2022年4月、平日、10時頃到着。
ものすごく強そうです。
城址のあちこちで見かける幟には「日本最強の城」と書かれていて、どういう基準での最強かは判然としないものの、そうと思わせるだけの貫禄は十二分にあります。
南北朝時代に越智氏によって城が築かれ、筒井順慶、次いで豊臣秀長重臣の本多利久により近世城郭として整備されました。
利久の子の俊政は豊臣秀吉の直臣に取り立てられるも、秀吉の死後は徳川家康につき、関ケ原の合戦に際しては上杉討伐に参陣します。
主力の不在を衝いて、石田三成の差し向けた大軍が高取城を包囲しますが、留守を預かる俊政の従弟の正弘は堅城に拠って敵を撃退します。
俊政の子の代で本多氏は無嗣改易となりますが、その後植村氏が入府して、明治に至るまで代々の城主をつとめます。
建物のことごとくは棄却され、いまとなっては石垣を残すのみとなっていますが、往時の威容は容易に想像できます。
最寄りの近鉄吉野線壺阪山駅からの主な登城ルートは二つあって、一つは壺阪寺前までバスで移動して、そこから壺阪口門を経て本丸に至るか、徒歩で旧城下町の土佐町を経て、かつての登城道をなぞって本丸に至るかです。
前者は比高が低いものの、ただただ険しいだけの山道が続きます。
一部に竪堀と見られる遺構はあるものの、壺阪口門近くに至るまでお城らしさに欠けます。
ただ、壷阪寺とあわせて楽しめるのは魅力です。
後者は比高も距離もありますが、城下町と堅城の名残を存分に楽しめます。
登山口にあたる砂防公園(ダム)の辺りまでは舗装道路で、公園には駐車場とトイレがあります。
そこから先は山道が続くものの、危ないところはなく、そこかしこに遺構があります。
ただ、石垣は補修が追いついておらず、「落石注意」と書かれた看板が落石に押しつぶされていたりもするので、無闇に近づかないほうがいいでしょう。
高取城は日本三大山城のひとつとされていますが、他のふたつ、備中松山城、美濃岩村城と比べても道は険しく、実質登山です。
売店も自販機もなく、トイレの数も限られています。
夏場は熱中症対策にも留意する必要があります。
ただ、苦労してでも見る価値のある史跡です。
私が訪れたのはちょうど観桜期で、砂防公園の桜が見事でした。
天守台辺りにも桜はあって、郡山城などに比べればささやかなものの、息を切らせながら山道を登ってきたアラフィフのおっさんには何よりのご褒美でした。
紅葉の名所でもあるようなので、その頃にまた行きます。
日本三大山城と呼ばれる標高500mを超える場所にある山城です。
城跡となっていますが、山の上から一望出来る広大な景色や、樹齢700年を超える大木など、見どころがたくさんあり、とても良い場所です。
日本三大山城の一つで日本最強の山城「高取城」をトレッキング。
壷阪山駅からゆっくり歩いて2時間ほどで着きました。
標高583.6mにかつて建てられていたお城で、明治4年(1871年)の廃藩置県の結果、のちに取り壊されてしまいました。
現在では山頂にものすごい規模の石垣が残っている状態で、城址であるけれど圧巻でした。
壺阪山駅からの道中の公園には移築された松ノ門があり、山道には猿石、水堀、眺望できる国見櫓など見所がたくさんあります。
帰りは壺阪寺方面から下山で、寺には寄らずそのまま壺阪山駅まで歩いて帰りました。
ゆっくり見て回っても5時間ほどのコースでした。
訪れられる際は装備をしっかりして登った方が良いです。
最初、ここに行くのを諦めかけてましたが、夢創館に100名城のスタンプを押しに行ったら、そこの係の方が路は狭いが車で行く事が可能と言われたので行く事にしました。
一言行って良かったです。
本当に日本最大の山城、クルマを降りて頑張って山を登り、到着したのが石垣の数々、これは行って見ないと判らないと思います。
機会があったら行って見て下さい。
標高583m、観光①🅿️より比高447m黒門跡でもある宗泉寺横の登り口に無料パンフレットがあった👍️縄張図付の説明板も随所に建ってるパンフにある赤色立体図が鮮明で削平地はモチロン堀切から竪堀まで写し出されてて重宝した当然 立体図通りに石と土の芸術遺構を数々見ることができた🤩👌初めて登った時に車で壺坂口近くまで行けたのは遥か二十ウン年前😅..2度目の今回は念願の麓から徒歩で 登って歩き回り🚶♂️8時間費やした倒木が多いトコロがあったけど それはそれで探索が楽しい♬🕺丸1日 以上 楽しめる素晴らしき日本一?🎌の山城ですっ👯
