旧水戸七社の一つに数えられた由緒ある社。
備前堀を散策しようと前を通りかかったところ、竃の文字が目に飛び込んできてちょっと眺めさせて頂きました。
常時受付しているのかは分かりませんが社務所がありました。
由緒書によると何度か遷座してここに落ちついたようです。
火の神、かまどの神である三宝荒神様を祀っているようです。
2021.10.2.参拝吉田神社から徒歩10分少々で到着。
「備前堀」と云うお堀沿いに在る小さな神社。
参拝後、クチコミでみた宮司さん宅はもしかして右手の住宅か?お留守の様なので、御朱印は断念。
お堀に沿って市杵姫神社へ。
因みに鬼滅の刃とは関係ありません。
こんなとこに神社⛩があるとは。
知らなかった。
備前堀の脇にある。
三宝荒神竈神社。
竈(かまど)が読める人凄い。
水戸七社の一つで「おかまさま」として農村部の信仰を集めた神社。
火の神様として民衆に親しまれた神様。
古くから水戸城内に三宝荒神として祀られていましたが、1690年(元禄3年)に徳川光圀の命により現在の場所に遷され、さらに徳川斉昭によって三宝荒神から竈神社と名称が変えられました。
会社の氏神様です。
コロナが終息するよう、どうかお力を貸してください。
水戸市本町に鎮座する神社です。
奥津彦命(オクツヒコノミコト)、奥津姫命(オクツヒメノミコト)、中御方命(ナカミカタノミコト)が御祭神として祀られています。
【由緒沿革】※頂いた御由緒書きより創立は不詳。
初め三宝荒神と称し、旧水戸七社の一とされ水戸城猪山東部に鎮座。
寛永三年(1690年)水戸藩主徳川光圀公が社名を竈神社と改称。
明治六年四月一日村社列格。
同四十年三月八日供進指定。
昭和二十七年十二月十日宗教法人設立。
昭和二十年の戦火にて社殿焼失。
昭和四十四年社殿再建する。
この神社は農村方面の信仰が篤く、「おかまさまの様」の愛称で親しまれる。
四季を通じ神札を今も受けている。
竈をつかさどる神で、日常生活に欠かす事の出来ない竈神である。
(命をつなぐ大事)穢れに敏感であるとされ、その意に反する行をすると激怒して恐ろしい祟をなすと信じられ、荒神とも呼ばれている。
火所を守護する神聖な神である。
神社境内正面より右手には由来碑がある。
大正十四年十一月菊池謙二郎撰文拝書再建碑を備前堀側より現在の位に建てる。
とあります。
御神木は水戸市の保存樹に指定されています。
駐車場は、少し分かりにくいですが神社裏手にあり、近くには公園もある、良い環境の中にある神社です。
もちろん、神社自体も雰囲気のあり、穏やかな空気が漂い大変居心地が良い空間でした。
裏手、備前堀にかかる橋の名前も、こちらの神社と関係があるのでしょうか。
気になりました。
御朱印は、お隣の宮司様宅にて拝受出来ます。
またお参りさせて頂きます❤
宮司サン不在で御朱印は頂けず。
ここに生えてる保存樹見方ではラピュタの大樹に似てるので一度足を運んでその目で確かめてください。
お祭りの日だったです、よい神社さんでした。
始めは、三宝荒神(仏・法・僧の三宝を守護する神)と称し、旧水戸七社(竈神社・吉田神社、水戸神社、酒門神社、笠原子安神社、愛宕神社、国見神社)の一とされ、水戸城地内に鎮座していたが、寛永3年(1626)に赤沼(現在の城東)に移り、元禄3年(1690)には光圀により竈神社とされ、現在地に遷座された。
御祭神は奥津彦命・奥津姫命・中御方命である。
民草には、おかまさまの愛称で、火の神・かまどの神として慕われているそうです。
三宝荒神とあるので、元々は仏教系の神様のようです。
旧水戸七社の一つに数えられた由緒ある社。
国道51号線から県道180号線を南下すると西側に有ります。
名前 |
竈神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
029-226-5896 |
住所 |
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評価 |
3.6 |
三宝荒神とは仏・法・僧の三宝を守護する神であるが、民間では火の神・かまど神とされた。
竈神社も「おかまさま」と呼ばれ広く信仰されている。