於大の方が眠る歴史の庭。
傳通院の特徴
於大の方や千姫の墓があり、歴史を感じられる空間です。
美しい山門は2012年に再建され、訪れる人々を魅了しています。
境内にはさまざまな著名人の墓所があり、趣ある雰囲気が漂っています。
浄土宗寺院で本尊は阿弥陀如来。
徳川将軍家菩提寺であり、徳川家康母の於大の方の墓や、孫の千姫の墓があります。
本堂脇にある“五輪の大塔”が於大の方のお墓です。
境内には他に法蔵地蔵像や指塚があり、参道脇には指圧師浪越徳治郎先生の指圧専門学校があります。
礫川マラソンゴール前にありました。
徳川家康の生母「於大の方」のお墓があるお寺になります。
於大は、おだいと読むそうです。
帰って家で調べました。
流石徳川家が埋葬されているだけあり、とても壮大で隅々までかなり綺麗です。
御朱印は、右手寺務所で頂きましたが、その際にお供え物も頂きました。
母が御朱印集めが好きで、それを付き合って神社仏閣に行くようになりましたが、私は日本人なのに、毎度何も知らない、勉強不足と感じるばかりです。
これからも、色々触れ合って勉強を続けたいと思いました。
伝通院は浄土宗のお寺で、無量山寿経寺と号します。
小石川 伝通院と呼ばれることもあります。
本尊は阿弥陀如来像浄土宗中興の祖了誉聖冏上人が応永22年(1415)に小石川極楽水に創建。
慶長8年(1603)徳川家康公の生母於大の方(法名傳通院殿)埋葬に際して寺を当地に移して再興しました。
家康の母のほかにも柴田錬三郎、佐藤春夫、浪越徳治郎など数々の著名人が埋葬されている浄土宗関東十八檀林のひとつ、増上寺の次席で、徳川家の菩提所となり、数多くの末寺を擁していました。
この近くで生まれ育った永井荷風の随筆「伝通院」の他、夏目漱石の「こころ」二葉亭四迷の「平凡」など文学作品にも描かれている由緒あるお寺です第二次世界大戦のアメリカ軍の空襲で山門や本堂は焼失し、現在残されているのは戦後に再建されたものです境内では法蔵地蔵尊という名前のお地蔵さんと出会うことができました。
文京区朝顔まつりポスター拝見して初めて訪れる徳川家康の母の葵の御紋お墓がありお参りもしました睡蓮鉢もありとても掃除の行き届いた由緒ある傳通院でした 朝顔や全国各地ゆかりのある土地の商品販売や作るイベントなどありました お昼過ぎ寄席もありましたがこちらは時間合わず 御参りもゆっくり出来ほのぼのした時間でした。
昨年2023年12月3日(日)に撮影。
傳通院ホームページ:当山は、応永22年(1415)、浄土宗第七祖了誉が開山したお寺です。
当時は小石川極楽水(現在の小石川4丁目15番)の小さな草庵で、無量山寿経寺という名で開創されました。
それから200年後の慶長7年(1602)8月29日、徳川家康公の生母於大の方が75才、伏見城で逝去。
その法名を「傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」と号し、この寿経寺を菩提寺としたことから「傳通院」と呼ばれるようになりました。
正保4年(1647)には、家光の次男亀松君が葬られ、以来徳川幕府の外護を賜り諸堂伽藍を整えて参りました。
山号 無量山江戸三十三箇所札所、観音札所第十二番札所・歴史慶長7年(1602年)に徳川家康公の生母の於大の方が、京都にある伏見城で死去。
遺言により於大の方の遺体が江戸に運ばれ、大塚町の智秀寺という寺で火葬され、位碑は久松俊勝の菩提寺である安楽寺(愛知県蒲郡市)、光岳寺(千葉県野田市)、他それぞれに於大の方の菩提寺が建立される。
そして、寿経寺という寺を現在の傳通院がある場所に移転し堂宇(仏堂のこと)を建てます。
安楽寺の住職から於大の方の法名伝通院殿に因み、院号を伝通院となる。
家康公は当初、芝の増上寺に母を埋葬する予定であったが、増上寺第十二世観智国師、慈昌から「増上寺を開山した聖聡上人の師である了譽上人(=聖冏…しょうげい、南北朝時代〜室町時代中期の僧)が庵を開いた故地に新たな寺を建立するように」という助言で伝通院を慶長13年(1608)に竣工、家康公から観智国師門下の学僧で、後に増上寺第十三世となる廓山が初代住職となり、寺領600石を与えられ、多くの仏閣を有し威容を誇りました。
また寺の最高位「紫衣」の着用を認め、江戸では増上寺に次ぐ徳川将軍家の次席菩提寺となり、増上寺、寛永寺と並ぶ江戸三霊山となり、数々の徳川将軍家の正室、側室、子息、子女がここに眠っています。
