若くして亡くなったけど若干老けてる。
☆JR東海道本線「垂井駅」北口ロータリー広場、垂井町への訪問者を出迎えてくれる『竹中半兵衛重治』✨木下藤吉郎秀吉が三顧の礼をもって参謀に迎えし名軍師、織田信長に仕える事を断り秀吉の直臣に、未来の天下人秀吉の飛躍を影で支えし智将、半兵衛あっての秀吉🤔
真田戦記竹中半兵衛銅像垂井駅北口ロータリーの半兵衛像を見てきました。
秀吉の参謀として活躍し、黒田孝高とともに「両兵衛」「二兵衛」と称されました。
南口に鎮座されてます。
垂井城址まで歩いて10分。
中山道垂井宿の入口、美濃路のスタートです。
駅前にあるので、見つけやすい。
ファンなのでちょっと寄り道して見に来ました。
この辺りが領地だったのですね。
関ヶ原古戦場から近いです。
若くして亡くなったけど若干老けてる。
竹中半兵衛重治公像はJR垂井駅前のロータリーの中にありました‼️垂井町観光案内所の前です☀️
竹中半兵衛公の像。
竹中 重治(たけなか しげはる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
初名は重虎、のちに重治。
通称は半兵衛(はんべえ)。
父は竹中重元、弟に重矩。
子に重門。
従弟に竹中重利(府内藩初代藩主)。
2020年8月19日 AM6時30分竹中半兵衛重治公u0026垂井駅前にて。
戦国のマイナー武将竹中半兵衛秀吉軍師安東実季別名・秋田実季/秋田県の大名〃〃戸田重政(勝成)関ヶ原西軍として奮戦〃〃乃美宗勝小早川隆景の家臣、厳島の戦いで活躍田丸直昌小山の会議で一人関ヶ原西軍へ〃〃平塚為広関ヶ原西軍、平塚らいてうの祖先〃〃北条氏綱氏康の父8位1票島左近石田三成の家臣〃〃朝倉宗滴朝倉家当主三代の補佐役〃〃井伊直政徳川四天王〃〃真柄直隆朝倉氏家臣、姉川の戦いで活躍〃〃伊奈忠次家康家臣、関東代官〃〃安宅冬康三好長慶の弟〃〃森長可森蘭丸の兄〃〃滝川一益信長家臣 関東方面軍司令官〃〃毛利勝永大坂の陣 西軍として奮戦〃〃水野信元家康伯父〃〃長野業正上杉憲政、謙信の家臣〃〃後藤賢豊六角氏家臣〃〃岡左内蒲生氏郷家臣、政宗の冑を斬り付ける〃〃九戸政実岩手県の武将、秀吉大討伐軍に善戦〃〃戸沢盛安秋田県角館の大名〃〃高橋紹運立花宗茂の父〃〃斎藤道三信長の義父でライバル〃〃秋山信友武田信玄・勝頼の家臣〃〃小幡信貞武田、織田、北条に仕える〃〃森蘭丸信長小姓〃〃正木時茂里見氏の家臣にして氏康ライバル〃〃前野長康秀吉家臣〃〃太田資正上杉朝定→北条氏康家臣〃〃直江実綱(景綱)直江兼続の義父〃〃島津豊久島津義久の甥〃〃大平国祐(大平内閣総理大臣の祖先)
あまり目立たない。
像があるだけで何もないです。
駅前のちょっとしたスペースにあるから、徒歩じゃないと行けないです。
まあお散歩にどうでしょう。
竹中半兵衛重治の像。
詳しくは観光案内所で。
ファンや地元の方には申し訳ありませんが、よく「軍師」と云われる半兵衛ですが、半兵衛の生きた戦国時代には軍師というポストはありませんでした。
なので半兵衛は軍師などではありません。
当然ながら、山本勘介や黒田勘兵衛も軍師などではありません。
彼らは一武将だったのです。
にも拘わらず軍師などと呼ばれているのは『三国志』の影響なのかなと半兵衛の銅像を眺めながら考えました。
名前 |
竹中半兵衛公像 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
秀吉の軍師!竹中半兵衛の地元です。