両日13台の車山が並びます。
普通の広場で特筆すべき事はありません。
休日は観光客の車で渋滞しやすいです。
サイクリストの休憩ポイントです。
春は芝桜が植えられてとても綺麗です。
信長時代の犬山城は、現在天守が建つ白山山では無く、現天守より西南に200m程の広場や第一駐車場奥にある小高い丘の森になっている三光寺山が犬山城だったそうで、三光寺山城とも呼ばれてたそうです。
規模的には現犬山城よりは劣りますが、木曽川沿いの丘陵で北西は断崖となっており、美濃方面の監視には適した場所だと思いました。
織田信清が信長に攻められ落城した時も、小牧長久手の戦いの前哨戦で池田恒興に攻められ落城した際も三光寺山が犬山城だったようで、小笠原吉次が城主だった頃に現天守の白山山に移ったそうです。
池田恒興が犬山城を急襲した時の城主は中川定成で伊勢方面に出陣して不在の為、叔父の中川清蔵主が城代として戦い玉砕し、討ち死に場所に立派な碑が城前広場にありますが、なぜ有利で高地に位置した現天守から降りた西谷入口付近で討ち死にしたのか疑問でしたが、三光寺山が当時の犬山城なら木曽川を渡り現迎帆楼付近に上陸した池田軍を迎え撃ち城を守り玉砕として辻褄が合うと思いました。
犬山城の天守閣へと向かう入り口にある広場。
「国宝犬山城」と彫り込まれた大きな石が右手にあり、左手には左から順に、小牧長久手の戦いの際にこの城で討死をした中川清蔵主の碑、木曽川の治水工事の際にその遅れの責任を取り切腹した薩摩義士の碑、そして犬山出身の薬学者である下山順一郎の像が並んでいます。
名前 |
犬山城前広場 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
犬山駅から歩いて犬山城へ向かったので、こちらの広場を通ったのは下りて来てから、広場に大きな石があるのも知りました。