小谷城の目前500mあまりに信長軍。
虎御前山城 織田信長陣地跡 / / .
景色が良かったです。
僕は虎姫方面から登ったんですが、30分もかかりませんのでいいハイキングになりますよ(^-^)
歩いて60分という様な書き込みもありますが、虎御前山展望台まで車で行けるので、そこからだと歩いて30分もかからずここまでたどり着けます。
道も整備されているので、難易度は低いです。
自分は夏に行ったのですが、難は「メマトイ」。
顔にまとわりついて来て本当にうっとうしい。
虫除け等対策は絶対必要です。
東尾根の北側と南側に竪土塁があり、周回しました。
南側竪土塁は所々にリボンがあり、迷わないが、北側竪土塁はリボンもなく難しい。
ほとんど藪なので竪土塁の盛り上がりだけが頼り。
麓の墓地付近で土塁が切れていて虎口状となる。
竪土塁は谷を挟むように取り巻く2021年11月29日探索した馬《●▲●》助ヒヒーン♪
南北に長い丘陵のところどころに平坦地を設け、織田方諸将が小谷城に対する陣を構えている。
一番高所に最も広い曲輪があり、そこが信長の陣と推定されている。
陣跡は予想以上に残っていて驚いた。
小谷城の山もよく見える。
この山から小谷城攻略を秀吉や信長が練って、出陣していった。
虎御前山公園に車を停めて、そこから山道歩いて60分後程度でたどり着きました。
陣地跡で石垣島等は一切ない、ただの小さな広場になってます。
戦国期 浅井氏の小谷城攻めの陣城として織田信長が活用した。
柴田勝家.羽柴秀吉.堀秀政.滝川一益 (鉄塔のため破壊されている箇所は有りますが…) 等の陣地跡が残り、とても見ごたえが有ります。
ハイキングコースとして整備もされていて、小谷城跡の目と鼻の先に各陣地が展開されている様に、まさに日本の歴史が動く現場に立ち合っている感覚を覚えてしまいます。
歴史好きの方なら楽しめるはずです。
小谷城跡から見た虎御前山城です。
虎御前山城(とらごぜんやまじょう)は、戦国時代、浅井氏の居城である小谷城を攻略するため、織田信長が築いた付城(つけじろ、=陣城)です。
元亀元年(1570)6月、姉川の合戦で信長に敗れた浅井長政は、小谷城に籠城。
信長は、横山城(堀部町)に前線基地を置き、浅井攻略をはかりますが、元亀3年(1572)7月以降は小谷城包囲のため、対面にある虎御前山に砦を構え持久戦に備えました。
虎御前山では大規模な築城が行われ、木下秀吉(のちの豊臣秀吉)が城番(定番)に任命されました。
訪れた時は「織田信長陣地跡」周辺の草刈りが行われた後で廓や堀切、等がわかりやすく尚且つさっぱりとした感じで探訪できました。
また、こういう遺跡の場所はしっかりと管理、手入れする事で興味や魅力が増すのも今回、訪問して思いました。
多分、草ぼうぼうなら少しガッカリしていたかと思います。
そう考えると管理されているのは地元の方々だと思いますが後世の人の為に大事に残したいもしくは町のシンボルとして大切にという思いがあるのでしょうね。
しっかりと色々な遺構を気持ち良く見学、歴訪させてもらい遠方より伺った甲斐がありました。
ありがとうございました。
小谷城攻めに織田信長・羽柴秀吉・徳川家康の天下人3名が布陣、同時に存在した事実がこの山の価値を高めている。
戦国歴史ファンにはたまらない場所です。
小高い丘の城跡。
雨降りにカッパ着て登城した。
ハイキングコースとして整備されてて案内板も有り迷うコトは無かった。
滝川一益、堀秀政、佐久間信盛、信長、秀吉、柴田勝家などの有名武将の陣跡がある。
それぞれに説明板や標柱があって楽しめた♪雨の日の眺めは霧でモヤモヤ(^o^;)
小谷城攻めの織田信長陣場武将の陣場跡には石碑が建つ横堀や工夫された虎口が見応えあり。
小谷城の目前500mあまりに信長軍。
名前 |
虎御前山城 織田信長陣地跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
感動しました。
浅井との同盟を反故にされた怒りは如何程か、その怒りは、この虎御前山に見られるように思います。
周りには織田家の重臣を配置し、竪堀、横堀、土塁を配し、曲輪の周りには帯曲輪(犬走り)もあり、最前線には、羽柴秀吉を配置して、総攻撃で攻め落とし、浅井家は滅亡しています。
秀吉の最前線の一つ後ろに信長の陣跡はあります。
虎御前山の最高点にあります。
その前にいる秀吉の攻撃を後ろから見守っていたと考えると、臨場感を感じます。