この門までは行くことができます。
2024年6月17日 現存の門として見どころがありました。
学校の敷地内ですが見学は許可されていました。
この城門は、旧水戸城の現存するただ一つの建造物との事。
学校施設内で、この領域だけ見学OK。
水戸城本丸跡に移築された唯一の建造物の遺構です。
堂々とした風格があります。
建造の時期は安土桃山期頃と推定されています。
この城門は、旧水戸城の現存するただ一つの建造物で、 形式は正面の柱の闇が三つ、出口は中央だけの三間一戸の薬医門、二つの脇扉がついている。
薬医門とは、扉を支えている本柱とその後にある柱(控柱)で 支えられた屋根の棟の位置を、中心からずらす形式で、側面の姿は対称形ではない。
正面から見ると、軒が深いため門はゆったりとして威厳があり、大名の城門にふさわしいので、多くつくられた。
建立の時期は、構造や技法からみて安土・桃山期と推定される。
建物の各部分に開いてある木材の大きさの割合、 すなわち木割は太く、屋根面の相交わる部分に用いてある木材(棟木)は見えるようになっている化粧棟木で、棟木 を支えるとともに装飾となっている板蟇股は雄大、また化垂木の端の反り増しの技法、柱の上にあって軒桁を支えている横木(実肘木)やえぐって曲面にした板蟇股の部分 (繰形)の形状などからみると、おそらく佐竹氏の時代( 一五九一~一六〇二)に創建され、徳川氏に引き継がれたものといえよう。
城門のあった位置には諸説があるが、城門の風格からみて橋詰御門、すなわち本丸の表門と考えられる。
永らく城外に移されていたが、昭和四十五年四月十七日、水戸市指定建造物となる。
昭和五十六年九月、この城門にふさわし い旧本丸の入口に近いこの場所に移築復元した。
その際かやぶき部分補修をするとともに、切妻造の屋根をもとの茅葺にかえて銅板葺とした。
【現地案内板より抜粋】現在は大手門が復元され、すっかり一般的な水戸城のシンボルが移った感じですが、数年前までは水戸城と言えば薬医門でした。
風格は堂々たるもので、他の復元と合わせて、唯一の現存移築遺構として、今以上に脚光を浴びて貰いたいと思います。
『夜梅祭』で散策して、初めて訪れました。
明るい時間に、またゆっくり訪れたいと思います。
立派なもんです。
高校がありますが、門の見学はできます。
水戸城本丸跡に移築復元されているのが数少ない水戸城の遺構、薬医門。
切妻造、茅葺風銅板葺きの薬医門の建築された年代は定かでありませんが、戦国時代末期、佐竹義重・義宣父子の水戸城居城時代、つまりは豊臣秀吉の小田原征伐以降、関ヶ原の合戦以前に建てられたものと推測されています。
この門の旧位置については、形式と規模そして風格からみて、本丸橋詰門とするのが適当と思われます。
明治20年(1887)頃と昭和19年(1944)の2回、水戸市内で所在を変えて移築されましたが、昭和56年(1981)に、水戸城本丸跡地である県立水戸第一高等学校敷地内(旧位置近く)に移築復元されました。
水戸城で現存する数少ない建造物の1つ。
なかなか風格のある門構えで見応えがあります。
(本丸表門の橋詰門だったとも言われています。
)建築されたのは安土桃山時代と推測されていますが、現在の場所に移築復元されたのは昭和56年との事です。
どうせなら、屋根は茅葺のままの方が良かったと思います。
(^o^;)
その後秋田に行った佐竹氏の頃の築とのこと。
移築とのことだが元にあった場所に戻せばもっと味わい深いものになるかと思います。
かつてのオリジナル門が水戸第一高校の敷地内に移築されています。
校門を入ったすぐのロータリーの左側にあり、見学だけなら普通に見ることはできますが、授業中の高校内に立ち入るドキドキ感があって落ち着きませんでした。
薬医門とは鏡柱·控柱·冠木を大きな屋根で覆った形式の門です。
門扉が雨に濡れぬよう、屋根が少し前方にずらしてのせられています。
平屋建ての門では最も格式が高いとされています。
さて、この城門は水戸城で唯一現存している建築物です。
他は戦災によって焼失してしまいました。
現在は水戸第一高等学校の敷地内(水戸城本丸跡地)に移築されています。
元々は二の丸から本丸に通ずる橋詰門だったといわれています。
