お正月とえびす講は大変賑わう神社です。
雰囲気が良い神社でした。
静かな佇まいで落ちつきました。
織姫神社から近い場所にありましたので寄らせて頂きました。
西宮神社(にしのみやじんじゃ)御祭神 事代主命・蛭子命境内社 稲荷神社(宇迦之御魂命) 秋葉神社(火産霊命) 神明宮(天照大御神) 八坂神社(須佐之男命) 山神社(大山祇命)由緒慶長八年(1603)摂津西宮大神を勧請して創建しました。
安政二年(1855)暴風で倒壊、仮の本殿を建築しました。
明治十二年(1879)山神社を合祀しました。
大正七年(1918)社殿改築しました。
(「栃木県神社誌」平成十八年版参照)足利町字西宮鐵座 無格社 西宮神社社傳に曰く貞享二年(1685)代官笠原七郎平當町商買繁榮のため勸請する處なり其時社地として東西七間半南北三十一間除地とし代官より寄附せられ元文四年(1739)本社を再建し天明四年(1784)四月拜殿を再建す今に神威赫灼參拜者の迹を絶たす毎年の例祭には數千人の信徒協同して賑へり今の社掌か孫紋一郎之かため繁榮講社を結成し目下遠近に講社員を有する八千餘名毎年春秋二期に大講會を開き社員の繁榮を祈り御神符神影神饌を配付するを例とし二十五年秋より今に盛むなり社寶には正親町中府將實徳卿の筆神號の扁額天保七年(1836)十一月奉納及ひ古鏡一面を藏す社域百三十九坪にして里俗鏡岩と稱する丘陵の崖下にあり前に足利街の西端を望み右手に瓦山と稱する岡陵を眺む此處には松の一叢ありて緑の枝振面白く宛かも一幅の活畫を親るか如とし境内には伊勢大神宮の御分靈を祀る其の後に一基の碑ありて句を刻せり「たもふもの所を得たし夷講」(「下野神社沿革誌」明治三十五年より)足利七福神「恵比寿神」西宮神社西宮神社は、江戸幕府ができた慶長八年(1603)代官小林重郎左衛門が摂津国(兵庫県)の西宮神社を勧請し創建しました。
商売繁盛、財福清廉の「福の神」としての恵比寿神の神徳は関東一円にわたり、関東総社として多くの人々の崇敬を集めています。
昭和五十年(1975)には、鎮座四百年祭が盛大に行われました。
十一月の秋季大祭は十数万余の参拝者で賑わい、1kmの参道を、お宝売りをはじめ、さまざまな店が並びます。
境内の神楽殿では御神楽の奉納も行われ、近郷最大の名物行事となっています。
(境内案内板より)
裏の駐車場に車を停めた キレイな建物があり何やらやっている 裏が学校か? 声がする恵比寿様を祀っている が、閉まっていて拝めない‥ 仕方ないからお賽銭をし、手を合わせる摂末社が立派だ! お賽銭出来なかったが、手を合わせる 奥の砂利道を下り、駐車場へ。
西宮町に有る西宮神社。
毎年、えびす講が開催されていて、福居町のえびす講と同様、沢山の人が出ます。
神社周辺の道路には、沢山、露店が出て、幸せを掻き集めるとされる熊手が売っています。
静かな佇まいです。
歴史が感じられます。
毎年、11月19日から20日の2日間にかけて、えびす講が開催されます。
この2日間はかなりの参拝者で賑わっており、商売繁盛の熊手はもちろん、たくさんのお店が軒を連ねてます。
お正月とえびす講は大変賑わう神社です。
階段を登っていくとあります。
この時期だと御朱印も書いてもらえます。
毎年11月19日と20日にあるえびす講は屋台もあって楽しいです。
足利七福神巡りの恵比寿様がいる神社。
七福神色紙は鑁阿寺近くの太平記館で1枚900円。
恵比寿様のスタンプは社務所入り口にあります。
慶長8年(1603)徳川氏の代官風祭太郎左衛門が領地繁栄のため産業の神様摂津国西宮大神さまの分霊を祀ったのが創建。
足利藩が誕生(1705)すると地元有志で結成された祭祀世話人会の人々によって今日まで守り続けられています。
毎年11月19日20日に行われる「恵比寿講」の際には、開運や商売繁盛を願う人で賑わいます。
足利七福神巡りの恵比寿様がいる神社。
七福神色紙は鑁阿寺近くの太平記館で1枚900円。
恵比寿様のスタンプは社務所入り口にあります。
奥の院に入ると 一瞬 空気が変わります 足利市役所を起点にサイクリングと行くと 平坦な楽な道です。
こじんまりとした神社です。
名前 |
足利西宮神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0284-21-6790 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
えびす講の季節以外は静かで落ち着いた神社です。
織姫神社のすぐ西側に位置してご利益も高いかも…‥