高取城は日本三大山城の一つです。
ちなみに残り二つは岐阜県の岩村城と岡山県の備中松山城です。
高取城は4つ見どころがあります。
1。
重要文化財の猿石がある(私は行ってません)2。
水堀がある(山城で水堀があるのはここだけ)(私は行ってません)3。
残る建物はないが、多くの櫓台や門を支えていた石垣が綺麗に残っている。
(ちなみに高取城には門が33個もあったとされる)4。
本丸にはかなり大きい天守台が残っている。
高取城の石垣は野面積みや算木積みが多く、ほとんどが高く積まれています。
(高石垣と言います) また、大手門や十三間多門などは枡形虎口になっていて行手を阻む大きな役割を果たしています。
また、太鼓櫓や新櫓などがかつて立っていた石垣も綺麗に残っていて、お城の堅固さを今に伝えています。
南法華寺(壺阪寺)からは、東に1㎞程行った高取山山頂(標高536m)に築かれた高取城は、南北朝時代の1300年代が始まりだそうです。
現在は建造物は残っていませんが、曲輪の連なった城内は周囲約3キロと広大で、日本国内では最大の山城だそうです。
備中松山城(岡山県)、岩村城(岐阜県)とともに日本三大山城の一つに数えられ、国の史跡となっています。
御城印が観光案内所「夢創舘」にて販売していますので、300円で購入してきました。
日本三大山城のうちのひとつ、高取城跡です🏯縄張りも石垣もめちゃめちゃしっかり残っていて、オススメです。
車でわりと近くまで行くことができて、車もそこそこ停められますが、落ちたら死ぬであろうわりと狭い道路を通るため、車幅ギリギリを100mくらい余裕でバックできない方は、自転車で行ってください。
もちろん昼間でもライトオンです。
山城あるあるで、夏は虫がいっぱいいます。
結構歩いて登ることにはなりますが、蚊がまとわりついてきて、休憩することはできません。
基本的に、一気に登るしかありません。
城郭まで辿り着くと、木は伐採されているため蚊はいなくなりますが、今度は蜂や虻がブンブン飛んでいます。
座ってゆっくり休むことはできません。
そういうわけで、虫除けスプレーは持っていった方がいいかも。
ちなみに、帰りにはまた蚊がいます。
あと、紀伊半島にはいないんだろうと信じているものの、熊よけの鈴があれば安心かと。
とにかく、素晴らしいお城です。
オススメです。
近鉄壺阪山駅から徒歩で約2時間ぐらいで登城か、壺阪寺バス停から徒歩1時間ぐらいで登城か、路上駐車になりますが車で近くまで行って登城出来ます。
お城は1330年代に築城されたそうです。
遺構は石垣、空堀、土塁等があります。
特に石垣は見応えがあり、昔の人の技術力の凄さに驚きました。
日本三大山城と言われていますので装備はちゃんとして登った方がいいです。
秋は紅葉が綺麗らしいので又訪れたい場所です。
明日香の遺跡等も近くにありますので1日掛けて散策したいです。
日本三大山城の1つ、高取🏯を攻略❗近鉄飛鳥駅前の明日香レンタサイクルで電動🚲(70台保有。予約不可)を借り土佐街道から宗泉寺口へ。
タイムは以下のとおり。充分時間をかけて登りました。
飛鳥駅~高取城下町・夢創館(100名城スタンプu0026高取城紹介ビデオu0026カフェ)20分城下町~宗泉寺口 20分ここから車両通行止。
宗泉寺口~七曲り~一升坂~猿石・二の門 30分二の門~国見櫓 10分二の門~大手門 20分大手門~本丸 5分本丸~宗泉寺口 60分飛鳥駅~夢創館は平坦で問題なし。
夢創館~宗泉寺口は町の外れから急坂になり、かなりきつい。
入口に自販機があります❗七曲りから一升坂はつづら折りu0026急坂なので呼吸を整えながらゆっくりと。
猿石は7世紀のモノと伝わる。
スゴい⤴️国見櫓は景色が素晴らしい。ここまで、かなりしんどかったが、風景と風と夢創館で買ったラスクに救われました(笑)本丸跡の石垣群に圧倒されます。
地元の方から、夏になると石垣群左側に白い山百合の花が群生して咲き誇ると聞きました。
ちなみに昼ごはんは城下町のカレー事変にて。
和風だし味のスープカレーが絶品でした☝️
