歴史的にも武田氏と徳川氏の攻防戦の繰り広げられた二...
2022/11/9訪問。
9:10二俣本町下車 下車人員1名 約11分で二俣城入り口。
そこの舗装路を登ってゆくと搦手門をかすめて東門跡に至ります。
東門跡を入ると本丸と二の丸の間の中仕切門跡です。
中仕切門跡から本丸を見ると奥の方に忽然と天守台が見えます。
なかなか良い風景です。
入り口から30分で全体をめぐりました。
案内に従い鳥羽城に向かいます。
途中西の丸があるはずでしたが判りませんでした。
山を下りきると天竜川の堤防に出ます。
ぱっと視界が開けて美しい風景が印象的でした。
堤防から5分くらいで、鳥羽城の遊歩道に取り付きます。
そこから20分ほどで、本丸です。
二俣ー鳥羽をぜひ歩いてください。
2022/9/4こんなに有名な城でこんなに綺麗に遺構が残っているなんてほんとに素晴らしい。
虎口は石垣でできており、土塁にも石積みが見られる。
堀切は戦国のものかもしれないが、遺構のほとんどは慶長年間に堀尾氏が造ったのではないかな。
いずれにしても感動ものである。
駐車場からは本丸までは5分程度です。
天守台の石垣が歴史を感じます。
奥の大堀切をさらに進むと天竜川沿いの土手に出ます。
その先に見えているのが鳥羽山城です。
そちらにも遺構が多く残っているので是非一緒に訪問してみては?
武田信玄が天竜川に大量の筏を流し、井楼の柱を壊し攻略した『二俣城の戦い』や、家康の嫡男の『信康が自刃した場所』として有名。
本丸には、戦国時代の天守台が残されていて、当時に思いを馳せることができます。
また、南には鳥羽山城跡の鳥羽山公園、北には非業の死を遂げた信康の霊廟がある清瀧寺、本田宗一郎ものづくり伝承館があるため、ハイキングで合わせて訪れることをお勧めします。
天竜川を眼下に、遠州の守り城であった為、徳川、武田攻防の舞台になり、水攻めで落城し有名。
北曲輪からくい違い虎口を入ると、天竜川急峻崖上に野面積み石垣本丸跡があり、この上に掛川城の様な二層、三層の天守台を想像、その面影を偲ぶ。
南東側には天守を囲むように土塁が囲み枡形門を経てニノ曲輪に続き蔵屋敷へと続く。
よく管理整備された城跡公園です。
秋は紅葉が綺麗です。
天守台以外にも石垣、土塁、堀切など残っており、周辺のお散歩を兼ねてオススメ出来ます。
最寄り駅から徒歩圏内です。
⭐️武田も徳川も力攻めでは落とせなかった天然の要害難攻な城砦、信州から遠州平野への出口となる交通の要衝。
・1572年、徳川方1200:主将/中根正照、副将/青木吉継vs武田方30000:武田勝頼、馬場信春、山県昌景…城方の水源、武田方に天竜川の井戸櫓を破壊され、城方は水欠乏し降伏開城、武田方の城に。
⇒武田勢南下し三方ケ原にて両者激突🐎・1575年、長篠設楽原の戦いで武田方大敗し武田家の影響力に翳り、家康反攻に転じ北遠江の武田方各拠城を支配下に、二俣城だけ城将/依田信蕃により約6ヶ月間堅固陥落せず、兵糧攻め、後に城兵の安全退却条件に開城、徳川譜代/大久保忠世を城主とし入城。
⇒依田信蕃…武田家滅亡後、徳川家康家臣に⭐️家康嫡子/松平信康が幽閉自刃した城・本当の真相は闇の中…1579年頃に衰退した武田家と内通陰謀?素行悪行の結果?徳川家内の信康/岡崎衆と家康/浜松衆の確執?何なんだホントは⁉️⭐️中世の土造りの城と近世初期の石垣の城の融合、土塁に玉石が見えるのは天竜川・二俣川の河原石で補強でしょうか、石垣は野面積みが主体、天守台石垣も頑張ってる初期の算木積み拝見、中々状態良好👀もう少し天竜川側の景観が開けてたら凄いだろうな~と素直に思いました。
⭐️鳥羽山城と「一城別郭」の城砦なんですね🤔
2021/09/27城跡なので石垣がちょろっと残っているくらいで、歴史好きでなければそれほどおもしろみは感じないかな。
あまり景色も見えないし。
軽い山歩きをするには起伏も激しくないのでちょうどいい。
鳥羽山城に行くのに西側の川沿いの道に抜ける遊歩道があるのだが、看板がなく、グーグルマップでも道が表示されないのでわかりにくい。
稲荷神社の裏の道を下っていくと抜けれます。
二俣城は、天竜川と二俣川との合流点にあり、水運に恵まれた地であった。
加えて、北にある信濃側から見れば山間部から遠州平野への入り口といえる場所に位置し、南の道を気賀まで抜ければ、東海道の脇街道である姫街道が東西に走り、そこからさらに下れば浜名湖の東側(現在の浜松市中心部)に出るなど、街道上の要衝といえる位置にあった。
日曜日でも空いていてコロナ禍でも安心して散策出来ます。
駐車場は山上った所に10台弱は駐められるでしょうか。
天守台の石垣がほぼ当時のまま残っていて、見事です。
