「鹿島神宮」の御分霊を遷祀し、斉昭公が自ら鍛えた「葵くずし、八雲鍛え」の太刀を奉納して御神体に擬(なぞら)え、弘道館」に魂を入れて開館となりました。
(太刀は水戸市指定文化財・県立歴史館保管)明治四年(一八七一)一月郷社に定められ水戸市城東二十六ヶ町、並びに茨城郡の内小幡、橋場美新田、先後新田、吉沼、下座、下雨谷、世楽、佐才新田、上吉影、以上九ヶ村を氏子に附けられ、明治十五年一月二十八日、県社に列しました。
武甕槌大神は日本国建国の祖神と聞かれ孔子廟とともに文武兼備の貴神と尊崇され、鹿島神宮には昭憲皇太后、昭和天皇が御親拜されました。
御社殿は、戦災で烏有(うゆう)に帰し、しばらくは仮殿でしたが昭和四十九年第六十回伊勢神宮式年遷宮の折、別宮「風日祈宮(かざひのみのみや)」の旧殿一式が特別謙与され、昭和五十年五月九日別宮一社のすべてを移築した「唯一神明造り」の御社殿が完成しました。
この社殿は平成二十九年二月三日水戸市指定有形文化戦に登録されました。
主な祭祀元旦祭 一月一日 午前零時斉行節分祭 二月節分の日 福引・撤物・縁起物等例大祭 五月九日 神輿の渡御七五三祭 十一月中月次祭 每月九日 午前九時三十分斉行御神德武道練達 勝運招来 学業成就 合格成就家内安全 健康長寿 安産子育 諸災消除交通安全 商売繁盛 財運向上令和三年一月弘道館鹿島神杜。
2月26日の投稿 弘道館鹿島神社では ひょうたんランプ展が開催されています 期間は3月21日までの土日に行われています大変 素晴らしい作品がたくさんありますのでご覧ください。
梅の季節になり観梅がてら参拝し書き置きの御朱印を頂きました。
ひょうたん祭りも無料で見学出来ました。
運が良く御朱印を直書きで頂きました。
神主さんの対応はとても丁寧で親切でした。
(あと何故かあめちゃん貰いました)
2022年9月、弘道館と鹿島神社のスタンプで、絵葉書をもらえます。
弘道館記碑の絵葉書でした。
徳川斉昭が弘道館の隣に、常陸国第一宮である鹿島神社から分社して作った。
意外と小さい神社。
参拝者は神社の前まで車でいけます。
弘道館に行ったついでに寄ってみた。
徳川斉昭公が建立した神社とのこと。
水戸市の指定文化財になっているけど何だか寂れた印象。
相変わらず神社仏閣の良さは分からない。
弘道館で水戸城の御城印を購入して訪問。
弘道館の下足棚の上にスタンプ用紙を持って行くと、帰りに弘道館入場券販売城でポストカードが貰えます。
御朱印は書き置きが二種類と限定版は何故かポストカード。
ポストカードじゃない限定版にして欲しかったかな。
2021年12月6日(月)に水戸市の街歩きで訪れた。
弘道館敷地内、社格は旧県社。
弘道館公園の一角に鎮座。
ココに訪れる為に、入場料を払い、弘道館に入ったが、その外側。
(公園内なので料金は関係ない)弘道館の売店で聞いたら、滅多に社務所に人いないようです。
訪れた時は運良く社務所は開いていて、書置き御朱印頂きました。
瓢箪ランプの展示会をやっていました。
幻想的かつ精密な技巧に驚愕。
徳川斉昭公が藩校弘道館を開設するにあたって建立した。
弘道館の裏手にある。
梅林、八卦堂、要石歌碑等もあり、参拝後に散策しましょう。
参拝をして瓢箪アートを見学しました。
本殿が伊勢神宮の式年遷宮のおり特別に譲渡されて、造営されたものです。
梅の綺麗な時期に来てみたいです。
桜も咲き始め 散歩に最高。
間近に公園もあり、また『お花見』に来たいなぁ。
良いのですが個人的には若干違和感。
御朱印あり。
比較的こじんまりとした神社でしたが厳かな佇まいを醸し出してました。
梅に囲まれていて2月頃訪問すれば綺麗でしょうね。
水戸斉昭公が弘道館開校の折に開いた神社のようです。
徳川斉昭が神儒一致の建学思想の象徴として、常陸一ノ宮である鹿島神宮の武甕槌神(たけみかづちのかみ)を分祀して建立した神社です。
決して大きくはなく、華美さもありませんが、質実剛健な弘道館とのバランスが取れています。
単体の神社として評価するなら、遠くから来てわざわざ参拝するほどのものではなく、評価としては☆二つにとどまりますが、弘道館の歴史と水戸学の思想に深くかかわる神社です。
弘道館に来たならば立ち寄りをお勧めします。
神明造りの神社で、弘道館正庁の西にあり、入館料不要のエリアにあります。
このエリアには神社のほか、八卦堂・要石歌碑・学生警鐘・孔子廟の楷の木があります。
安政四年(1857),徳川斉昭により宮鹿島神社の御分霊を遷祀とあるので,場所・規模的な期待感に反して,思ったより歴史は浅いと思われました。
太平洋戦争の空襲で社殿は焼失してしまったが,伊勢神宮の旧殿一式が特別譲与されて,伊勢神宮独特の「唯一神明造り」の社殿として再建されたそうです。
梅祭りの時にはヒョウタンの催し物がやっており、幻想的でとてもいいですね。
社殿は水戸空襲により焼失し昭和49年に伊勢神宮式年遷宮の時に伊勢神宮別宮「風日折宮」の旧殿一式が特別譲与され、昭和50年に再建された由緒あるものです。
形状も独特で趣があります。
御祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)で鹿島神宮から勧進されたそうです。
社務所は常駐では有りませんので御朱印を目当てに参拝されるかたはご注意ください。
また、ここで売っている梅干しは昔ながらの梅干で美味しいです(゚Д゚)ウマー
名前 |
鹿島神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
029-224-4647 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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とても良い神社です。
閉まっていたので御朱印が受け取れませんでした。