小笠原信嶺の墓地は開善寺の道向かいです。
本庄市の開善寺は、天正19年(1591年)の開山です。
資料によると、本庄城主小笠原氏の菩提寺であり、屋根瓦には旧武田家であったことを示す三階菱の家紋が見える。
創建当初は壮大な本堂であったらしいが、度々の火災と建て替えで現在の規模となっている。
小笠原信嶺公夫妻の墓は門前の道路を挟む南側墓地の古墳を利用した小山の上に、また、二代城主信之公の墓は北側墓地中央にある。
「武田信玄公画像」は織田有楽斎の筆で、市の指定文化財となっている。
とあります。
小笠原信嶺は、天正18年(1590年)に徳川家康が関東に入部した際、武蔵児玉郡本庄に1万石を与えられ、本庄城主(本庄藩の藩祖)となりました。
天文16年(1547年)、伊那小笠原氏出身の信濃松尾城主・小笠原信貴の長男として生まれます。
父と同様に武田信玄配下の信濃先方衆として働いたそうです。
徳川家康の配下になってからは、酒井忠次の家臣(家康の陪臣)として信濃・甲斐の各地を転戦したともあります(後に三河出身で酒井忠次の三男・信之が小笠原氏の養嗣子となり小笠原信之として家督を継ぎます)。
天正19年(1591年)には、夫人の兄である甲斐国・永岳寺(山梨県韮崎市大草町下条西割)の救山宗温を迎え、自らが開基となり、畳秀山の開善寺(小笠原氏の菩提寺と同名の寺)を本庄宿の中宿(その後の仲町に当たる地域)に建立したとあります。
由緒書のようなものがあったらいいなと思いました。
武州本庄七福神の1つです。
2018年5月、本庄七福神巡り。
布袋尊を祀るお寺です。
布袋尊のスタンプは、すぐ右側にありました。
武州本庄七福神。
武州本庄七福神 布袋尊。
小笠原信嶺の墓地は開善寺の道向かいです。
戦国時代、松尾小笠原氏の当主・小笠原信嶺の墓があります。
家康に従って関東に入りました。
名前 |
開善寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0495-22-2807 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
本庄駅で降車、市役所方面へ向かって歩き出す。
交差点を左へ折れ、暫くすると小路の奥に小高い丘と木々が見えた。
一目で古墳跡と分かる頂上に神社があった。
愛宕神社だと銘記されていて、以前は開善寺の境内社だと記されていたので、辺りを歩いていると山門があり、立派な本堂が建っていたが、時の流れの中で衰退し、境内も切り取られてしまった感が漂う。
創建した小笠原某の墓も道を挟んだ所にあった。