妙大寺が安心院の始まりという。
岡崎市明大寺町〔安心院〕の駐車場脇に芭蕉句碑が建っている。
都出て神も旅寝の日数かな はせを平成12年(2000)に再建された碑。
句は元禄4年(1691)沼津での作。
この碑の隣に風化の進んだ碑が建っている。
形状からして寛政5年(1793)10月12日に本多忠寛(李喬)が建立した碑(旅寝塚)と思われる。
都出て神も旅寝の日数かな はせをこの碑は元々、伝馬・十王堂の脇にあったが、昭和19年にここへ移され、あやうく戦災を免れた(昭和59年5月発行の「岡崎の教育5月号」岡崎教育委員会)。
石は石見(島根県)から運ばれた。
2019/03/13参拝安心感ある名前を持つ安心院三河三十三観音霊場札所三河新四国八十八ヶ所霊場札所入り口を入るといきなり駐車スペースからの本堂そして、セルフ朱印の案内があり、賽銭箱はみあたりません。
なかなか性善説を体現したこのセルフ朱印システムは、朱印を自ら押すという貴重な体験ができます。
しかも、ちゃんと朱肉なのが好印象です。
寿永年間(1182~83)源義経が浄瑠璃姫の菩提を弔うために千本塔婆と複数の伽藍をもつ妙大寺を建立し、妙大寺が安心院の始まりという。
名前 |
安心院 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0564-51-5411 |
住所 |
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評価 |
3.3 |
源義経公が浄瑠璃姫菩提のために建立した妙大寺が始まり。
度重なる戦災で伽藍が焼失した後に、成瀬国平公(三河成瀬家五代)が大檀那となり妙大寺の旧跡に安心院を建立し成瀬家菩提寺となり、山腹には成瀬家墓所がある。