名前 |
国見観音堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
光明山寺についてはある時代までの歴史的資料は残っているいるようですが広大な寺領を持つこの寺院跡は現在は耕作地となり歴史から消えた経緯はわからないようです。
現在の自動車道と蟹萬寺からの旧道路の交差地点から東方を望むと三方を山に囲まれらて開けた緑の耕作地が見られますがこの辺りが光明山寺跡のようです。
近くの国見観音堂もこの光明山寺関連の様ですし山一つ越えた南の谷山不動尊も光明山という山号を持っている事からかなり広大な寺領を持っていたと想像されます。
前(横?)の小さなお堂に子安地蔵尊がおられます。
「山城町ふるさと案内人の会」の方々によって書かれた観音堂境内の巨木の前にある由緒です。
「国見観音堂 (鎌倉~室町)像の本体は一石からなり像高71.5cmで形の良い連弁のついた台座にはめこんで建てられています。
両足を少し開いて直立する観音菩薩像で右手は合掌の形、左手は蓮華の茎を持つが小型ハーブの様なる形であるのはとても珍しいものです。
頭部には宝冠付けますが黄金色に彩色された跡があります。
顔はふくよかでまるく、首には三道が刻まれ胸部は豊かで衣に刻まれる衣紋は石仏としては複雑ですが、対照的に整えられています。
もとは近くの光明山(廃寺)の頭塔に祀られていたとおもわれます。
」