いつも、お世話になっております。
石岡の街中にあり隣接して駐車場もあります。
左よりから鳥居を見ると右奥に筑波山がみえます。
規模は小さいですが御籤(100円)もあります。
大きな鳥居のこじんまりしたお社常陸國總社宮から歩いたが...またマップにやられた。
駐車場から違和感がありました。
鳥居や社殿立派です。
でも、荒れ放題。
社務所は、元々は立派だったのではないでしょうか。
でも、ドアが開いていて中に入ると強盗が入ったのか廃墟なのかゴミが散らかり放題。
御札が欲しかったので、声を掛けてみたのですが、応答無し。
やっぱり、廃墟なのだと思ってて帰ろうとしたら、ようやく、ジャージ姿のおじさんが登場して、ぐちゃぐちゃになっている御札の中から一つ選んで買って帰りました。
管理が出来ていない。
神様をちゃんとお祀りして欲しい。
常陸総社宮に向かう前に拝みに行かせてもらい御朱印を書いていただいた。
そばの清涼寺御朱印無し。
引越されたのか、社務所も閉まってました。
石岡の街中にあるのに、手入れがされていない。
御祭神は大物主神。
相殿神として崇徳天皇・経津主命。
当地の古称は「森」(森木・守木)と呼ばれ,古代より神木祭祀の御神域であり,平安時代に桓武天皇の曾孫平高望王が常陸大掾として国府に着任すると,代々の平氏の子女が祭主となって森の祭祀に奉仕しました。
当時は「大森太明神」と尊称され,森木寺や八大院という 別当寺を有していたそうです。
天正18(1590)に,府中城が佐竹義宣に攻められ常陸大掾氏は滅亡し森は壊滅。
その後,大掾氏の後裔である別当八大院によって復興。
江戸時代になると,府中藩主松平氏の庇護を受け,いつの頃からか「金毘羅大権現」と称されるようになり「笠間の稲荷か石岡の金毘羅さまか」と謳われたほどの賑わう社となったそうで,文政10(1827)年には改めて讃岐国の金刀比羅神社の御分霊を迎えて社殿造営。
明治3年には「府中森金毘羅大権現」を「石岡森金刀比羅神社」と改称。
明治39年に市内茨城カンドリ(香取)鎮座の香取神社を合併。
明治11年,昭和4年,平成11年の火災による焼失・再建を繰り返し,現在の社殿は平成19年造営のものだそうです。
場所は,常陸國總社宮から東へ400メートルほど,旧・水戸街道(国道355号線)の守木町(中町)商店街沿いに大鳥居と,隣には約30台分の大駐車場,その奥に優美なる社殿が鎮座していらっしゃいます。
常陸國總社宮と並ぶ重要な社であります。
何回か声をかけてやっと出てくれた、なんか暗い宮司さん 見事な書体の御朱印です境内はというと草がホウボウであれ放題 手水舍にはボウフラがいそう 拝殿の脇にはなぜか船のイカリ⚓が数本。
県内では、崇徳院をお祀りする数少ない神社です。
高松松平家と常陸府中松平家との関係から、お祀りされるようになったそうです。
そのほか、将門公終焉の地とされる坂東市の國王神社、道真公の三男の景行公が建立された常総市の大生郷天満宮(御廟天神)と、茨城県にも凄い神社がたくさんあります。
ぜひ、訪れてみてください。
茨城県の石岡市にある大きな通りに面した神社。
鳥居をくぐり、さて手水舎で手を・・・と見ると、手水舎の桶は水が流れていなく、緑の藻が張っており、もちろん水が流れていないので濁ってて、柄杓はそんな汚水の中に浮かぶようにぶん投げられていた。
さすがにそのような状態なので手水舎の作法は省略させてもらったが、それがこの神社の闇を物語ってたのかな・・・。
今思えば。
境内で気になったのはそれくらいで、特別境内でそれ以外のゴミや雑草が目立つということは無かったが、参拝し、隣接する自宅と事務所が一体になったような建物で、ロビー扉のようなドアを開けるが・・・そこは一面のゴミ屋敷・・・。
郵便物などが乱雑に散らばっており、お守りなども置いてありましたがずっと置きっぱなしの雰囲気が見て取れます。
そこで身内の者が「すみませーん」と呼び掛けるも反応が全くない。
ので、私が大きな声で「すみませーん」と呼ぶとようやく男性(50代?)が出てきます。
もちろん、神職の出で立ちではなく・・それは構わないのですがパジャマのようなものを着て、目は虚ろな感じで出てきました。
この事務所のロビー?のゴミ屋敷っぷりなら納得の風貌でした。
そして、御朱印を頼むと他の口コミを見るとお気持ち方式だったりとか過去にはあったようですが、私の場合は「皆さん500円置いて行ってくれます」というので、素直に500円払いましたが・・・まあそこは個人的にはそれほど酷い金額でもないし、気にしてません。
文中失礼な言葉がありましたら、申し訳ありません。
でも、見たまんまの表現ではありますので、御了承いただければと思います。
事務所を開ける時にドン引きするほどの汚さだったので、もし参拝される方がいて事務所というか社務所に寄る用事がある方はご注意です。
HPもそこそこ立派なものが実はあるのですが、7年前の1月に節分祭の案内が出て以降更新がありません。
事務所の荒れっぷりやHPの更新が滞ってることなどを見ると何かあったのかもしれませんが、仮にそうだとしてもそれが何か知る由もなく。
素直な参拝の感想としてこうなりました・・・。
お参りに。
鳥居や本殿は綺麗だった。
御朱印をいただくために社務所、、、はクローズ。
人の気配なし。
社務所内にはお守りも何も置いていないため絵馬などのある社務所横の入り口へ。
インターホンや呼び鈴はなく、他の方の口コミを見ていたので「ごめんくださーい」と叫ぶも誰も出てこず。
中から人の咳やテレビの音。
何度も何度も叫んでも出てこない、そのうちに話し声が聞こえて来る。
それでも出てこない。
何なんだいったい、、、こんな思いするならこなきゃよかった。
酷すぎる対応ですね。
本殿の右手に一般家庭かと思われそうな建物あり。
御朱印を頂きにうかがったが普通の服装の宮司さん?と思われる方がいらっしゃったので御願いした。
周りは乱雑に物がおかれてお守り等も整理されていない。
いざ初穂料をお渡ししようと思い500円玉をだすと無言で受け取るので「初穂料300円でよろしいですか」と尋ねると「お気持ちだけいただいております」と言ってお釣りを渡すつもりなし。
厄払いとしてそのままにしてきました。
皆さんは100円でもいいかと。
御神水が数ヶ月前から止められ、緑色になってました。
周囲の社も崩れていくようです。
神社は趣があって良いのですが、神主さんは覇気がない。
いつも、お世話になっております。
年頭の初詣 節分今回は、お孫ちゃんの七五三詣でに来ました。
祝詞をあげていただきました。
金刀比羅神社は,もともとは大掾家が軍神,守護神として外城カンドリの地に香取神宮を祀ったことにはじまったということです。
素晴らしい神社です。
国道355号線金刀比羅神社前交差点の西側に有ります。
御祭神 大物主神 崇徳天皇 経津主神。
名前 |
金刀比羅神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0299-22-2813 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.6 |
摂社、末社のお社が荒れ果てています。
本殿横の錨は何なのでしょうか?駐車場あります。