こちらは神川町大字植松の日枝神社。
植竹日枝神社(うえたけひえじんじゃ)御祭神 大山咋命境内社神明社 北野社 三島社 大国社 八幡社 諏訪社 稲荷社 春日社 豊受社 八坂社 三峰社 古峰社 愛宕社 秋葉社 面金剛二基 城峰 地蔵尊 御嶽社 埴安媛命・少彦名命・大己貴命・天照皇大神・倉稲魂命 諏訪大明神 猿田彦大神由緒近江国一宮で、比叡山延暦寺の地主神とされる日吉大社は朝廷の宗敬が厚く、また天台宗の護法神としても崇敬されてきました。
このようなことから当社の創建には、別当であった天台宗長慶寺がかかわったと考えられます。
長慶寺の開山は法印天神房善海といいますが、没年は不詳で、宝永二年(1705)十一世法印枢運の時、児玉郡金鑚村金鑚寺の末寺となったと伝わります。
「児玉郡誌」には「当社創立は、大治五年(1130)に近江国滋賀郡日吉神の御分霊を遷座し、当村の鎮守となすと云ふ、永正元年(1504)九月本殿及拝殿を改造し、天正三年(1575)四月に随神門を建設すと云ふ、当時賀美郡金窪のタヤ城より大畠大膳広忠当地に来り土着なし、当社を厚く信仰したるより神徳大に増加す、安永年中(1772~1781)社殿を改築し石灯籠を建立す、其後屡々社殿を修繕す、社領は字猿楽と云ふ処を地頭より寄附したりと、是れ当社の縁故地なり(以下略)」と記されています。
「風土記稿」植竹村の項には「山王社村の鎮守なり、長慶寺持、末社稲荷諏訪八幡春日天王天神」と載せられています。
明治初年の神仏分離により別当の長慶寺から離れた当社は、明治五年(1872)に村社となり、同三十八年(1905)に字諏訪森の無格社諏訪社を境内に合祀しました。
(境内案内板より)当神社の創立は詳らかでないが古老の伝によると正平年間(1346~1370)の創立であると言う。
御祭神は大山咋命を奉斎、世に山王の神と申しあげ、近江國日吉大社と御同神で、山野の樹木や五穀をのばし育てる御神徳を有しておられる。
本村の鎮守として村民の崇敬極めて厚く旧社格は村社である。
境内は広大で壹千参百四坪の森厳な神域であり、昭和二十三年(1948)末社十四社を合社様に遷座し現在に至る。
(境内石碑「日枝神社社誌」より)
ポケGOしてます。
こちらは神川町大字植松の日枝神社。
公園や集落センターが隣接していて、駐車場もあり、全体がきれいな神社です。
植竹日枝神社随身門が立派で、左右の部屋に随身が鎮座しています。
近隣の神社も多く合祀されていて、神社境内社も賑やかです。
「山王鳥居」と呼ばれている、日枝神社独特の鳥居が本格的です。
旧村社格。
寺のような、両の柱に神様がいるような形式の門がある。
名前 |
日枝神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0495-77-3497 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
人影が無い静かな神社で、鳥居と門の朱色が目立ちます。