伝通院の威容は、江戸名所図会、無量山境内大絵図、東部小石川絵図にも描かれている。
当時、伝通院は風光明媚な高台に建っており、富士山、江戸湾、江戸川等が眺望できたと書いてあります。
元和9年(1623年)に830石に加増され、関東十八檀林の上席に指定されました。
享保6年(1721年)と享保10年(1725年)にそれぞれ大火で被害に遭っています。
・新選組幕末、新選組の前身である浪士組が結成され、近藤勇、土方歳三、沖田総司、芹沢鴨、山岡鉄舟、清河八郎を中心に250人が集まりました。
・彰義隊幕末、江戸城無血開城と同時に上野で自害した少年兵で組織された彰義隊が結成されたのもこの伝通院があった場所と言われています。
・明治維新明治以降、江戸幕府が無くなると同時に伝通院は衰退して歯止めが出来ない程になってしまいます。
そこに同じ浄土宗の寺で長野県の善光寺が分院を建て、少しずつ復興していき、浄土宗の学校で淑徳女学校(現在の淑徳SC中等部・高等部)が創立しました。
江戸時代までは武家や高い身分の人間しか伝通院に墓を造れなかったが、明治以降になると一般庶民にも開放され、庶民の墓も造れるようになります。
アクセス都営三田線、春日駅東京メトロ丸ノ内線、東京メトロ南北線、後楽園駅それぞれから徒歩10分です。
応永22年(1415年)創建の徳川将軍家の菩提寺である由緒ある寺院です。
正式名は無量山傅通院寿経寺。
徳川家康の生母、於大の方をはじめ、徳川家ゆかりの方々が眠るそうです。
川越街道から綺麗な山門が見られ、近くには東京ドームもあり都会の中にあるとは思えないほど、静かで綺麗なお寺でした。
夏にお詣りした際には、風鈴の音色が素敵でした。
御朱印は書き置きでしたが、お寺の方々が御丁寧に対応してくださいました。
東京メトロ丸ノ内線後楽園駅徒歩7~8分位です。
歴史のある良いお寺。
徳川家の菩提寺。
時間が遅くしまってましたが、今度ゆっくり行きます♪。
江戸三十三箇所の十二番目の札所広い敷地にビックリしました本堂も広く正面に阿弥陀如来、左に無量聖観世音菩薩が安置されています本堂左手に休憩所があり、お守り等が購入できます御朱印は右手側でいただけ、とても丁寧なご対応をいただきました。
徳川家に所縁のあるお寺、この辺は寺町ですが他のお寺より山門も大きく立派で敷地も広いです。
1月下旬でしたが梅が咲き始めてました。
本堂の右に寺務所、左奥に売店があります。
自分は春日から善光寺坂を上がりましたが後楽園からも近いです。
素晴らしく立派なお寺です。
この辺りは小石川寺町と呼ばれ、沢山の由緒ある寺院があります。
神仏に護られ生かさせていることに、改めて感謝出来る場でもあります。
徳川家康が生母於大の方をこの地に葬った後にお堂を建立し伝通院と名付けられた。
ここに徳川家康の生母於大の方や千姫を初めとする徳川家の女性の髪があります。
流石徳川家の寺院立派な建造物荘厳です一度は訪れてみては。
駅からは少し離れているが山門横に参拝者用駐車場があるので車で来ると便利。
本堂からは墓地の緑と遠方のビルが見えるなかなかの見晴らし。
境内には家康生母於大や千姫はじめ将軍家類縁の方々の巨大な墓石が並ぶ。
偶然にも尊敬する清河八郎の墓が此処にあることを知る。
謹んで合掌させて頂いた。
於大の方や千姫の墓所、著名人の墓など、境内に案内図があります。
眺めもよい。
七福神のお寺と勘違いして尋ねてしまったが丁寧な対応をしていただき感謝しています 流石に由緒あるお寺です。
全てが綺麗で圧倒されました。
於大の方、千姫の他に幼くして亡くなったお子さまたちのお墓もたくさんあります。
お参りさせて頂きました。
都営三田線春日駅のA5出口から源覚寺前を右にまっすぐ歩いて7~8分、左手に曲がるとひたすら上り坂を上ると、かつて徳川将軍家の菩提寺の一つ、伝通院の大きいが真新しい山門が見えてくる。
初代家康の母のお大のかたが葬られていて、芝増上寺の次に格式の高い処遇を受けた。
祖父と祖母のお墓があります。
中々お参りに行けませんが必ず行きます!本堂にも寄ります!昨年の元日、ドームでライブがあった時に立ち寄りました。
それ以来行ってないから今年は必ず!行きます☆
住宅街にさり気なくあり、中に入るととても歴史と雰囲気がある事に気が付きました。
徳川家所縁のお寺で、三つ葉葵が目印なので、通りすがりに参拝してみては如何でしょうか。
徳川家康の母,於大の方のお墓をはじめとして,代々徳川家の女性や子供のお墓があります.敷地もとても広く,子供が遊んでいたりします.
