由緒はほかの方が掛かれているので省略。
本殿の右手奥に「出雲大社 遥拝所」という場所があり、遠く出雲大社を思いながらお参りしました。
そこを更に、本殿の裏側に進むと景色の良い、開けた場所に出ます。
新春を迎えようやく来ました。
付近をよく往来するが初めて参拝を行った。
急な石段は足にきますね。
拝殿の裏を少し下りると中海の絶景が見えます。
2回目の参拝。
前回は、何の情報も無しに訪れたので、ただひたすら、石段を登って達成感に浸ってしまい…大岩神祠と八百比久尼の洞窟(?)があるなんてつゆ知らず、こんな重要なとこを見逃していたと、もう一度訪れた次第。
鳥居から右手奥へと進むと、説明看板が立っていて、参道(?)の先に大岩神祠、その奥に八百比久尼が奉られ、ひっそりと佇んでいます。
その参道には、少名彦命が渡ってきた(?)側溝の水の流れが想像力を掻き立ててくれ、神話の世界に触れさせてくれます(?)ので、こちらも忘れずに。
やっと行くことが出来ました。
楽勝と思っていた階段に心臓バクバク。
偶然宮司さんのお話も聴けて良かったです。
広い敷地を管理されており感謝です。
蚊が多いです。
虫除けが活躍するかも。
平成27年9月3日 参拝平成28年5月22日 参拝(トルネード)平成29 年3月11日 参拝 (トルネード)令和3年5月24日 参拝。
米子空港から車で10分もかからないところにありました。
少彦名命を祀るこの神社で迎えてくれるのは長い階段。
頑張って登ったその先に拝殿がありました。
本殿の裏手からは中海が見渡せる場所があり、とても眺めがいいところです。
私たちが訪問した時間は夕日には少し早かったのですが、きらきら光る中海をずっと見ていました。
米子空港から飛び立つ前に、時間があれば旅の終わりに寄ってもらいたい神社です。
3年ぶりに、粟島神社に参拝しました❗️☀️風🌀が強かった。
とても暑い☀️😵💦石段が長くて脚が棒になりました❗️🍂枯れ葉が秋晴れに🍁🍃沢山舞って‼️
標高36mの明神山(粟島)頂上に鎮座されている大社造りの巨大な神殿で、御祭神は少彦名命です。
こちらの神社は2020年度開運八社巡りの干支神社に指定されています。
36mの標高差は急勾配の石段で一気に登ることになり、なかなかハードな参道となりますね。
頂上の境内は落ち着ける雰囲気でありホッと出来ます。
こういう場所がパワースポットと言われる場所なのかもしれません。
御朱印は社務所で授かることが可能です。
来待石を積み上げた、角度のきつい石段が続く。
息を荒げて187段を登り切ると、丘の頂上に出た。
標高は38メートル。
参道の先には、それほど大きくはない社殿がある。
御祭神は、少彦名命(すくなひこなのみこと)。
大国主命こと大黒さまと共に、国を開いた神だ。
『伯耆風土記』によると、少彦名命が粟の穂にはじかれて、“常世の国”に渡ったことから「粟島」と名付けたとある。
もともと、ここは離れ島であったらしい。
江戸時代の中頃、陸続きとなったようだ。
神話に登場する少彦名命。
この神は手に乗るほど小さく、おとぎ話『一寸法師』のモデルとも云われる。
因幡の白兎を助けた大国主命は、医学の神でもあった。
少彦名命もまた、医療を人々に広めた神である。
ことに、まじないの術に長けて、病に苦しむ人々を救ったと伝わる。
今でも地元の信仰は厚く、境内に荒れた気配はない。
しかし、どこかもの寂しい。
深とした空気に、スピリチュアルなものが漂っている。
“常世の国”は、死者の国も指す。
この神社も、あの世とつながっているのだろう。
粟島神社は、階段が187段あって由緒ある神社です。
裏に行くと出雲大社を拝む所があります。
また参道の横には、伊勢神宮を拝むところがあります。
最初は187段の階段を3回登ったら足ががくがくして膝が笑ってしまいました。
何回も登っているうちに5回7回10回13回登れるようになり、今では20回登れるようになりました。
20回登るのに2時間ぐらいかかります。
187段20回で3740段です。
いまは、10回ぐらいしか上りません。
高校生は、40回登るそうです。
皆さんも粟島神社の階段を登って見てはいかがですか。
粟島神社の神様に感謝。
一直線に延びる187段の階段を笑う膝と一緒に登りきると「少彦名命(すくなひこなのみこと)」を祀る「粟嶋神社」があります。
ここは今では米子市内と陸続きですが、江戸時代までは中海に浮かぶ島だったそうで、この島をぐるりと回って中海側には「静(しず)の岩屋」と呼ばれる洞穴があります。
────────その昔、漁師の集まりで珍しい料理が出されたが気味悪がって誰も食べず、ひとりの漁師が家に持ち帰りました。
それを、何も知らない娘が食べてしまったのですが、それは『寿命が来ない』といわれている人魚の肉でした。
その肉を食べてしまった娘はいつまで経っても18歳のままで寿命が来ません。
やがて世の中をはかなみ、尼さんになってこの洞窟に入り、物を食べずに寿命が尽きるのを待ったそうです。
寿命が尽きた時の年齢はなんと800歳。
その後「八百比丘(はっぴゃくびく)」と呼ばれ、延命長寿の守り神として祀られたとさ...。
────────実際に訪ねてみると「これは実話だったのでは!?」と思えるほど神秘的なオーラを持つ粟嶋です。
