我が家の先祖代々のお墓があります。
我が家の先祖代々のお墓があります。
とにかく綺麗ですよ。
又指定文化財になっていますので見学者もいます。
歴史あるお寺です。
神保原(じんぼはら)駅からはかなり離れているのでバスか自家用車での訪問がおすすめです。
武田信玄マニアのかただけでなく、歴史マニア全般におすすめです。
行った時間が18時だったので全く見えませんでした。
リベンジャーズしたい(1人だけど)
武田信玄夫人が居住没した寺、元禄銘の朝鮮式の銅鐘、新田義貞の家臣で南朝側で戦った畑時能の供養塔。
歴史好きには興味深いと思います。
中山道の散策スポット、陽雲寺。
武田信玄内室陽雲院の墓。
徳川家康が関東に入府した際、武田信玄の甥である川窪信俊がこの地に配置され、信玄夫人(陽雲院)を境内に住まわせたとされており、没後その菩提を弔うため陽雲寺と改称した。
武田家ゆかりの品々が収蔵されています。
畑時能供養祠。
新田義貞の家臣で金窪城主であった畑時能(はたときよし)(畑和元埼玉県知事の先祖)とその家臣児玉光信の墓(供養塔)が、寺院の境内入り口に畑児塚(はたこづか)と呼ばれ残っています。
尚、本堂前から、旧中山道に抜ける出口の山門を出ると、道の反対側(北)に塚があり、愛宕神社と刻まれた石彫があり、中央の石碑には「贈正四位畑時能公首塚舊蹟」とあります。
畑時能公の墓が陽雲寺に移転され、その前はここ愛宕神社にあったことが舊蹟として記されています。
歴史のあるお寺でした。
中山道にあるお寺です。
由緒あるお寺ですがこんなところにという場所に立派なお寺があります。
何にも無い😅
法事で、忙しいにもかかわらず、御朱印を頂けたことに、感謝してます。
3月、桃?の花が綺麗でした。
一度は訪れたいところの1つかな。
曹洞宗崇栄山陽雲寺は、元久2年(1205)の再興と伝えられ、当時は満願寺と号していました。
天正10年(1582)、神流川合戦において焼失しましたが、同19年(1591)に、川窪与左衛門尉信俊(武田信玄の甥)によって再建され、居城となりました。
境内に1690年(元禄3年)の地蔵道標があり、「これより いかほかいとう」と刻まれている。
「いかほかいとう=伊香保街道」のことで、伊香保へ至る途中の渋川で古三国街道が分岐している。
この地蔵道標は元々県道392号線沿いにあったもので、伊香保街道とされている道は神流川の方へ向かっており、その道が最初期の中山道。
その後に道が付け替えられて、新町に続く中山道が開削された。
児玉観音霊場 曹洞宗。
児玉三十三霊場二十二番札所。
新田氏、武田氏と由縁。
名前 |
陽雲寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0495-33-8255 |
住所 |
|
関連サイト |
https://www.pref.saitama.lg.jp/chokotabi-saitama/spot/sp919.html |
評価 |
3.8 |
先祖の墓参りに行かせて頂きました。
桜が満開でとても心地よく参りできました。