地元に根ざした神社です。
滋野神社由緒明治13年に滋野神社と改称する。
勅使牧の役人、滋野氏、滋野良成が大同年間(806年)に創立したと言い伝えあり。
境内神社として、八幡社、琴平社、秋葉社などがある。
本殿、拝殿、鳥居などを備え、境内地約500坪。
境内社(二重氏子)として阿夫利神社がある。
石鳥居(天明7年 1787年)水石(文化5年 1808年)石灯篭(文化9年 1812年)狛犬(昭和10年)道路改修記念碑(明治44年)江戸時代に地頭職の松平半左衛門忠勝により、神社欽として二石八升の石高を授与。
井子の氏神、夏目田の氏神は、滋野神社を勧請(分社)したものと言われている。
本殿 一間社流造(いっけんしゃながれつくり)柿葺き(こけらぶき)元禄4年江戸中期建立の棟札。
拝殿 二間×八間入母屋造(いりもやつくり)桟瓦葺(さんかわらぶき)向拝付(こうはいつき)祝詞殿 切妻平入桟瓦葺(きりつまひらいりさんかわらぶき)横、切妻妻入桟瓦葺(きりつまつまいりさんかわらぶき)後方、唐破風(からはふう)に改造、八幡造(はちまんつくり)湯の丸・烏帽子岳に登る幹線道路の傍らに位置し、本殿・神殿・塀は朱塗に彩られ、荘厳な雰囲気を醸し出している。
旧社格は郷社である。
県道79号線”海善寺北”交差点の南側に有ります。
地元に根ざした神社です。
大木があり壮大です。
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大木があり壮大です。
名前 |
滋野神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.4 |
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創立は不詳伝えによると、大昔海野郷に居住した滋野氏代々の産土神で八幡大神を祭った。
天延年中(973~5)滋野氏の後裔である海野幸亘が再建したと伝える。
天正11年(1583)真田昌幸は、上田城築城の時、分社して上田市紺屋町の八幡神社とした。
明治13年(1880)12月14日滋野神社と改称許可となった。
祭典には奉納相撲や芝居、屋台店など数々の催しでにぎわったという。
社殿 間口約20m、奥行約20m棟札 弘化3年(1846)8月19日拝殿 間口9m、奥行約4m 切妻造平入散瓦葺東側に三峰神社・戸隠神社の二社、西側に稲荷社、西南に次の十社を合祀している天神社 祭神 菅原道真公神明社 天照皇大神 文化11年(1814)浅間社 木花甲開邪姫命阿夫利社 大物主命 寛政8年(1796)山祗社 大山祗命神武天皇社 倭磐余彦命南宮社 金山彦命 寛政8年(1796)日高社 瓊々杵尊蚕影社 保倉神 安政5年(1857)金毘羅社 大物主命 文化11年(1814)東北隅には、高良大神社 祭神 武内宿祢朝鮮から帰化した人々の氏神である。
一の明神石鳥居 明和4年(1767)、高さ3m、開き270cmで参道の南に移された二の明神石鳥居 偏額は「八幡宮」くぐり東側に享保6年(1722)銘の水石がある。
石段を上がると安政3年(1774)建立の石灯篭が対である。
鳥居の南側には、元天然記念物の紅白の源平ボケが「善光寺道名所図会」に掲載されている。
木曽義仲公が旗挙げの際、本社へ献上し「源平ボケ」を植栽して戦勝祈願したと言われている。