最高に良い、水洗トイレ有り、家族連れ良し。
水鳥が沢山見られる所です。
広場もあるので家族連れにも良いかも。
ただ駐車場は狭い5台位しか止められない。
湊跡ってことなので、昔は対岸を渡る人で賑わっていたのでしょうか…または、漁師さんが沢山いたのでしょうか…夕陽がとても綺麗だし、波の音が癒されます。
とにかく夕陽がめっちゃ綺麗です。
バス釣りでよく行く場所だが、ロケーションは最高でコンパクトに琵琶湖の良い風景が詰まっている。
いつも綺麗に整備管理され感心させられる。
釣れても釣れなくても風景に和み、つい来てしまう。
公園のトイレはビックリするくらい綺麗で頭が下がる。
1601年晩秋、戦国武将、天下無双の傾奇者前田慶次が、舟で琵琶湖を北上し、この地から中山道へ入りました。
桜と琵琶湖が綺麗です。
以前は、中の方までクルマで乗り入れ出来たのが、現在は入れなくなっているので、少し星少なくしました。
素朴な史跡です。
特に見どころは、ありません。
公園がありのんびりできます。
2020.4.6琵琶湖と桜のコラボが綺麗ですよ。
朝妻湊は古代から東海・北陸地方の人の行き来や荷物の運搬など、湖上交通の要港として発展。
奈良時代には朝廷の台所である大膳職御厨が置かれ、北近江、美濃、飛騨、信濃などの諸国から朝廷に献上される品物や税、それに木材や食料などが集積され、大津や坂本などの湊を目指して多くの船が行き交っていた。
平安時代末期、木曽義仲の後続部隊の出陣時にも朝妻湊を経て戦地に向かった。
秀吉が京の大仏殿建立の際、尾張や美濃から木材を運搬し、重要な役割を果した。
江戸時代に入り彦根藩が米原湊を御用港として保護するのを境に、それまで行なわれていた湖上交通は制限、港のにぎやかさは影をひそめた。
今では朝妻湊跡の石碑、港内に敷き詰められた石畳が、当時を偲ぶものとして残っている。
現在はバス釣りなどにくる他府県ナンバーの車が多い。
地元民の名誉のためにあえて書くが記念碑前のゴミはビジターが置いたものである。
あの近江の人が自らの故郷を汚すような真似をするとは、わたしにはとても思えない。
記念碑の前は近隣住民のゴミ捨て場になってます。
ゴミ袋がいっぱいありました。
湖岸緑地でゲートボールをされてました。
歴史的価値がある場所なので、もう少し整備して分かりやすくしてもいいのではないかと思います。
さくら🌸咲く季節は、最高に良い、水洗トイレ有り、家族連れ良し。
名前 |
朝妻湊跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.7 |
桜と湖畔。
ついついシャッターをきりました。
素敵な所でした。