鷲神社はその住民の氏神として創建されたとされてい...
御祭神は大巳貴命。
御由緒は境内の石碑に次のように記されていました。
「千波湖岸高台に鷲下の地名があり,平安時代後期に,拂沢集落の氏神として創建されたものと推察される。
その後,光圀の城下整備策により笠原への集落移住を命ぜられ,本神社も共に遷座された。
当時の笠原は千古斧も入らぬ森林だったが,住民の努力により豊穣の地となり,開墾地は拂沢新田と命名された。
天保6年,斉昭の命により千波村に合併され,この地は富澤坪十一軒坪と称され,本神社はその地の鎮守となった。
明治3年,本神社は明治政府の宗教政策により,千波村の鎮守子安神社境内に遷されたが,鷲神社氏子による復社の請願が承認され。
明治14年現在地に遷座された。
明治38年3月笠原官林に発した大火により社殿は類焼し,仮宮の状態が続いたが,昭和2年社殿を改築した。
その後70余年を経て社殿修理の時期を迎え,氏子一同は,茨城県庁移転に伴う用地買収補償を主財源として,平成10年11月に現社殿の改築した。
」フゥ。
ちょっと書きすぎたような気がしますが,鷲神社。
大変美しき神社です。
自動車やトラックや上司にいびられて疲れ果てたサラリーマン達がため息をつきつつ行き交う大通りから鳥居をくぐって,真っ直ぐ伸びた参道に立ち入った瞬間には,もう別世界の神域です。
参道の先には二の鳥居と二本の巨大な杉と社殿が。
境内は綺麗に掃き清められており,境内社である三峰神社と素鵞神社,神興殿があり,社務所があります。
氏子の方々の深い崇敬を集めていらっしゃる社であることは言を俟たないことでしょう。
茨城県庁から歩いて行ける距離にありました。
水戸の街中で、ここだけ自然豊かな異空間がありました。
とても綺麗に整備されている神社。
入り口の鳥居の下には、地元の子供会が整備した花壇があり、綺麗な花に囲まれていました。
枝垂れ桜の木があり、きっと春には見事な桜が咲き誇っているのでしょう。
参道の両脇には紫陽花がありましたので、梅雨の時期は綺麗だと思います。
すごく大切にされている神社だと感じました。
お守り等の授与をご希望の方はこちらに連絡して下さい、という看板があったので、普段は誰もいらっしゃらないのかもしれません。
雰囲気の良い、居心地の良い神社でした。
付近は通っていたが、昨日の雪が無ければ、気が付かないままでいたかも…。
綺麗に手入れされていそうな庭園で、雪化粧された木々が青空に映えていたのでカメラに納めちゃいました。
落ち着いた雰囲気の神社で良かったです。
桜咲きました🌸
旧6沿いに鎮座、1本裏手の道路に路駐(しっかりした🅿ありますが、普段はチェーンが張られているよう)でした。
🚻は社務所が開いている時なら・・・!?御朱印は、飯綱神社にて。
このあたりの氏神様にあたる神社です。
夏には参道の両脇の紫陽花がきれいに咲きます。
派手さはありませんが、静かな境内が素敵な場所です。
小さいけど、雰囲気ありますよ。
良く管理されている神社です。
名前 |
鷲神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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平安時代後期すでに拂沢(払沢)集落があり、 鷲神社はその住民の氏神として創建されたとされています。
徳川光圀の城下整備策によってこの集落の住民は、 笠原への移住を命ぜられ、神社も移りました。
開墾地は拂沢新田と命名され、烈公徳川斉昭のときに、 千波村に合併され、かつての地はその中の富澤坪十一軒坪と称されました。
鷲神社は明治3年に千波村の鎮守である子安神社境内に遷されたが、 鷲神社氏子による復社請願が承認され、 明治14年に現在地に遷座されることとなったそうです。