大自然の中にひっそりと佇むイメージです。
境内の改修記念碑 記銘文御嶽神社 祭神は日本武尊往古より高田字南北の地に鎮座し住民の崇敬深い神社であったが境内狭隘且つ湿地であったため古来幾度か遷宮を企図したが何れも空しく終り遂に大正の御代に及ぶ 然るにその二年、千葉郡誉田村高田区長氏子総代髙橋源之丞は先人の遺志実現を己が使命と決意し日夜心を砕き、石井善太郎、髙橋富次郎両氏子総代と事業の促進に励みよく氏子の協力を得て現在の地に神域を選び棟梁桑原潔等により大正四年十月十五日社殿を造営、同月十七日神霊を遷座すると同時に、本郷中芝の各所に祭る八社の諸神を遷して合祀し奉る、その後社殿等の補修意にまかせず過ぐること四十五星霜、故に雨漏腐朽甚しく荒涼として神威頗に衰う。
この時にあたり昭和三十五年一月、千葉市高田町町内会長大塚時之助は町内会顧問氏子総代千葉市議会議員髙橋與一に社殿の御屋根修理のことをはかる。
髙橋與一は機到れるを喜び必ずこれを完遂して氏子の繁栄を祈念し、父源之丞の遺訓に応えんと深く心に決し他の氏子総代斉藤由太郎伊藤俊四郎、伊藤誠一と協議し神社財産の立木売却代金を費用の一部に充て、工事を進むべく共に画策奔走すれども資金調達の途無く、施すに術なし 是に於て髙橋与一は熟慮の末、衆を代表してかねて相識る旭建設株式会社取締役社長増田正二氏に苦衷を披歴し、前記立木売却代金、金参拾万円也にて工事の請負を依頼したところ、義を重んじ信念に富む増田氏は直ちに快諾され、利害を超越して銅板をもつて御屋根葺替え、社殿補修の総工費金壱百万円餘に及ぶ工事奉仕を確約された。
かくて氏は昭和三十六年十一月十三日御屋根葺替工事に着手し、鋭意諸工事の進捗に努められ十二月十七日全工事を竣る。
氏子こぞつて荘厳なる社殿を仰ぎ謹んで神前に額を得る幸いに逢えるを慶ぶ。
神霊必ず人の誠に感應あらせ給うと聞く。
伏して願わくは氏子の家々の弥栄えに栄え、子孫の永久にまさきくあらんよう尽きせぬ御加護を垂れ給え。
ここに氏子総代の決議により工事の経緯の概要を記し協力された町内会役員並びに氏子中の氏名を録する。
昭和三十八年十月十七日建之碑名 千葉市長宮内三朗書碑文 髙橋輝男 撰並に書彫刻者 青木俊一郎(以下、裏面)合祀神社名 上ノ台 七二七番地稲荷神社柊 台一七四二番地日枝神社南北六四八番地源王社中芝三一八番地日枝神社柊台一七四二番地菅原神社上ノ台六九一番地駒方神社貝塚八二六ノ一番地稲荷神社奈木台一〇三〇番地菅戸神社故大塚富蔵氏は多年に亘り氏子総代の一人として、常に神社の管理と神威の伸張に至誠を捧げられたので、本建碑に当りその業績を偲び、謹んでこの喜びを報告すると共に限りなき敬意を捧げる本記念碑建立の議起こるや町内会長大塚正勝は、参道の登記を完了しこれを市道へ編入するの端を開いた町内役員氏名 氏子氏名 (以下、名前 二十四行)
田園の中に鳥居が佇んでいます。
宇迦之御魂神を御祭神とする神社で、大自然の中にひっそりと佇むイメージです。
扁(神)額のある鳥居前に駐車スペースがあり、隣接する馬頭観世音と常真寺のセットで参拝しました。
台風15号の爪痕が大きく残っていました。
散歩途中、とても静かで落ち着ける場所。
名前 |
御嶽神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
町内に点在した八社を合祀した。
現在は、武蔵御嶽神社を本宮とする。
一の鳥居周辺は明るく開けている。
二の鳥居をくぐって階段を登ると、大きな椎の木に囲まれて、ひっそりと社がある。
山の神を感じた気がします。