2022年4月、平日、10時頃到着。
小雨と霧の中、車でお手洗いのある場所に到着し駐車。
この先にはバリケードがあり車はここまでとなります。
お手洗い方向に行っても城跡に行けますが、バリケード方向に登って行きます。
300m程で階段に。
ここまで全て舗装されています。
階段を登っていくと石垣が見えてきます。
荒々しく苔むした大きな石垣に圧倒され、最強の山城だと思いました。
門跡~本丸にも高度のある石垣があり圧巻の一言。
霧で景色等は見えませんでしたが、幽玄な世界が広がっておりました。
この後に岐阜県恵那市にある岩村城跡に行きましたが、高取城が凄過ぎて岩村城がちっぽけに感じてしまいました。
どちらも見学していないなら先に岩村城→後に高取城とした方が良いかと思います。
11月末の午後から訪問しました。
紅葉は丁度、盛りが過ぎた頃でしたが12月上旬までは十分楽しめるかと思います。
壺阪寺の前を通過してから道幅は狭くなりクネクネと斜度が上がります。
駐車場は数台のみ、殆どが縦列の路駐となります。
紅葉シーズンの午前中は駐車スペースに悩まされるかと思います。
高取城跡の入り口が道路の最終地点。
道は舗装なしの山道でスニーカーで行く方が良いかと。
約15分程度上ります。
途中、山城なので至る所に石垣があります。
紅葉は紅葉が中心でとても綺麗でした。
山頂?本丸跡地からは、展望が開けて西には金剛山、葛城山が。
東は大台ヶ原、大峰山系がよく見えます。
壺阪寺からハイキングコースがあるようで登って来られて人も多くいましたが、結構きつそうでした。
そうとうに山奥のお城です。
駐車場はすごく狭く、ふもとの有料駐車場に止めるのが間違いないのですが、そこからかなりの上り坂です。
紅葉のシーズンは特に混雑するので要注意です。
土日は車を止められないかもしれない。
長い上り坂を登りきった後は、素晴らしい紅葉が見られました。
壺阪山駅から歩いて行きました。
迷うことはなく、登山口からも標識が一定間隔であるので不安にはなりませんでした。
午後に用事があったので、ろくに見ずに降りてきてしまったのですが、石垣は予想以上に立派で、大きくて太い杉の木も何本もありました。
石垣には何の柵もなく危険ではあるのですが、それがまたよかったです。
特に城好きでもありませんが、日本三大山城といわれるだけはあるなあと思いました。
帰りは壷阪寺前からバスで壺阪山駅へ。
次はゆっくり見て回りたいと思います。
初めて行く場所で駐車できるかわからなかったので、壺阪寺の駐車場(500円)に停めて歩いて行きました。
舗装された道路でなだらかな坂道で50分ぐらいはかかりますが、楽に歩けます。
城跡は一見の価値あり!山の中にこんな大規模な石垣があるなんて驚きです✨秋は紅葉と石垣のコラボが美しいですよ。
本丸でお弁当を食べてる方がたくさんおられました。
もちろん山中で自動販売機もありませんから各自、持っていく必要があります。
壺阪寺も紅葉の名所なので、併せて訪れてもいいですね。
高取城跡、また訪れたい場所になりました😃
壺阪山駅からバスにのって壷阪寺まで行きそこからハイキングして城の跡地まで歩いて行きました。
さほどきつい道ではないが足元は気をつけたほうがいいです。
城跡までランチするのがおすすめ。
紅葉の時期は景色が綺麗です。
ちなみに日本三大山城のひとつで、明治に廃城になったのがちょっと切ないです。
100名城、本丸跡までは、500mと看板がありましたが、もう少しある気がします。
天気のよい日なら是非行ってください。
景色もよく眺めが良かったです。
雨混じりは足元がよくありません。
あと、途中へびもいたみたいなので気をつけて下さい。
友人の目の前を通ったらしく、大騒ぎしてました。
いそうなしげみがかなりあります。
トイレは、簡易トイレのわりにはきれいでしたし紙もありました。
和式でした。
麓の土佐街道からスタートするなら、上子島砂防公園側のコースの方が道が荒れてなくて歩きやすいです。
昨年岐阜県山県市の大桑城登城の折、天守跡手前でお会いした大坂から見えたご夫婦との会話で是非とも、高取城跡に登城してくださいとお話を頂き、夏迄には登城を目指したいと考えています。
竹田城にも負けず劣らず凄くスケールの城と伺っています。
楽しみです!
