白鳥神社から登るのがいちばん簡単です。
上杉氏や北条氏の家臣として秩父を統治した藤田氏の拠点として機能した城郭、白鳥神社の左側にある山道を登り詰めると城跡に到ります。
標識や案内は一切ありません。
訪れる人は多いのか道ははっきりしています。
20分程上がると突如建造物が現れます。
以前、観光用に建てられた模擬天守閣です。
廃墟となっていますがその周りに堀切や土塁などが確認できます。
戦国時代の遺跡と昭和の遺構わ楽しめます。
秩父鉄道の野上駅から歩いて30分ほどで登城口となる白鳥神社に到着します。
左手に道がありますので、そここら登ること30分ほどで城跡に到着します。
廃墟となった模擬天守が残っていますが、結構危険な状態かもしれません。
最後模擬天守の方に曲がらずに真っ直ぐに進むと堀切があります。
その上には橋も架けられてました。
このあたりは城跡という感じが残ってました。
2022/03/09白鳥神社から攻める。
社殿の左側に天守までの山道の入口がある。
すぐに急勾配、細い道、多くの倒木があるので、登頂はなかなか大変だった。
当方は登山靴で登ったが、特に下りではスニーカーでは滑って危険だと思う。
とにかく急峻なので転落したら大ケガ必至。
覚悟と装備を持ってトライすることをおすすめする。
秩父から長瀞、寄居方面まで三方向をよく展望できるところに位置しており、鉢形城の支城として重要な役割を果たしたことが垣間見れる。
他の方も書いているように、本郭と二の曲輪の間に空堀があり、これがかなり深く見応えがある。
(コンクリートの橋がかかっている)模擬天守は床も天井も抜けていて危険。
モルタル構造なのか床が抜け朽ちていく様を、まじまじと見られます。
訪問しても駐車場は見られず、対岸の秩父鉄道の駅からだいぶ歩き、登城は結構キツいですよ。
白鳥神社から登るのがいちばん簡単です。
一ノ郭側がその上なので、こちら側からのルートはしっかり遺構が残っていて登城を阻む工夫の跡があります。
模擬天守は今は危ないので、決して中には入ることはしては行けません。
そこからニノ郭も堀切の橋が痛んでいます。
観光のためにだいぶ破壊された城跡です。
藤田氏系の本来は立派な城ですが、今は廃墟マニアが行っているようです。
城マニアにはおすすめできません。
白鳥神社より約30分で天神山城跡(主郭)に着きます空堀や竪堀や石積か数ヶ所あります。
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歴史ある建造物。
廃墟になっていますが、丘の上から見える景色は圧巻です。
廃墟ファンにはお勧め出来ます。
城までの登山道も、入口が分からず、地元の方に聞いても廃墟となっており、行かない方がよいとのことでした。
資料によると、天神山城は山内上杉氏の重臣である藤田重利(康邦)によって築かれた城です。
北条氏に降伏したあとは北条氏康の四男である氏邦に娘を娶らせ、藤田氏の家督を譲るとともに、この城も譲り渡しました。
氏邦はその後、鉢形城に居城を移しますが、以降も支城として使われたといわれています。
1970年(昭和45年)に観光目的として模擬天守と模擬二重櫓が建てられましたが採算あわず倒産し、現在は廃墟となっています。
そのため城好きよりも廃墟マニアの訪問が多いようです。
とあります。
バスは無いため樋口駅または野上駅から徒歩になります。
境内から荒れた登山道を登り、10分~15分くらいで着きます。
道の傾斜は結構キツめです。
城跡内部入り口の床は腐っており穴が開いていたので、どなたかが落ちたのでしょう。
城跡から登山道ではなく別道を通って下ると草むらにはお地蔵様、さらに下ると大きな廃施設、そこから先にはゲートがありました。
登山として楽しむにしては短すぎるので城マニア、および廃墟マニア向けです。
名前 |
天神山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
2023/4/11天神山山頂には商業的に再建(昭和)された天守閣がありますが、現在は放置され廃墟となっています。
鉄筋ですが床も抜けていて内部探索はお勧め致しません。
また、瓦の落下もあり周囲で休憩するのはやめた方が良いと思われます。
山頂周辺には二の丸や空堀と推察される地形があります。
春、夏は葉が生い茂り、周辺の山々や長瀞の眺望はあまり良くありません。
道沿いの白鳥神社左手から山頂に向けてジグザグに登ります。
山頂迄は15~30分。
やや急で下山時はスリップにご注意下さい。
運動靴でOKですが滑りにくいものを使いましょう。
踏み跡がしっかりついて、道を示すピンクテープもある為、道迷いはしにくいですが、不安を感じたら一旦戻りピンクテープを探しましょう。
下山時天守閣からまっすぐ行くと二の丸?へと続く橋がありますが倒壊の危険ありです。
そちら方向へも登山道がありますが現在は廃道となっている様です。
来た道を引き返す事を強くお勧め致します。
駐車場ですが、本日は白鳥神社の道路反対側にある公民館と思われる場所の敷地に駐めさせて頂きましたが、可否は不明です。
トイレはありません。
戦国の世1540年前後に藤田重利により築城、後に北条に奪われ、その北条も小田原同様秀吉勢に破れ、1590年に廃城になっております。
藤田氏は平安時代に発生した武士団猪俣党(武蔵七党、寄居)の流れを受ける血筋。
麓の白鳥神社創建(九世紀)に関わる白鳥氏(後に岩田氏、武蔵七党丹党、長瀞)とは異なる血筋です。