最後に訪れたのはもう8年も前になる。
小倉の繁華街・鍛冶町にひっそりと佇む森鴎外の旧居です😃営業時間中は、無人ですので勝手に室内にあがって拝見することが出来ます。
サザンオールスターズの桑田佳祐さんのお祖父さんが、かつてこの旧居こ近くに住んでいたそうです。
桑田さんの本籍は今の北九州市若松区にあったこともあるそうです。
森鴎外先生の家です!無料で見学出来るのは有り難いです!
鷗外先生のファンでなくても、訪れて感慨深いトコロ。
よく保存されており、しかも無料公開。
軍医として出世を進めていく中での小倉赴任。
離婚をして独り身での小倉暮らしの住まいを訪れて、ここでも執筆活動をしていたのだろうと想いを馳せました。
無料です。
森鴎外の住居だそう。
きれいに手入れしてある。
月曜日と祝日はやってません。
無料です。
ゆっくりした時間が流れている感じです。
建屋はほぼ明治当初と変わらず、往時が偲ばれタイムスリップしたような感じでした。
建屋にも無料で入れます。
たまたま通りかかって立ち寄ったのですが、綺麗に保存されていました。
繁華街の中にポツンと佇む旧居の中に入るとタイムスリップした気分になれました。
何十年も小倉にいてこんな繁華街の一画に家があったなんて‼️
言わずと知れた文学者(小説家)でもあり、陸軍軍医でもある。
小倉に左遷された時にここを住まいとしている。
二年も住まわないうちに近くに引っ越しをしている。
我輩がどうのこうのと言うよりも賢明なる読者諸氏ならば既にご存知であろうから釈迦に説法かもしれん。
佇まいを見て頂きたい。
温故知新。
やはり日本家屋の良さが感じ取れるのではなかろうか。
畳が良いだろ。
夏は涼しいぞ。
しかしながら・・我輩の身長は180を超えるものだから鴨居にあたる。
武士の時代にあって部屋の中で刀を振り回しても鴨居に当たるようにしてあるからだ。
周辺は飲み屋街である。
鴎外も今の時代左遷されてきたなら吞兵衛になっていたかもな。
散歩がてらにはこのギャップが面白いかもしれんな。
繁華街の中に突如ポツンと現れる古い民家。
かなり復元されているようですが、時代を感じました。
遺書が展示されており貴重なものを拝見しました。
期待に反して、意外にいいと思う。
繁華街の中に急にあるスポットだが、落ち着いた感じ。
森鴎外に思いをはせると良い。
森鴎外作品「鶏」散歩森鴎外が小倉に左遷された時期を題材にした作品。
石田少佐(森鴎外)が船で門司港に着くところから話が始まる。
馬が横浜から船で別当(馬丁)と一緒に後から着く。
森鴎外は離婚後に小倉に赴任したが物語では死別した為に独身と設定されている。
物語は森鴎外本人である石田少佐がノーテンキに設定されたている。
鍛冶町にある借家に住みながら、下女や馬丁と一つ屋根の下で暮らしている。
彼らが米や野菜がくすねる話がほのぼのとした雰囲気で展開する。
独身であるが為、仕事に出かけた後、家の中を彼らに好きなようにされていた姿が描かれている。
石田少佐は、若い下女を雇っていたが妙な噂が立つ事を恐れて下女二人を雇い一緒に住ませている。
現実世界では森鴎外がその一人に男の子を産ませた、という話がある(この謎を松本清張が探っている話もまた面白い)。
物語では森鴎外が住んだ鍛冶町の借家の風景が詳しく書かれている。
なお、石田少佐(森鴎外)は暇な休みにやることなく小倉の街を歩いているが、小倉の街の風景はほとんど書かれていない。
精々いくつかの地名が書かれている程度で、小倉は何も面白いものが無い、と言うように簡単に書いて終わっている。
もう何度も訪れている鍛冶町の借家に小倉の散歩で立ち寄りました。
昔も今も同じ鍛冶町であることがいい。
この家の西隣にある南国ビルに入っていたバブによく飲みに行った事を思い出す。
鴎外の旧宅をなんと実際に上がることができます!簡素ですが風情のあるつくりとお庭に鴎外に思いを馳せながら一時を過ごすことができます。
最後に訪れたのはもう8年も前になる。
小倉の駅前繁華街の中にポツンと残されている。
北九州市の好意により無料で開放されている。
特筆すべき見るものは無いが、古い建物で鴎外が暮らした当時の雰囲気を感じてみてはいかがだろうか。
名前 |
森鴎外旧居 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
093-531-1604 |
住所 |
〒802-0004 福岡県北九州市小倉北区鍛冶町1丁目7−2 |
関連サイト |
https://www.gururich-kitaq.com/spot/ogai-mori-former-residence |
評価 |
4.1 |
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無料で見学出来ます。
近所の方が親切に教えてくださいました。