近くの美容室に伺うのに通りました。
通行者も譲り合いながらすれ違う小さいながら通りやすい橋です。
ただし冬の凍結具合は非常に危険なので、自転車の方は必ず降りて押しましょう。
前を行く学生たちが連続で転倒していたのはかわいそうでした。
平日の朝、夕方はかなりの自転車激戦で事故が多いですなんであんな作りにしたのかな?日没後から夜に掛けては自転車お巡りさんの自転車検問をしています※無灯火(必ず停められ防犯登録チェック)※イヤホンの使用も口頭注意or停められまはす。
小名木川は、江戸時代の初めに開削された人工の川(運河)で、行徳辺りで作られた塩を江戸に運ぶルートとしての役割を果たしていました。
歴史ある塩の道に架かる橋の名前は近くの小学校に通う児童がつけたそうです。
名前 |
塩の道橋 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3647-9684 |
住所 |
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評価 |
3.5 |
漁師町の深川を東西(河川は上流~下流が自然が流れ)に流れる小名木川(徳川家康の下命で塩を搬送する為に掘削して流水)があります。
伝馬船の航路です。
隅田川から旧中川へ流水する中継水路で5キロほどの河川で、後に掘削された 横十間川、大横川と伝馬船を通過させる水路です。
俗に「塩の道(塩の行徳)」とその地域で言われ、目的は行徳(徳川幕府領地)の塩を大川~江戸城に運ぶ為に徳川家康の下命で天正18年(1590)に掘削されたのです。
その後に寛永6年(1629)、小名木川から新川を開削され、後に旧江戸川(大日川)と利根川東遷は5代綱吉が田沼意次に下命で東西へ方向替えの難工事で、1720年に大日川の掘削は8代将軍の吉宗を経て初めて経由する航路となり、群馬や栃木の幾重の河川を整備した上で、生活物資や東北地方の年貢米などを搬送する流域が整備されました。
更に物資に限らず遊山客の搬送をして成田山新勝寺(深川不動尊)や鹿島神宮、香取神社にお参りする人でも賑わいました。
江戸汽船が本所(両国橋の船乗場)~浦安~行徳の船乗場を往復したところから「内海船(江戸幕府領地の河川)」と呼ばれ、小名木川は新川が合流する「権現川(徳川家康の命名した河川)」としました。
芭蕉も『鹿島紀行』で内海船~外海船(太平洋)で鹿島詣での遊山をしています。
後に竪川や大横川、横十間川、仙台堀川などの掘削が進む中で、小名木川は「東西に掘削して航路を結んだ」河川でした。
その川の定期便が明治に後の「向井将監の末裔が東京汽船(内海を結ぶ)として創業」したのです。
「本所~行徳地域の河川以前は有楽層の谷底で堆積や埋立られ、再度の掘削整備」されました。
尚、江戸時代の領地と命名され、現在の行政区域(自治体が定めた縄張り)の命名とは異なります。
行き違い等々の切はご容赦下さいませ。
本所亀沢町6代目末孫。