高校の敷地内にあるのですが、見学者は手続きなしで入ることができます。
入口辺りに学校関係者と史跡見学者以外の立ち入りを禁ずると看板が立っています。
つまり誰でも入れてしまうということ。
防犯的に大丈夫でしょうか笑。
R3.0410登城 水戸城唯一の遺構。
薬医門 門柱の後ろに控柱が二本設けられた門です 一説には矢からの攻撃を食い止める『矢食い』からきたとも言われていますね 医師の門で使われたとの説も 門の脇に木戸を付けていつなんどきでも出入り出来るようにとの説もあるみたいですね✨ 水戸城本丸跡地に移築復元工事された水戸城の遺構 薬医門 切り妻作り 戦国時代末期に佐竹氏一族が建築されたと言い伝えられています。
茨城県の文化財指定されております 水戸第一高等学校の敷地内ですが 史跡見学の目的ですと敷地に立ち寄ることが出来ましたが… 時節柄 コロナ禍ですので 緊急事態宣言が解除されるまでご遠慮したほうがベストかと…思います、早期に緊急事態宣言が解除せれることを切に願わせていただきますね🌱ら。
茨城県立水戸第一高等学校に所在します。
この付近、きれいに整備されていて、写真撮影に来ている人がちらほらといます。
水戸城の現有する唯一の建造物。
薬医門というのは門の形式なのを案内板で知りました。
学校の敷地内にあるので見学時は気を使っちゃう。
学校の敷地内だが史跡見学目的なら入って良い旨の看板があった。
貴重な遺構だね。
ありがたいね。
水戸一高内にある水戸城で唯一残った門です。
敷地内にも関わらず、自由に見学ができます。
当時を偲ぶことができる唯一の建造物として価値はあるんでしょうが、学校の立派な入り口的な雰囲気でちょっと寂しい。
水戸城の現存する唯一の建築物だそうです。
立派な門で弘道館を見学の際はこちらも見てはいかがでしょうか。
唯一現存する当時の門、木造の立派な門です。
水戸第1高校の中にあります。
少し入るのに躊躇いますが、学生さんも慣れたもので平然と受け入れてます。
橋詰門とされる薬医門です。
雨を避けるために中心をずらしてあります。
高校の敷地ですが史跡見学者は立ち入り可能との表示があり、この門までは行くことができます。
水戸一高の校門なんて知りませんでした。
私服の水戸一高生徒がくぐって登下校します。
何と風雅なのでしょうか?
この門は必見ですな!
国指定重要文化財 旧水戸城薬医門。
水戸一高の校内に有りますが自由に見学できます。
まあまあ、移築されたもの。
茨城県立水戸第一高等学校の北西側の中にあります。
名前 |
水戸城 薬医門 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
029-244-5454 |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

茨城県は水戸市に有ります「旧水戸城薬医門」です。
今は水戸城本丸跡の中に有ります。
「旧水戸城」と言う名称のとおり、水戸徳川家時代より前に建てられたものです。
しかしながら水戸徳川家はそのまま本丸の正門として利用していた様です。
徳川家が本丸の正門として利用していましたが、徳川幕府滅亡後は城外に移されていました。
昭和時代に今のこの場所(本丸跡の中)に戻されました。
恐らく当時は、本丸入口(今は学校の入口)の谷になった自然の要害付近に木製の橋がかかり、そこに有ったのかなという事が想像出来ます。
この薬医門は16世紀末(1500年代末)の佐竹氏の領有時代に建てられた門だそうですね。
ここ水戸城自体は平安時代末期に、桓武平氏である馬場氏が最初に築城したらしいです。
馬場氏は平国香の後裔との事です。
因みに平清盛も平国香流ですね。
馬場氏が最初に築城し、常陸江戸氏(藤原氏)、佐竹氏(源氏)、徳川氏(自称•源氏)と言った感じで在城主は変わって行きました。
因みに、ここ薬医門は旧水戸城で唯一の現存の建造物らしいです。
やはり…シンプルな中にもどっしり感が有り、なかなか良い造りですね。
きっと…水戸徳川家が造ったなら、もっと派手で立派な物になっていたでしょうね。
佐竹氏時代ですから質実剛健というムダの無い造りでした。
皆さんも是非にブラリと訪れてはいかがですか。