池田は徳川家康から天竜川渡舟の特権を与えられ近代ま...
池田の渡し歴史風景館 / / .
2021/04/25長藤見に来たついでに名物どぜう鍋?というのが気になった。
古くから、池田は徳川家康から天竜川渡舟の特権を与えられ近代まで繁栄していた。
こうした池田の渡しの歴史を模型などで展示紹介し、徳川家康が池田の渡船衆に与えたとされる朱印状のレプリカなどが展示され、池田渡船の歴史が分りやすく紹介されている。
また、天竜川の堤防にでる右手に「池田橋の跡」の石碑がある。
池田橋は明治16年(1883年)に架橋された賃取橋であった。
堤防を歩き南下すると「池田の渡船場」を河川敷に再現した池田の渡し公園があり、長藤祭りに渡船体験イベントが行われる。
入場無料、無人のこじんまりとした資料館です。
江戸時代の天竜川は大井川と異なり渡し船による渡河ができ、ここ池田と対岸の船越一色の間を結んでいました。
磐田側はここ池田の独占事業でした。
これは、徳川家康が三方原の合戦の前哨戦だった袋井木原畷~磐田一言坂の合戦で武田信玄と相対するも敗走、ほうほうの体で浜松に逃げ帰りますが、その際に池田の住民が家康を舟で浜松側に送り届けた一方、武田軍に見付からないように舟を隠し、家康を危機から救いました。
その時の恩を渡船独占権として池田の人々に報いたのだそうです。
渡し船の乗り降りする渡船場所は磐田側と浜松側でそれぞれ三ヶ所あり、水量が増加するほど上流から乗船したそうです(川の流れが早い為、下流に流される事を考慮して)。
江戸時代は交通の大動脈だった東海道の唯一の渡し船として恩恵を得ていました。
が、明治11年に木橋が完成して利用客は大幅に減少、とうとう昭和8年に渡し船は廃止となってしまいました。
今、池田は静かな町になっています。
「池田の渡し」について知りたくて訪問してみました。
多分ですが車で行くしか適当な交通手段は無い場所だとは思います。
それでも、先ず川沿いの道からの施設への行き方が分からずに何度も迷ってしまいました。
やっと見つけたんですが多分ですが駐車場🅿️も有りません…😵、路駐しようにも前面道路が狭く場所を探すにも一苦労です。
ナンとか駐車して中に入ろう❗と思ったら入れない………(゜ロ゜)、「閉館中」って事でしょうか⁉️ ガラス越しに中を覗いたんですが展示も心なしがホコリを被っているようで残念です。
藤のお祭りの際は臨時駐車場として河川敷を使っていた。
無人の小さな資料館だよ‼️😁✏
椅子があるので休むには最適❗️
施設が広くて快適に過ごせました(╹◡╹)
東海道400年祭の時に整備されたようですが、残念ながら、今は寂れているといわざるを得ません。
もったいないことです。
行った日は日曜というお客さんの多い日にも関わらず、休館‼️‼️でした。
駐車場もなく、あったのかも分かりませんが、パットと見たところ見当たらず、路駐しました。
名前 |
池田の渡し歴史風景館 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
無料の施設になります。
浜松市の人からすると、天竜川の渡しは中野町が中心だったと思うところ、実はこちらが元締めでした。
天竜川が今の位置になったのが室町時代以降で、それまではもっと東の磐田台地の際を流れていたらしいです。
浜松の船越町も馬込川の渡しだったらしい。
馬込川に橋がかかって、こちらに組み入れてもらったとの説明も。
勉強になります。