徳川御三家の一つである水戸家の居城です。
あちこちが復元されていてて城跡全体が真新しい感じで自分的には食指が動きませんでした。
城の歴史としては平安時代にさかのぼり当初は馬場氏の居城となり馬場氏を追いやった江戸氏の居城となり1590年佐竹氏が水戸城を強襲し江戸氏を追いやり江戸氏は滅亡しました。
その後は徳川家の城として徳川頼宣公が封じられ以後御三家の居城として明治を迎えます。
水戸城址の旧県庁前のお堀の銀杏が、見事に紅葉していました!11月30日時点ですが、落ち葉の黄金の絨毯が敷かれて、この素晴らしい景色を見るなら今ですよ!空堀の緑と銀杏の黄金色の対比が、とっても美しく必見です!
日本100名城です。
スタンプは弘道館受付窓口にあります。
弘道館横に無料駐車場あります。
大手門、門、二の丸隅櫓などが復元され土塁やお堀も整備されていて見応えがあります。
弘道館がある三の丸は県の施設などがありぐるっと土塁とお堀に囲まれてます。
現存、重要文化財の弘道館内部は資料館になってます。
正門には銃弾の穴が残り、戊辰戦争で恭順した15代将軍徳川慶喜が過ごした部屋も公開されてます。
二の丸の敷地には学校や幼稚園がいくつもあり、その間を縫うように見学コースがあります。
日本最大級の土の城。
堀が凄い。
■見どころ:弘道館、偕楽園、堀、曲輪、門、復元櫓など■バイク置き場:弘道館駐車場■スタンプ置き場:弘道館券売所。
最近になりいろいろ復元がされ、水戸駅前からでも二ノ丸角櫓を見ることができるようになりました。
三ノ丸跡内にある弘道館周辺も門や土塁も復元されている。
弘道館前の大手門も復元されています。
土塀も復元されているのですが狭間などなく、昔からなかったのかどうか?復元をしなかったのかがわかりません。
良く整備されたキレイな地区で落ちいて観光出来ます。
最盛期の水戸城が天守閣含めて残っていれば、大阪城のような勇姿を見せてくれたことでしょう。
幾分細かい感想をひとつしたためる。
本丸は名門水戸一高の敷地になっているが、立派な医薬門の周辺だけ外部にも立ち入りを許されている。
杉山門は当初建てられたら場所外までは舗装された道路となっているので路肩に移築されている。
二の丸は教育機関の敷地になっていて、水戸三高や茨城大付属小などが並んでおり、在りし日を見せようと、白壁が瓦を連ねている。
考彰館の跡地に石碑が建つ。
近隣の弘道館、偕楽園と併せて一見の価値はあると個人的には感じる次第だ。
日本100名城の14番徳川御三家の一つ水戸徳川家の城。
土塁と空堀で構成されているので石垣などは期待できない。
復元された大手門と現存する薬医門が見どころ。
弘道館の方も是非見てほしい。
幕末当時の教育機関である藩校で歴史に想い耽るにはとてもよい所。
水戸藩のお城。
弘道館や薬医門、復元された色々な門が見学できます(^^)。
巨大な堀を観てきました🤗 一般的に城郭の堀には水堀と空堀があるが、鉄砲の発達により深さではなく、幅を広くすることを促した😵 水戸城の基礎は常陸の戦国大名 佐竹氏によって築かれた土造りの城である。
河岸段丘を空堀によって分断し曲輪を構えているが、土造りの堀としては幅、深さともに最大級であろう🤔 今でも戦国時代の築城技術を確認することができるよ。
でもね😁 現在まで堀を支えているのは雑草と樹木ですから~🤭 堀の中を鉄道と県道が走ってるから、いかにデカイかを確認出来るよ😉 まっ その他は市街地だから、そこそこだね😁 堀最高🤗 観てるだけでタイムスリップしたかと想える🤗 水戸城見学は【堀】だよ~🤭 いい旅でした🤗 あっ 御城印は売れすぎて欠品中だぞ😵 現在増印中だ🤭
昨年、復興した水戸城大手門・二ノ丸櫓を散策🏯(日本最大級の土塁で築かれた城)(江戸氏→佐竹氏→徳川氏、大名が変わる毎に水戸城が拡張普請された)大手門の威風堂々とした雰囲気に呑み込まれそう。
門をくぐれば、県立高校・幼稚園等、教育機関関連施設の中を歩いている感じ。
二ノ丸櫓は学校敷地内を通らないと行けない感じに見えたので、遠慮して京成ホテル側から撮影📷️櫓の見学が出来れば最高でした❗
徳川御三家の城。
規模が大きいです。
見どころは、大堀切り、復元された大手門、幕末に作られた弘道館幕末の水戸天狗党の銃痕が残っている門があります。
