そして子供が産まれてから、実家に帰るとよく遊びに行...
公園としてキチンと整備されてます。
中田遺跡公園で検索しても同じ場所につきます。
古墳時代の一般農民の屋敷地と考えられる遺跡です。
五世紀末から六世紀の中田遺跡は尾根が伸びた低い台地にあります。
ここでは三四軒もの竪穴式住居が見つかりましたが、三回建て替えられているので、同時には一一軒程度が暮らしたと考えてよいでしょう。
一一軒の竪穴は、四つのグループに分かれており、一グループは三軒程度で、このIグループが一つの屋敷地で生活しています。
一つの屋敷地の広さはおよそ五〇メートル四方で、屋敷地の間は、三〇メートルから五〇メートル程度離れています。
一つの屋敷地内では、家はふつう同じ方向を向いていますが、なかには直角の方向を向いている家もあります。
建物の広さはいろいろですが、五メートル四方程度が多いです。
甕や壷が多く見つかりました。
倉庫らしい建物が一つのグループから見つかっていますが、充分調査すれば、すべてのグループから倉庫が見つかると思います。
古墳時代は巨大古墳の登場に象徴されるように、階層格差が急激に進みます。
発掘される屋敷地の立地条件、一軒あたりの屋敷地の広さ、建物の格式や遺物などによって、首長層の居住区、有力農民の居住区、一般農民の居住区というように、屋敷地に階層差が認められます。
巨大古墳を築いた群馬の三ツ寺遺跡では、周濠で囲まれた有力首長の屋敷地内に、首長居館だけでなく、使用人と推定される者の竪穴式住居が同時に存在することから、階層は首長層と一般農民層といった大まかなものだけでなく、階層の分化がいっそう細かく生活の隅々にまで行き渡ったことが読み取れます。
ここは、一般的な農民の住居跡です。
名前 |
中田遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/003/005/p005347.html |
評価 |
4.0 |
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自分が子供の頃、そして子供が産まれてから、実家に帰るとよく遊びに行ってた。
夏にはプールもあったから、子供たちは大好きだった。
でも今では…すっかり変わってしまい、残念に思う。
たまに実家に帰るが…団地周辺、公園も…