案内掲示はあまりなかったような。
鳥居の前に車が停められていました。
簡単なロープで、これ以上中に入れないようにされていました。
(個人の土地でしょうか。
)しかし、ここまできたので中にはいろうとしたときに地元のオジサマにこの先にはなにもない、小さなか祠があるだけだけだから、ということであまり地域の方も大切にされている感じはありませんでしたので、中に進むことはしませんでした。
坂道の途中にあり、大きな鳥居があるのですが、入口はややわかりにくいです。
大きな鳥居です。
神湊(こうのみなと)の波止場を見下ろす草崎の小山に、宗像大社頓宮がある。
小さな花が散りばめられた原っぱの隅に小さな祠だけ、これが津加計志神社の元宮。
おそらく祠より重要なのは此の場所で、上代からの灯台だか信号所だか監視哨だか、 港の出入りを管理する施設だったのではないか。
戦国時代の終わり頃には、大友宗麟に攻められ許斐山城を失った宗像大宮司家が、此処を居城としたらしい。
古事記に拠ると、稻羽之素菟(いなばのしろうさぎ)こと菟神は大穴牟遲神に「僕は淤岐嶋(おきのしま)に在しき」と語る。
これは隠岐島のことと思われていたが、そちらは国産みの段で「次生隱伎之三子嶋、亦名天之忍許呂別。
」と明記してあり、別物のようだ。
菟神すなわち宇佐氏が居た「淤岐嶋」とは、沖の島ではないか。
津加計志神社に祀る吾田片隅命が宗像氏の祖先であり和邇氏の祖先でもある以上、役者は揃っている。
神代紀の一書に曰く。
…卽ち以て日神が生める所の三女神は、葦原中國の宇佐嶋に隆居せしむ。
今は海北道中に在り、號けて曰く道主貴、此れ筑紫水沼君等が祭神是也。
神代紀に於ける「宇佐」は、この1箇所のみ。
この宇佐嶋は所在不明、宇佐神宮はシマを縄張りの意に解釈し、元宮の大元神社が坐す御許山としている。
稻羽之素菟の話は少々、首を傾げる所もあったが、舞台がここであれば、頷けないでもない。
溺れかけた人が上陸すれば、助けを求めて丘に上がるくらいはやるだろう。
身を洗う小川もある。
舟に乗った人が身ぐるみ剥がれて海に投げ込まれるのは、海賊に遭ったか船賃を払わなかったか。
草崎の彼方には沖ノ島があり、宗像氏は和邇氏と同祖で、宗像三女神は宇佐嶋に降臨し、そのうち多紀理毘賣命は大國主神と結婚して阿遲鉏高日子根神、高比賣命/下光比賣命を産み、宗像大社の裏山となる名児山について坂上郎女は「大汝(おほなむち)少彦名の神こそは…」と歌う。
菟神は予言の神なので、これが宇佐の神であろう。
表向き、天照大神の娘としての性格が強調されがちな宗像三女神は、意外にも出雲との結び付きが強かったようなのだ。
神湊をウロウロしていたら、たまたま見かけた宗像神社と書かれた石の鳥居。
鳥居をくぐって高台の開けたところに出ます。
神域とおもわれる場所に杭と祠が祀ってあってただならぬ気配を感じました。
名前 |
宗像神社頓宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.1 |
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案内掲示はあまりなかったような。