慶喜が上野寛永寺で謹慎した時に使った長持とか徳川光國の大日本史の原本などのお宝が展示されていて感動します。
紅梅と白梅が大変美しいです。
水戸一高の中の薬医門。
水戸城は、石垣の無いお城です。
大手門の下の堀は、JR線の線路になっていますが50メートル位もある深さです。
水戸城にあったもので当時のまま残ってるのは薬医門。
空堀は水郡線と道路の通り道。
二の丸跡と三の丸跡、御三階櫓跡は学校に変わっている。
学校の壁は城壁風になっていて、雰囲気がいい。
遺構はあまり残っておらず当時を想像させるものは空堀跡くらいでしょうか。
今は鉄道として活用されてるこれも本丸の空堀らしいです。
現存している建物は少なく、お堀であった所は線路や道路になって面影がありません。
しかし、整備し復元する計画があるようです。
それはそれで楽しみです。
水戸城薬医門は県立水戸一高の敷地内に建っています。
ちょうど卒業式の時だったようで、記念撮影していました。
水戸藩は藩校で文武両道に力を入れていたといいますので、多くの若者達を見守ってきた門なのかと思うと感慨深いです。
本丸、二の丸、三の丸で構成されているが、今は学校などの公共施設で占められていました。
そのため観光客が出入りできる場所は限られており、見学に多くの時間はとられないと思います。
水戸城二の丸展示館に行けば、お城の立体模型が展示してあるので当時の様子がよく分かります。
近世の城としては珍しく石垣がないお城かも。
遺構は空堀と薬医門のみと寂しいですが、城の郭がひとつひとつ空堀で区切られており、お城を一周歩いて高低差を感じ、お城の雰囲気を感じてみてはいかがでしょうか?近く大手門が再建されるらしく工事中でしたが、結構立派なものができるらしいですよ。
水戸城跡は各所にポツポツと遺構がある感じなんで付近をあれこれ歩き周って散策する感じ。
主要箇所をぐるーっと周って約90分。
三ノ丸のお濠はなかなか綺麗な形であり見所である。
薬医門に向かう手前の大堀切も規模が大きいし、薬医門は立派な門だ。
あと付近は再建ラッシュみたいで大手門ともう一つ門が再建中。
かつ付近はかなーり整備されており資料館なんかもできていた。
100名城スタンプは弘道館の受付でもらえますよ。
と、あれこれ書いたがやはり特筆点が少ない城跡だな。
あれこれ再建しているもののやはり水戸城のイメージがかなり掴みにくかった。
天守閣もなければ、櫓もないです。
城跡なので、仕方がないですが…。
堀は凄い深くて驚きました。
線路が引いてあるので、近代的です。
城跡に学校や幼稚園が建ってしまっているので、古今入り交じりの変な感じがしました(笑)門を建設中なので、出来上がったらまた雰囲気が変わるかなと思います。
駅近で、綺麗に整備されてる、散策にいい場所です。
(2018/08月時点 大手門が整備中)弘道館といった歴史的建造物もありますが、天守閣といったわかり易いものを求めている方には物足りないかもしれません。
小さいですが資料館がありますので、水戸の歴史に触れてみてはいかがでしょうか。
小学校なども景観に配慮していて素敵です。
("水戸黄門"ノ像から続き)お金がないので青春18切符を買って日帰り×5日旅を企画しました。
そのうち1日はなんの予備知識もなくお城巡り。
水戸駅に着き駅前の黄門様御一行の像ででテンションが上がりテレビの影響で「きっとすごいお城なんだろう」という妄想のもと水戸城まで歩いていきましたが、ほぼ何もありませんでした。
それらしい(城跡)ものが少しあるけど、学校が建っていてあまり観光地っぽくないような印象でした。
お堀跡と思われる場所には電車が走っていました。
最初はちょっとガッカリ、でも、付近を散歩しながら残る旧跡を見ていくうちに確かにここにお城があったんだなと思えなかなか感慨深いものがあり来てよかったと思いました。
その後、水戸線に乗り小山城へ向かいますが…(小山城へ続く)
徳川御三家の一つである水戸家の居城です。
当時、水戸藩主は江戸にある徳川屋敷で暮らすことが多かったので、御三家の城としてはどうしても規模で劣ってしまいます。
しかし、現在もその遺構は各所に残っており、かなり見ごたえがあると思います。
弘道館の向かいの大手橋を渡ると水戸城址ですが、薬医門を除き、昔の建造物は何も残っていません。
