井戸と見せておいて、実は抜け道!
抜け穴になっていたという井戸です。
とても深く底が見えませんでした。
真田神社から少し離れた場所にあります。
この井戸は上田城跡を脱出したり、外の砦から必要な物資の搬入をしたりするのに使っていたそうです。
本堂の左手奥、真田幸村の銅像前にあります。
城外に繋がっている井戸との伝説がありますが、厳重な柵で囲われていて覗き込むことも出来ませんでした。
城外につながっていると伝説のある井戸。
思わず覗き込んでしまう😄
歴史的な物は分からないけど、今の方が見た目深いのか、井戸の周りの草がいいカモフラージュなのか?
城によく有る伝説でしょーよ❗
抜け穴がある井戸らしく覗いたがかなり深くてそこまでは分からなかった。
真田井戸「真田井戸」は上田城本丸の南西にある大井戸で、城内唯一の井戸です。
眞田神社の横にあり、井戸の大きさは直径2m、深さは16.5mあります。
この井戸には抜け穴があり、城北の太郎山麓の砦や上田藩主居館に通じていたという伝説があります。
この井戸からは、抜け穴があって城北の太郎山麓の砦に通じていた。
敵に包囲されてもその抜け穴より兵糧を運び入れるにも、城兵の出入りにも不自由しなかったという。
ちなみにこの伝説のもとになった話は『日本伝説叢書 信濃の巻』(大正6年発行)によると信幸の前、父の居城であった時には、此(この)城は上田の北方太郎山の麓にある虚空蔵(こくぞう)、牛伏(うしぶせ)、矢島(やじま)、花古屋(はなごや)、荒城(あらじょう)等の砦に、地下の抜穴があって、敵が上田城を囲んでも、自由に他と交通していたということである。
とあるように、現存する井戸とは無関係の伝承でした。
「真田昌幸が上田城を築いたときには城外の砦と連絡するための抜け穴が設けられていた」という話が、二度にわたる徳川の大軍を退けたことにより生まれた伝説のようです。
引用文。
覗き込んでみましたが、底は見えません。
真田丸で有名になった上田城内にあります。
真田忍軍が使ったという、あの伝説の井戸かも知れない抜け穴伝説を信じて飛び込もうという勇者を阻止すべく井戸には鉄製の網蓋と柵が巡らせてあるのでございます。
真田忍軍が使ったという、あの伝説の井戸かも知れない抜け穴伝説を信じて飛び込もうという勇者を阻止すべく井戸には鉄製の網蓋と柵が巡らせてあるのでございます。
井戸と見せておいて、実は抜け道!通ってみたかった✨
囲いで井戸がよく見えません。
にわかには信じがたいが、秘密の通路があったとか。
嘘でも本当でも、いいじゃないか。
感じたいのは過去のロマン。
真田井戸は敵に包囲されても城外と出入りできたそうです。
歴史的な場面を思い浮かべながらその場に立つと感慨深い。
深そうな井戸。
厳重に入り口が固められているので、間違っても中に落ちるということはなさそう。
名前 |
真田井戸 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
覗いて見たが、深くて見えませんでした。