ここで徳川と武田が激戦を繰り広げたと思うと感慨深く鳥肌がたちました。
夏場、草むらはマムシが出るので気を付けて下さい。
戦国好きの方は、二俣城見て、食事して小国神社で参拝し、掛川城、高天神城址、そして諏訪原城址に向かうのも良いコースかと思います。
歴史を感じる事が出来る貴重な場所の一つ。
限定御城印貰いに行きました。
u200e(◍˃ ᵕ ˂◍)光月堂の女将さんも気さくな方で、店の奥には昔大工さんが 建てたというお城があるバージョンの写真も飾ってありました。
正確なお城ではないものの、夢のあるお写真でしたu202a(*ˊᵕˋ* )
勤めからの帰り道、気分転換のため鳥羽山城跡や二俣城跡を時々訪れました。
最初に二俣城天守台の石垣を見たとき、意外に天守閣の規模が小さいことに驚きました。
天然の要害という立地ですが、真下に天龍川が流れているのに、武田勝頼に水源を切られて落城したというのは皮肉だと思います。
1575年末には徳川家康が奪還しました。
この石垣の上に立つ度に、武田勢との戦いや、家康により若い命を絶たれた、妻子の築山御前と信康がどんなに無念な思いをしたのかを考えずにはいられません。
眺めの良い、近くの鳥羽山城跡も併せて訪れることをお勧めします。
綺麗に整備されてて良かった。
紅葉も綺麗でした✨
祝日の昼間にいきました。
紅葉には少し早かったですが、紅葉になったらきれいだと思います。
駐車場はありますが小さいので6台ぐらいしか停められません。
そこからはそんなに山を登らないので子供やお年寄りも気軽に行ける。
散歩にちょうどいい。
徳川ゆかりの城跡なので、気軽な割に感慨深いところもありますよ。
裏が、天竜川で見下ろすときれいです。
2020年8月5日行って来ました。
二俣城跡は駐車場も頂上付近に有るので比較的初心者向けですかね。
なので時間を掛けて散策すると隅々まで見る事が出来るので面白いです。
注意点は駐車場迄の道が狭いので慎重に運転して下さい。
二俣城跡の情報はここに書くよりは実際に来て案内を見た方が、楽しめると思いますのであえて書きません。
天守台に荒々しい野面積みの石垣が残っていて趣がありました。
天竜川を臨む崖の上にあり要害だったことがわかります。
駐車場からは緩やかな坂で車でのアクセスはとても楽ちんです。
小高い山の上に天守台が残っています。
12月上旬に訪れましたが紅葉が綺麗でした。
人はほとんどおらず、穴場的な場所です。
歴史的にも武田氏と徳川氏の攻防戦の繰り広げられた二俣城跡🏯対となっている鳥羽山城跡も忘れずに。
堀切が素敵❗
派手さはないが石垣は見応え十分☺️歴史的に重要な二俣城。
隣の鳥羽山城跡まで歩いていけます。
途中の竹林は風情があります。
浜松市二俣城跡 二俣城は戦国時代に争奪戦が繰り広げられた要衝の地であり、徳川家康の長男松平三郎信康がこの城で自刃したという悲劇が伝えられている。
現在も高さ4.6mの天守台の石垣や土塁が残り、激動の時代に翻弄された戦国武将の吐息を感じることができる。
祝!国史跡指定! お隣の鳥羽山城と共に、2018年に指定されました。
戦国時代、信濃から南下してきた武田信玄が、遠江侵攻の橋頭堡として徳川家康から奪取。
ここを奪われれば、当時家康の拠点だった浜松城までは目と鼻の先。
慌てた家康は奪回を図るべく、対岸(当時は二俣川が両城の間を流れていました)の鳥羽山に付け城となる鳥羽山城を建てました。
そんな歴史的にメジャーな戦国大名同士の攻防戦が繰り広げられました。
二俣城は、天竜川の急流によってできた岸壁を利用した、天然の要害に位置する山城です。
険しい山の山頂にある本曲輪はその割に広く、建築にはかなりの普請を要したのでしょう。
遺構は天主台や本曲輪の石垣、空堀、土塁等が残っています。
特に天守閣石垣の状態はかなり良好で、綺麗な野面積みが見られます。
史跡指定により、維持管理の予算も充実できると思いますので、縄張り図や遺構の案内看板などがもっとできると有難いですね。
●いい城跡です。
城跡はもとより周囲の町並みも含め、なんともいい雰囲気を感じました。
立地的にも「ここに城を築かないでどうする!」という場所です。
穏やかな晴れた休みの日の午後をおすすめします。
名前 |
二俣城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/bunkazai/news/documents/hutamatatobayama.html |
評価 |
3.9 |
小高い丘の上にある城址公園。
土塁などが思いの外残っており、整備されすぎていない感が、むしろ好感が持てます。
河川敷へと続く竹林の道も含め、肩ひじはらず地域に馴染んでいるように思えます。