いつもお墓参りに行っています。
綺麗で気持ちがいいです。
広々して居ます。
文京区小石川❗なんと堺屋太一さんのお墓がありました。
落ち着きある神社境内には歴史上の人物のお墓が多く、趣があります。
徳川家康公の御母上と、孫娘で豊臣秀頼に嫁いだ千姫様のお墓があります。
他にも徳川将軍家の血縁者のお墓が多数あり、歴史好きには是非参拝して欲しいお寺です。
駐車場も完備されていて、お手洗いがとても綺麗です。
飲食不可ではあるものの、お茶やコーヒーが無料で提供されている休憩所もあります。
こんな都会にこんな広大な敷地って🤩さすが葵の御門がキラリッという余裕を感じました。
本堂の中も参拝させてくれます。
阿弥陀さま、観音さま、涅槃図が迎えてくれますよ。
徳川家にまつわる墓所も一見の価値あり!法然像のフィギュアはラスト一体。
急いで!
徳川家康の生母、於大のお墓に感動しました。
ご住職も親切、御朱印はとっても立派。
どこも綺麗に掃除されていて、とても素敵なお寺だと思います。
日曜日にお墓参りで訪れました。
落ち着いた荘厳な境内ですが、花見をされている方々も多く 珍しく賑やかでした。
毎年、桜の開花を楽しみに生きています☺️素晴らしいです🌸遠くの人ゴミに行けなくても徒歩3分圏内で楽しめて幸せな気分です🌸
花見で行きました。
満開に近かったです。
家康の母が入っている寺です。
駐車場があるので行きやすいです。
きれいでした。
このお寺が江戸に城下や、寺社に許可願いを通る場所。
また、有名な墓地もあり、太平洋戦争以降の徳川所縁の姫様は伝通院に御霊が安置しているようで。
その徳川家の所縁,伝通院は1月と8月以外の毎月第1土曜日は写経会があります。
良い場ですよ‼️
文京 朝顔 ほおずき市へ行きました。
朝イチで行ったら空いていたので見やすかったです。
でも早すぎて団十郎の苗がまだ届いていませんでした。
私は向かって左手の寺務所でご朱印いただきました。
いただいたお供物には三つ葉葵の焼き印がありました。
暑い季節に参拝しました ご祈祷?が入っていたため本堂には上がれませんでしたけど すっきりとした良いお寺 地面が土でないので 多少異和感感じるかもしれないです御朱印がとても美しく感動^^♪魂の入った力作 またお供物もつけていただいたm(._.)m感謝 私はそのような時には少し余分にお渡している阿弥陀仏の他 観音の御朱印もあるようで また参拝する楽しみが出来た 寺門の美しさも格別
2012年3月に再建された山門が美し過ぎる!1602年徳川家康の生母の於大の方が京都伏見城で死去した。
家康は母の遺骸を遺言通りに江戸へ運び、大塚町の智香寺(智光寺)で火葬した。
位牌は愛知県蒲郡市の安楽寺に置かれ、千葉県野田市の光岳寺など各地に菩提寺を建立した。
1603年徳川家康は母の遺骨を現在の墓地に埋葬し、寿経寺をここに移転して堂宇を建て、彼女の法名「伝通院殿」にちなんで院号を伝通院とした。
徳川家康は当初は菩提寺である芝の増上寺に母を埋葬するつもりであったが「増上寺を開山した聖聡上人の師である了譽上人が庵を開いた故地に新たに寺を建立されるように」との増上寺十二世観智国師の言上を受けて、伝通院の建立を決めたという。
1608年堂宇が竣工。
観智国師門下の学僧廓山、後の増上寺十三世が家康から住職に指名された。
寺は江戸幕府から寺領約600石を与えられて、多くの堂塔や学寮を有して威容を誇り、最高位紫衣を認められ、増上寺に次ぐ徳川将軍家の菩提所次席となった。
芝の増上寺、上野の寛永寺と並んで江戸の三霊山と称された。
1863年文久3年2月4日新撰組の前身となる浪士組が伝通院山内の塔頭処静院しょじょういんで結成された。
山岡鉄舟・清河八郎を中心に近藤勇・土方歳三・沖田総司・芹沢鴨ら250人が集まった。
当時の処静院住職の琳瑞は尊皇憂国の僧だったため、浪士隊結成の場に堂宇を貸したと思われるが、後に佐幕派の武士により暗殺され、処静院は廃された。
1945年5月アメリカ軍による空襲で小石川一帯は焼け野原となり、伝通院も江戸時代から残っていた山門や当時の本堂などが墓を除いてすべて焼失した。
かつての将軍家の菩提所としての面影は完全に消え去った。
1949年本堂を再建した。
1988年本堂を改築した。
2012年3月山門が再建された。
家族がこちらの近所に住んでいるので、お散歩中に覗いてみました。
何やら徳川の由緒あるお寺だそうです。
歴史の深さを感じました。
秋は紅葉がきれいだと家族が言ってました。
この辺りは治安が良いし静かなので住むなら最高の立地です。
名前 |
傳通院 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3814-3701 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
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増上寺、寛永寺と並んで江戸の三霊山と呼ばれたが戦災で全て焼け落ち、戦後再建された。
建物は新しいが、桜がよく似合って綺麗でした。