遠くからでも目立つ給水塔の横が城跡です。
鹿背山城址に行くのにここに車をとめて歩き帰りによったのですが、四方に見張り台があり見晴らしもよくめっちゃ良かったです。
主郭周囲を低い土塁が囲む。
主郭は雑木など伐採され見易い。
横堀、土橋など明瞭に残る。
城の規模からすれば広大で単純な縄張りの主郭などは地域民の避難用シェルターだったんではと想像してしまう。
ラジオで、お城マニアの方の情報でいきました。
石垣らしいものもない。
お堀らしいものはありました。
結構低い山でした。
弁当持って軽い心持ちで行ってはどうかしら?
木津城址公園駐車場からの階段を利用するのはややきつく、貯水塔からの方が良いかも。
駐車スペースは5~6台といったところ。
眼下に拡がる眺めは大変素晴らしいです。
削り残された。
主郭土塁・横堀・土橋は残る。
運動公園内にあります。
単郭の小さな城ですが、土塁や土橋・空堀など見所はけっこう多いです。
曲輪も草木がきれいに取り払われているので、非常に見やすいです。
駐車場から運動がてら登る事ができます。
遠くからでも目立つ給水塔の横が城跡です。
JR木津駅からも見える城山と呼ばれる小高い山の上にある単郭の城跡。
応仁の乱によって、室町幕府の守護大名らの覇権争いが激化する中、地元農民や在地土豪が生活を守るため、近くで合戦が始まると周囲の高台や丘陵上に設けた砦や城館に立て籠もったものの一つと考えられています。
曲輪部分は木々が伐採され見易くなり周囲を土塁と空堀で囲まれ2つの土橋で出入りしていたようです。
それらの遺構は良く原形を残しています。
景色が素晴らしい。
築城年代は定かではありませんが永禄年間に篠原肥前守自遁によって築かれたと言われています。
本能寺の変後に、長宗我部元親が桑野城主東条関之兵衛を置いて守らせました。
しかし、天正13年(1585年)羽柴秀吉による四国征伐により落城しました。
現在は木津城山公園になっており、山頂に曲輪が残っています。
約5分で主郭部。
階段が整備されておりとても登り易い。
主郭部に説明板あり。
城跡碑はなかった。
主郭部の周りに土塁、土橋、堀切が良好な状態で残っている。
想定外に遺構が残っているので嬉しい誤算。
それ以外の遺構は近隣の開発によりすべて破壊されているが一部でもこうして残してくれているのは嬉しいね。
お手軽に中世山城の遺構をみれる、という点では初心者向けの城跡であるといえよう。
周りは開発され過ぎえっと思う、単廓の山城。
周囲を巻く土塁と横堀・土橋は良好に残る。
名前 |
木津城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
木津城址公園から少し階段を上ると木津城址に着きます。
北~南西側は奈良街道と生駒山脈までの木津川流域を一望でき、北東側にはすぐ近くに鹿背山城があります。
昔、このあたりに木津氏という郷士がいて、木津伊予守という人が、鎌倉時代末期の1331年、笠置山の後醍醐天皇の元に参じたという記録が足助重範の吐師川原連判状にあります。
城自体はいつ作られたかは分かりませんが、もともとはその木津氏が築いた城だそうですよ。