三大山城というだけあり、高いところにありました。
ロードバイクで登りました。
日本最強の山城の理由がよく分かりました。
自分の足で登ると難攻不落の城を感じることができます。
興奮しました。
日本三大山城のひとつ。
壮大な石垣が圧巻。
高取久しぶりに訪れました❗七曲り井戸までの道は通行止めになっているので歩いて行きました❗全くかわりないですね⁉️七曲りは通行止めになってるので車は止めれなくなってるので歩きです❗️10年くらいたちましたかね⁉️駐車出来る場所がUターンするしかないのでちょっと不便ですね⁉️井戸の跡も今では水がたたってます❗️いろんな場所を探索してみてください❗️各場所での年代がわかります。
壺阪寺に駐車し、お参り前に高取城址を目指しました。
車道とハイキングコースの選択肢があり、気分が高揚していたため、ハイキングコースを選択。
落ちていた木の棒を手にし、登城開始。
整備されていながらも、所々で難所があり、楽しみながらも厳しかったぁ…汗びっしょりでした(笑)また、所々ですれ違う方々との挨拶が心地好い。
本丸址にたどり着いた時の達成感。
最高でした!これで、日本三大山城を制覇!
ハイキングにも良い場所。
ハイキングコース。
名前 |
高取城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0744-52-1150 |
住所 |
|
関連サイト |
http://www.town.takatori.nara.jp/contents_detail.php?frmId=236 |
評価 |
4.4 |
周辺のオススメ

備中松山城、美濃岩村城と共に日本三大山城の一つとされる大和高取城の跡にやって来た。
因みに、今まで訪れた戦国時代の見応えのある山城には、豊後の岡城や出雲の月山富田城、但馬の竹田城など壮大で重厚な石垣群で出来た山城があったが、これらの城が三大山城に入らないのは、日本三大山城の条件に、近世(江戸時代)まで機能していた城という条件があるからである。
この三大山城の特徴と言えば、松山城は現存天守があることである。
現存12天守の内、唯一の山城ということになる。
岩村城(標高721m)と高取城(城下からの比高446m)は天守や櫓など建物は一切ないが、幾重の枡形虎口の石垣や高石垣など石垣群に圧倒されるものがあり、城下の街道の先に山城が位置するのがまた好い感じである。
私が高取城跡に訪れた日は、運よく県道119号線の道路補修工事が休工であったため、壷坂口門近辺まで車で行けた。
車は行き止まりの広場(5~6台OK)に停めた。
途中道が狭いと聞いていたが、私が今まで車で登った田舎の山城に比べれば、意外と整備されていて通り易い道であった。
(個人の感想であるが・・・)城内も大手門から二ノ丸、本丸かけて、夏の割には草も刈られていて見学し易かった。
今回の私の見学ルートは、臺坂口門跡から入り大手門跡前まで行き、下って千早門跡、宇陀門跡、松ノ門跡、矢場門跡、ここから国見櫓へ廻り、戻ってニノ門、猿石、水堀などを見学した。
その後、大手門前まで戻り(上り)、そこを左へ下り、吉野口門跡まで行って、再び大手門前まで戻った。
そしていよいよ大手門跡から二ノ丸・本丸へ入り、新櫓跡脇から七ツ井戸へ下り道路(一般車両進入禁止道路)へ出て、車まで戻った。
ジックリ見学したので、3時間位掛かってしまったが、後悔はない。
感想は、大手門跡から二ノ丸跡、十五間多門跡、太鼓櫓跡・新櫓跡、本丸虎口跡、天守台跡などの石垣が感動ものである。
また、ニノ門跡、矢場門跡、松ノ門跡、宇陀門跡、千早門跡などにも石垣が確り残っていて、城域全体が素晴らしく、見応えがある城跡である。
また、国見櫓跡からは、大阪市内の高層ビル群まで見えたのが驚きであった。
さて、高取城の歴史であるが、元弘2(1332)年越智邦澄[おちくにずみ]が貝吹山城の支城として築城した。
天正8(1580)年織田信長の命により一旦廃城となった。
信長の死後、筒井順慶が郡山城の詰の城として復興し、天正17(1589)年羽柴秀長の家臣本田利久が秀長の命により大改修を行った。
寛永17(1640)年徳川譜代の家臣植村家政が2万5千石で入部、高取藩初代藩主となり、幕末まで続いた。
蛇足だが、石高2万5千石でよくもこんなに大規模な山城を約230年間も確りと維持できたものだと感心する。
増税ばっかりする今の日本の政治家には見習って欲しい。
《2024.8.27訪問》