琵琶湖の東にある環濠集落にあります。
ノスタルジーな雰囲気の町並み。
石垣が残っている。
説明板もあるのでわかりやすい。
良い雰囲気だな。
近江守護代伊庭氏の居城。
集会所になっている。
琵琶湖の東にある環濠集落にあります。
今も当時の雰囲気が残っています。
歴史ある建造物です☀近くの川のある景観は日本遺産に選定されています❗一度見に行く価値があります❗
伊庭城は観音寺城佐々木行実の四男高実が1190年頃に築城されたのではと言われている(佐々木六角氏は一族や家臣に観音寺城を中心に枝城を築かせ防御にあたらせる形態をとっていた伊庭城もその1つと思われる)また領地が伊庭だった事から伊庭高実と名乗り伊庭氏の始まりとされる文亀二年(1502年)伊庭氏の乱が勃発、守護六角高頼は「伊庭連々不義の子細共候間」とし守護代伊庭貞隆を排除するべく挙兵当主六角高頼は応仁の乱や六角征伐などの危機を乗り切ることに尽力したが、六角氏の政務の実権を握ったのが筆頭家臣であった伊庭貞隆だった為、主家に匹敵する勢力を持つようになったからだと言われる伊庭貞隆は伊庭の地を追われ湖西へ逃れているしかし管領の細川政元の後援を受け反撃に転じ、六角高頼に観音寺城を放棄させ蒲生貞秀の音羽城に敗走させている伊庭の乱は細川政元が仲介に入る形で和睦し終結その後、伊庭氏は六角氏との間に帰属、反旗を繰返す中で足利将軍を巡る争いがおこり永正17年(1520年)、伊庭氏は水茎岡山城が落城して没落した伊庭氏と伊庭城、教科書には無いけど、なかなか濃い歴史を感じますね伊庭城は徳川家康の旗本となった三枝氏が元禄11年(1697年)領主となって采地陣屋を伊庭城跡に構え明治まで存続する。
名前 |
伊庭城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
石垣が残っています。