頼朝の異母弟範頼の結末を知らないことに気が付く。
町名が、彼の子孫からだなんて存じませんでした。
派手さもないのですが中を覗くとかつての栄華を垣間見れます。
何故御所と、地名にまでなって残っているのか⁉️正に当時の町の方々の気持ちが今も引き継がれているのだと感銘を受けた次第。
近くの吉見観音も是非お立ち寄りください。
源頼朝の弟、源範頼(蒲殿)の屋敷跡と言われています。
範頼の最期は諸説あるので実際はどうなのかわかりませんが、堀や土塁の跡、跡は地名が御所ということから、位の高い人物の館があったのは間違い無いでしょう(笑)お寺自体は静かで雰囲気の良い寺院です。
現在は息障院の境内なのでしょう。
敷地境界の堀?らしきものはありますが、浅すぎますので近年のものでしょうか?
大河ドラマ「鎌倉殿・・・」始まり、頼朝の異母弟範頼の結末を知らないことに気が付く。
弟の義経とともに平家追討に貢献したものの、幕府成立後の動静が伝わってない。
権力闘争敗れ幽閉中に謎の死を遂げていた。
埼玉県の吉見町にその館跡と、ゆかりの寺院があるとのことで訪れた。
中学校や幼稚園と隣り合わせに寺があったが、それに纏わる痕跡を認めることはできなかった。
吉見町 大字御所にある息障院 。
この辺りが、源範頼 以下五代の居館跡と伝えられており、埼玉県指定旧跡となっています。
山門前の西側と、境内北側の県道沿いに堀跡が観察できます。
静かな雰囲気のいいお寺です。
2021/6/5まず、お寺として素晴らしい。
天平年間始まり、天慶の乱に際しては将門敗退の祈願した。
山門のそばには浅いが綺麗に横堀が遺り、畑から見れば更に堀が伸びている。
堀幅は狭く、範頼の時代ならこんなものかもと想像してみる。
ただ範頼居館は怪しそう。
堀はお寺自体の武装の為に掘られたものかも。
お寺に入ると静寂が漂い、日本はいいなぁと清々しい気持ちが溢れてきた。
息障院の前に堀跡が残っています。
吉見町息障院が跡地とされ、堀跡の一部が残っている。
名前 |
源範頼館跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.town.yoshimi.saitama.jp/soshiki/shogaigakushuk/7/432.html |
評価 |
3.6 |
門から中へ入ると、感の強い方なら全くの、空気の違いを感じるとおもいます。
新鮮な感じの後に、恐怖に似た感じが門を背にし、左奥から私は感じます、門の外の温かみある場所から門の中は、温度が下り初夏の夜明けみたいな、表すのが難しいのですが…マイナスイオンが立ち込めているような、清々しいような、不思議な感じの後に…怖っ!!って気分になるのは私だけなのか?幼い頃、訪れたことがあるのですが…小さい頃も同じ感覚でした。
急に、空気が新鮮になったような感覚が私はするのですが…皆さんは、どう感じるのでしょうか? 普通のお寺に感じるでしょうか?。