伊美八幡別宮社 県社 景行天皇行宮跡。
厳かなかんじですが、もう少しお手入れしてると良いかなと…でも、素敵な所でした。
中々立派な神社なのに、御朱印は正月だけなのでしょうか?
サイクリングの途中で立ち寄りました。
御朱印が欲しかったのですが、社務所に人影なし。
チョット寂しい感じでした。
2020年 5月参拝。
国東半島で 歴史深い 元県社❗入口から 長い参道…太鼓橋や 小便小僧❓(笑)狛犬も、珍しかったです❗楼門や 拝殿も歴史を 感じます🎵後、国東塔(重要文化財) があります❗境内横に、安産、縁結びに御利益の陰陽神があり…小さな鳥居3つ くぐり 参拝しました🎵御朱印を 戴きに来ました❗しかし…社務所らしい所はなく…戴けるのかも 分からなかったので 断念しました💧駐車場も、完備です❗
縁結び・子宝…なるほど❗
男性のシンボルがそそり立ってる❗デカイ(笑)他に見る所は無かったけどシンボルは笑えた。
秋は流鏑馬があります。
人がほとんどおらず、ゆっくりと参拝できました。
海が近いからか、手水附近には小さなカニがたくさんいました。
此の場所は昔からある古い神社です、昔は人気のある神社で綺麗でしたが、今は人工も減少して境内の管理が、少し行き届いていない様に見受けられます。
しかし面白い神様が祀って有ります🎵、それは男性のシンボルです、一度は是非見ておきたい代物です⁉️。
伊美八幡別宮社 県社 景行天皇行宮跡。
大分県国東市国見町伊美字入江島に鎮座。
仁和2(886)年石清水八幡宮から勧請分霊。
御祭神 品陀和気命 帯中日子命 息長帯比売命。
国指定重要無形文化財 祝島の神舞神事。
流鏑馬よかった!
「伊美」は地名で、社名を「別宮社」とする。
石清水八幡宮の分社という趣旨らしい。
仁和2年(886年)御分霊を勧請したというから、軽く千年を超える古社ではあるものの、式内社ではない。
しかし何でまた、八幡宮なのにわざわざ山城國まで行ったのか。
当時既に地方間格差があったのか、単に遠くの空に憧れたのか、近くの宇佐や奈多では有難味がなかったのか。
帰途に風待ちをした周防國祝島の開発に手を貸し、以来、祝島の神事に別宮社が関わるという。
二の鳥居は台輪付き。
太鼓橋が危険なのか、通せんぼしてあった。
横の駐車場を通って三の鳥居。
燈籠、を兼ねた狛犬、が左右に控える。
何とも実用的に変てこな作品、これに近いものは東松浦郡玄海町の値賀神社くらいしか知らない。
その先に楼門と廻廊。
意外と規模が大きい。
御祭神は品陀和気命(応神天皇)帯中日子命(仲哀天皇)息長帯比賣命(神功皇后)向かって左に廻廊を出て、裏口のような鳥居の近くに仏塔がある。
国東塔では最大級、明治の廃仏毀釈で取り壊され、昭和初期に復元したもの。
レプリカながら県指定文化財。
向かって右に回った先に陰陽神。
道祖神とか猿田彦大神とか呼ばれるアレ。
ヒンズーのシヴァリンガと同類ながら、そこまで古くはないようだ。
「陰陽神」の名の通り、陽根と女陰を一体化して石に刻んだ出来映えは原型を超えたかもしれないほどの、実は奉納品の一つだったらしい。
その形ゆえに風紀紊乱の謗りを受け、投棄されたこともあったという。
ところが神罰覿面に局部を襲い、行為者自ら複座奉ると。
どんな高熱を発したか、ぜひとも聞きたくないものである。
他に奉納されたであろう数々のちんちん(*‘ω‘ *)は、木彫りゆえに焼けてしまったのか、残っていない。
陰陽神の前に極小の鳥居が連なり、潜れば願い事を叶えるとか。
886年に京都の石清水八幡宮の分霊を奉持して創建されたそうです。
近くに八幡宮の総本社の宇佐神宮があるのに、随分遠くから勧請されたのは不思議です。
広い境内に黒塗りの立派な随神門もあります。
境内社である今熊社には陰陽神が祭られているので、そちらも是非。
名前 |
伊美別宮社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0978-82-0435 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
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静かな境内に響くヒヨドリの鳴き声木漏れ日をたくさん拾えます。