幕末の激しい藩内抗争(弘道館戦争)や明治の廃城令で焼失・損壊したのに加え、昭和20年8月の水戸空襲によりとどめを刺され、ことごとく消失してしまったそうです。
しかしその跡地は商店や住宅街にはならず、ほぼ全ての区域が学校になっており、しかもスクールゾーンながら城郭の雰囲気を保っています。
大手橋から先は、ところどころに看板や石碑、復元された門等が建てられています。
大手門から順に、「二の丸御殿跡」(看板のみ)、「二の丸展示館(旧彰考館跡)」「三階櫓跡」(看板のみ)、江戸時代から生き残っている「シイの巨木」(樹齢400年)、北側の登城口であった「杉山門」(復元)…等。
更に進んで本城橋を渡ると、本丸の跡です。
ここは現在水戸第一高校(茨城では一番の進学校)となっており、城の遺構である「薬医門(橋詰門)」があります。
この門は長らく城外に移築されていたので焼失を免れ、現存する唯一の水戸城遺構なのだそうです。
学校の敷地内ですが見学させてもらえます。
尚、本城橋を渡らずに右折すると南側の登城口である「柵町坂下門」(再現)があり、そのまま坂を下っていくと「光圀生誕の地」や水戸駅に続いています。
現在、水戸城の建造物を復元整備しよう!という計画があるようですが、焼失前の水戸城が復元するほど立派だったかというとそうでもないようです。
天然の地形を巧みに利用して縄張りされていますが、石垣が全然なく(土塁と空掘だけ)、天守も建てられませんでした。
全体に質素なお城だったらしく、よく言えば水戸藩の気風を表していたと言えるでしょうか。
城の最終形を造った時には既に戦国時代が終わって平和な時代となっていたこと、苦しかったと言われる財政上の理由に加え、水戸藩主は参覲交代の義務がなく殆ど江戸に常駐だった為、水戸のお城にはあまり気合を入れてなかったのではないかと思われます(江戸の藩邸跡である小石川後楽園と比べると…ですが) 。
水戸に残された水戸藩の遺産はハードよりも別のところに魅力があると思うのですが、残念ながら観光用にアプローチされてはいないようです。
また、水戸は全体的に商売っ気が乏しいので、ここも含め観光スポットの近くにはお土産屋や飲食店、観光案内所などが整備されていません。
お土産買うなら駅ビルへ。
尚、三の丸西側のお堀は立派な土塁が綺麗に残されており、特に桜の時期は風情があっておすすめです。
水戸黄門でお馴染みの徳川光国が2代目藩主となった光国の長男は、香川県高松市(現在)の光国の兄の松平頼重の養子として後を継ぎ2代目高松藩主に成った松平頼重の長男は、弟の光国の養子となり3代目水戸藩藩主に成った水戸藩と高松藩は、これを繰り返した(交代交代で良い目をする)光国は、知恵者光国が財産の多い水戸藩を兄を差し置いて継いでしまった事を気兼ねして兄の子孫も良い目ができるように弟としての配慮兄弟がいがみ合ってたらまずできない兄弟愛‼は、現代まで語り継がれる。
城跡は、幼稚園、小学校、中学校が建っております。
他の100名城に比べて見どころ低く星⭐️1個です。
御三家の一つ。
今は跡地は学校を始め各種施設になっています。
遺構は余りありませんが、薬医門と弘道館が遺されておりますこの二つの建物も合わせて、この評価にさせて頂きます。
水戸城復元のため、水戸城跡に城壁など再現しました。
現在は付属小学校、幼稚園・水戸第2中学校・水戸一高・水戸三高が集まって水戸学を思わせますね。
桜の季節には城壁などから桜も見られて風情があります。
とてもきれいになりました✨✨驚くほど美しい水戸城址になっています😃水戸駅から徒歩で数分のところに位置します。
残念ながら水戸城址は高校や中学校に姿を変えてますが、弘道館へ続く道を○億円かけて整備しただけあって見ごたえがあります😃残念なのは他の城址と違って学校なので、観光地という感じではないところ。
お土産やさんや物産展なども近くになければ、楽しみも半減してしまうのでは、、?頑張れ茨城❗
名前 |
水戸城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
029-306-8132 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
遺構は堀、土塁など。
大堀切は見どころがある。
弘道館は絶対行ったほうがいいよ!!最近は門、櫓が復元されたから行くといいです!