名前 |
熊野神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.3 |
主祭神 家都御子神 御子速玉神 熊野久須美神合祀神 倉稲魂命 菅原道真公 若山咋命境内社 八坂神社 山神社 諏訪神社 金鑚神社 社宮司社 天神社 稲荷神社由緒八日市の地名は、八のつく日に市が立ったことに由来します。
中世の鎌倉街道上道が南東の児玉郡八幡山町(現児玉町)から八日市の地内を北西方向に抜けました。
当社は八日市の村の鎮守として祀られていて、「神明帳」には「延喜式当国四十四座ノ一ニシテ今城青八坂稲実ノ神社ナリト云伝フ」との一文が見られます。
口碑によれば、村内字今城から今の森下の地に遷座されたと伝えられていて、かつてはこの社名を号していたことを窺わせます。
「児玉郡誌」によれば、正徳三年(1713)に正一位の神階を授けられ、江戸時代に地頭から除地四反五畝歩を寄附されたといいます。
本殿は春日造りで、壁面には上州花輪村(群馬県勢多郡東村)の二名の彫物屋による精緻な彫刻が施されています。
その棟札には「奉造営正一位熊野大権現御本社」「享保第拾四己酉天(1729)九月吉祥日」「別当大覚院」などが記されています。
明治初年の神仏分離を経て、明治五年(1872)に村社となり、明治四十五年(1912)神饌幣帛料供進社に指定されました。
別当の本山派修験大学院は天文二年(1533)に没した権大僧都明王法印を始祖とし、神仏分離により復飾して真仁田姓を名乗って神職となり、現在に至っています。
(境内案内板より)「本社は往古より村中の氏神と称し、延喜式當國四十四座の一にして今城青八坂稲實神社なりと云ひ傳ふ。
神階は往古は知れざるも、正徳三年1713七月正一位の神階を授けられ今其の宣旨現存す。
神領は上古は明らかならざるも、徳川幕府の時代に地頭より除地四反五畝歩を寄附せらる。
現在建物の本社は享保十四年1729九月の再建にして、棟札を現存せり。
又旧社地の村内字今城に鎭座ありしを、後に今の森下の地に奉遷したりと口碑に在り。
」神川町指定民俗文化財「八日市の獅子舞」八日市では、古くから「八の日」に物資の交換市が開かれていました。
延宝二年(1674)四代将軍家綱の時代に、この交換市で争いがあって大火となりました。
八日市の獅子舞は、この後で厄払いとして奉納したのが始まりと伝えられています。
獅子舞は神主宅や白山神社で舞い、その後熊野神社に奉納されます。
古くは雨乞いの為に奉納されたこともあります。
(境内案内板より)