粟嶋の鬱蒼とした面持ちは遠くから見たよりも近ずいて行くに従い一層その思いは強まりました。
江戸時代中頃の中海彦名干拓により中海に浮かぶ離島の粟嶋が陸続きの粟嶋に変貌しました。
それまでは船で粟嶋へ渡っていたということでしょう。
「粟嶋神社」は弓ヶ浜半島の内側、中海に面し対岸は出雲の国、こちら側は伯耆の国に位置して両国人の信仰を集めてきました。
古代からの神話や言い伝えに富む由緒ある神社で戦国期は出雲の尼子氏の寄進、江戸期は米子城主荒尾家の崇敬の記録が残されています。
粟嶋の上までは気持ち良く真っ直ぐに178段の石段が参拝者を迎えます。
休み休みして上がりながら、野鳥たちの絶え間ないさえずりの声を聞きながら拝殿・本殿前に進みます。
途中の石段が終わり門の中、両脇の金網を通して神像が一体ずつ安置されています。
拝殿・本殿前でしばらくお側にいましたがその間、木立と木立の間から吹き込んでくる少しひんやりした風が頬を撫でとても気持ち良く感じました。
下へ降りた時に感じた風とは全く違う風が拝殿・本殿前には吹いています。
全然空気感が異なります。
「粟嶋神社」の魅力とパワーがここにあるに違いありません。
歴史を感じられる場所です。
私の父はその昔、ココで八百比丘尼や怪光を見たと言っていました。
標高38mの小高い丘・粟島。
いにしえより“神の宿る山として信仰され、今では米子市内と陸続きですが、江戸時代までは中海に浮かぶ小さな島でだったそうです。
御祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)です。
少彦名命にちなんで、この辺りの地名は彦名といいます。
少彦名命(すくなひこなのみこと)は大国主命(おおくにぬしのみこと)と一緒に全国を回って国づくりをした神さまです。
一寸法師のような小さな神さまで、「古事記」によると「粟島」で、粟の茎に弾かれて、常世の国に去って行ったとされています。
常世の国とは、海の向こうの異界のことです。
狛犬が世代交代しているようで、先代は、台座からおろされ隠居しておりました。
新しい狛犬は、台座と年代が異なり、また出雲型でもないので、復刻版というよりリニューアルという感じでしょうか。
古事記に名が載る古社、由緒はほかの方が掛かれているので省略。
やはり空気感が違う、千数百年の歴史を感じる。
2015年10月訪問。
とても静かで落ち着く神社でした。
粟嶋神社境内のご由緒看板より転記粟嶋神社 米子市彦名町一四〇五番地御祭神 少彦名命(大己貴命・神功皇后)御由緒 当神社の創建年代は不明だが、古代より神の宿る山(神奈備)としての信仰があり、神功皇后、後醍醐天皇御祈願の伝承、尼子氏の寄進、米子城主代々の崇敬等も記録に残る、長い伝承と歴史をもった社である。
山頂の御社殿は昭和11年12月再建のものであり、総台湾桧造りで屋根は銅板葺き、弓浜地方随一を誇る。
御祭神の少彦名命は、神代の昔、大己貴命(大国主命)と共にこの国をひらき、人々に医療の法を教え、禁厭の術を授け、万病よりお救いになった神であり、その尊い御神徳は古事記、日本書紀に記されている通りである。
後に常世の国に御渡りになったその最後の地がこの粟嶋である。
御神徳 少彦名命は、難病苦難をお救いになる祖神様であり、殊に婦人の病気平癒延命長寿、安産、子授け、交通安全等の祈願多く、氏子はもとより古来広範囲にわたる庶民の篤き崇敬を集めている。
御祭日 春例大祭 4月12日 夏祭 旧6月11日 秋祭 10月12日風土記の里 粟嶋(米子市指定名勝・県指定天然記念物)沿革 粟嶋は、伯耆国風土記逸文によると、少彦名命が粟の穂にはじかれて常世国に渡られたので粟嶋と名づけたとある。
江戸時代中頃までは中海に浮ぶ小島であったが、江戸時代末期に埋立てられて陸続きとなった。
一の鳥居のあるあたりが、昔の海岸線であり「三文渡し」の舟着き場があった。
海抜38米、187段の石段を登れば四方の眺望はまさに絶景、特に南側、本殿裏の小路を下って展望台に立てば、東の伯耆富士大山、米子平野から西の安来十神山に至るなだらかな稜線に囲まれた水路はまるで瀬戸内の景観を思はせ、錦海八景の内「粟嶋の秋月」として知られている。
シイやコガの古木がうっそうと茂るこの社叢の植物分布は、この地方でも珍しく多種にわたっており、昭和53年米子市の名勝に、又昭和56年、県の天然記念物にそれぞれ指定されている。
境内を右へ廻った所に「お岩さん」とよばれる古代神まつりの場があり、西側の山麓には、その昔、人魚の肉を食べて800歳まで長生きをしたという「八百比丘尼」の伝説の洞窟「静の岩屋」がある。
伯耆国風土記逸文 粟嶋伯耆国の風土記に曰はく、相見の郡、郡家の西北に餘戸の里あり、粟嶋有り、少日子命、粟を蒔きたまひしに、莠實りて離々りき、即ち粟に載りて常世の国に弾かれ渡りましき、故、粟嶋と云ふ。
(釈日本紀 巻七)
名前 |
粟嶋神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
境内や社殿は綺麗に整備清掃されていました。
拝殿までは石段を一気に登るので結構疲れます。
歴史の古い神社で見所が沢山あり御朱印は直書きで受領出来ました。