江戸時代に建てられた櫓が残っています。
乗り換えで時間があったため途中下車して登城しました。
駅から登り坂をゆっくり歩いても10分ぐらいの距離です。
遺構はあまりよくわからないけど櫓と石垣はとても立派で是非時間のある方は寄っていってほしいお城です。
足を伸ばして歴史博物館に行けば、亀山城や亀山宿のパンフなど多数あります。
お城とセットで訪問して欲しいです。
建物の中には、入れませんが、お城はありました。
旧東海道の亀山宿にある亀山城跡。
櫓の一部は再建されてます。
町自体も東海道u0026城下町の面影を残していて、江戸時代の雰囲気を味わえます🌱
三重県で唯一現存する城郭建造物として県史跡に指定された復元の櫓です。
ここにあった伊勢亀山城は、丹波亀山城(現・京都府亀岡市)の破却命令の際、伊勢亀山城と取り違えて、解体されたという、なんとも信じ難い勿体ない歴史を有しています。
三重県指定文化財。
自然石を使った野面積み。
石階段を少し登ると小さめながら立派な櫓が。
平日で中には入れませんでしたが、眼下には美しい景色が見れました。
立派でした。
土日は無料で中に入れます。
他の城跡にも言えることだが、せっかくの石垣、櫓を再建しても桜の木々が高く伸びすぎて見えなくなってしまっている。
見晴らしポイントを一部に作って欲しい。
江戸時代に建てられた櫓が残っています。
亀山城の天守に代わるシンボルとして有名。
◆令和4年4月初訪問バイクツーリングの途中に立ち寄りました。
天守閣はなく、櫓だけ現存してました。
無料で内部見学が可能でした。
亀山城の現存する貴重なオリジナル建造物です。
内部の公開は土日のみとなっていました。
小さな櫓ですが、ここから眺める亀山市内の景色と、櫓から一気に落ちている高石垣は見事でした。
多聞櫓には入らなかった。
櫓の建っている石垣は美しい。
また、隣接して亀山神社がある。
土地の青年が恭しく参拝していた。
その前の道路を渡ると、新築のトイレ(洋式で美しい)があったのが、助かった。
立派な櫓です土、日曜はお城の中の見学無料で出来るようです。
大きくはありませんが、見どころは色々あります。
現存のままで残っている遺構です。
中の見学ができ見応えはあります。
✨お城の御朱印販売中✨こちらに伊勢亀山城・亀山宿のパンフレットがあるので、是非もらって下さいねー。
明治6年(1873)の廃城令により、城内の建造物は殆んど取り壊され、堀も埋め立てられ‥現在は多聞櫓(やぐら)・石垣・土居・堀の一部のみが残されとる亀山城。
亀山城は天正18年(1590)岡本宗憲が築城しました。
寛永9年(1632)三宅康盛の代に天守が下ろされ※正保年間(1644~1648)本多俊次が城主の時に天守跡に現在の多門櫓が建てられました。
安土桃山時代やんね。
平屋建白壁の塗込で屋根は入母屋造り、東西北の三方に破風があり、平時は武器庫として利用しておったんやて。
三重県内に唯一現存する城郭建造物として、昭和28年に県史跡に指定され、特に桜や積雪の頃は野趣にあふれ、高石垣の上にそびえる多門櫓は今も往時と変わらぬ風情を残しとります。
※丹波亀山城(京都府亀岡市)の天守を解体するよう幕府から命じられた出雲松江城主堀尾忠晴が、間違っちゃって‥伊勢亀山城の天守を取り壊してしまったと、【九九五集】@大庄屋打田権四郎昌克/編 に書いてあるようやわ。
□聖地・ロケ地★★★・長編小説【暗夜行路】/志賀直哉(1883~1971)‥亀山駅から亀山城跡などを巡った情景の描写があります。
・2006年NHK大河ドラマ【功名が辻】で、後藤吉兵衛(武田鉄矢)が戦死した亀山城跡。
□アクセス★★★伊勢亀山城・亀山宿中心周辺は、JR亀山駅より徒歩5~15分圏内です。
車は東名阪道亀山ICより国道1号線経由で約5km15分くらい。
・伊勢亀山城/確か亀山公園に無料駐車場🅿️がありました。
・亀山宿/ここに車停めるな❗触るな危険的な爺さんは見かけましたが、⚠️道の駅のような整備された無料駐車場は見当たりませんでした。
施設が無料見学・自由散策できることが何よりの魅力です。
亀山城といえば、ここ三重県の亀山城と京都府の丹波亀山城の2城が有名。
こちらの亀山城(亀山市)は天正18年(1590)岡本宗憲が築城しました。
一国一城令により、丹波亀山城の天守を解体するよう命じられた堀尾忠晴がまちがってここ伊勢亀山城の天守を取り壊してしまった寛永9年(1633)という逸話があります。
正保年間(1644~1648)本多俊次が城主の時に天守を失った天守台に現在の多門櫓が建てられました。
亀山城跡では、お城の御朱印を販売中。
表に見事な石垣が残って裏には高い土塁が残っている。
相当な広さがある。
現在城跡は公園、学校、役所になっており、唯一残った建物です。
中はがらんとしており、城の略歴や修理した際の写真、壁の模型、放火された床と柱等が展示してありました。
名前 |
亀山城 多聞櫓 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0595-96-1218 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.6 |
伊勢亀山城は、1265若山(亀山市若山町)に関実忠が最初に築城し、1573織田信長により関盛信が追放されるまで、関氏十六代の居城であった。
三宅氏が城主の時、丹波亀山城の天守を解体するよう命じられた堀尾忠晴が間違えて伊勢亀山城の天守を取り壊したと伝えられるが真偽かどうかは不明。
1636本多俊次が城主になると亀山城の大改修に着手し、城の外周は堀が廻り、一部は谷をせき止めて水堀に。
城内には本丸、二之丸、三之丸、西之丸、西出丸の曲輪があり、本丸には将軍家旅館として整備された本丸御殿、二之丸には城主居館と藩庁を兼ねた二之丸御殿が設けられた。
亀山城の別名については粉蝶城。
城主は八家がめまぐるしく入れ替わったが、延1744石川総慶が城主となると、以後は石川家十一代で明治維新を迎えることとなる。
明治6年の廃城令によりほとんどの建造物は取り壊され、現在は多門櫓と石垣、土塁、堀の一部が残されているに過ぎない。
多門櫓は、県下で原位置のまま遺存する唯一の城郭建築として昭和28年に三重県指定文化財に指定されたらしい。
野面積みの石垣をみるだけでも価値がある。