タイムスリップした気分になります!
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ここ、手向山公園には宮本武蔵の死より9年後の1654(承応3)年、武蔵の養子の宮本伊織によって建てられた武蔵顕彰碑があります。
碑文には武蔵の剣歴が記述され、二刀流を生みだす工夫や巌流島の決闘までの様子なども刻まれている。
武蔵関係最古の記録のひとつである新免武蔵の顕彰碑、通称『小倉碑』は北九州地方第一の名碑と言われています。
また、村上元三の小説「佐々木小次郎」の完成を記念して、1951(昭和26)年には佐々木小次郎の碑が建てられています。碑には村上氏の詠んだ句が刻まれています。
公園には巌流島や関門海峡、響灘まで見渡せる展望台もあります。
車だとスグに行けます。
手向山公園の中に有ります。
展望台からは巌流島も見えます。
人がいない。
見晴らし良し。
武蔵・小次郎、小島に咲いた武芸の華2宮本武蔵と佐々木小次郎がこの島で雌雄を決したのは、慶長17年4月13日であるが、このふたりには何の遺恨もなかった。
豊前小倉の細川家に仕えていた小次郎に、武者修行で諸国を巡っていた武蔵が試合を申し込んだという。
兵法者同士の単なる腕試しであったはずが、小次郎は真剣勝負を望み、武蔵は「木剣を以って秘術を尽くす」と答えたと、小倉手向山に建つ「武蔵碑」に刻まれている。
戦前の芝居や絵本では小次郎という美しい名ではなく、武蔵にとって憎い親の敵の佐々木巌流として描かれ、眼光鋭く風貌のまた蓬髪茫茫、鬼のように大きな年配男であった。
これは延享3年に書かれた浄瑠璃「花筏巌流島」が広く一般化したものであろうといわれている。
遺恨のない試合が結果的に殺し合いとなったこと、京都一乗寺での吉岡兄弟を倒して名を挙げた武蔵を颯爽たる二刀流剣士とし、無名に近い巌流といういかめしい流派を悪名に仕立てる筋書きは、大衆劇の格好の材料となった。
(冨田義弘)図説「下関の歴史」より。
景色がいい。
車で行けます。
名前 |
佐々木小次郎の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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碑がぽつんとある。
新聞の掲載の記念だとか。