こういった昭和の構造物も立派な歴史だと思います。
首都高の地下化を聞いて、朝方の人がいない時間帯に見てきました。
日本橋を強調されますが、この江戸橋も立派ですね。
いつになるかわかりませんが、首都高が無くなった時の様子が楽しみです。
日本橋の隣に江戸橋があって、こちらには観光客はいない面白いですね。
2021年5月10日 江戸橋IC廃止…記念にパチリ!
都道316号(昭和通り)の橋。
ここにあった首都高速都心環状線の江戸橋出口は2021年5月10日に廃止、約58年の歴史に幕を下ろしました。
〔江戸橋/Edo-hashi Bridge〕江戸時代、このあたりは 町人文化の中心として賑わっていました。
そのために江戸橋と名付けられたようです。
《東京の中心》1630年頃、最初の橋が架けられました。
それ以来、数回の架け替えがありましたが、常に江戸・東京の中心を支える橋として機能してきました。
《交通の要衝》現在の橋は昭和通りにかかっていますが、その上を首都高のジャンクションがあり、首都東京の交通の要衝となっています。
ここら辺り、川幅が広く、長い橋が架かっています。
〔アクセス〕都営浅草線 江戸橋駅 徒歩3分地下鉄 日本橋駅 徒歩8分。
日本橋から隅田川に向かって直ぐそこにある橋です。
2021年5月10日(月)0時00分 首都高速の料金所が廃止されます。
苦肉の策だよなぁ、料金所の下くぐるか郵便局前の歩道橋渡るか。
景観をどう捉えるかは人それぞれと思うけど・・・。
ここの川幅は広い。
単なる運河にしては。
日本橋川の大半の流路は人工だと思うが、ここは無駄に広いように見える。
物流の大動脈だった時代(江戸後半?)にはこれくらいの広さが必要だったのか?
日本橋の上をまたぐ首都高が撤去される予定と報道されたが、ここ江戸橋の上にも同じく首都高が走っていることはあまり語られない(-.-#)『道』の中心(起点)は日本橋とのことだが『江戸』の中心は江戸橋ではなかろうか(-_- )それにしても神田川から枝分かれするこの川に架かる橋は、どれも重厚感のある素敵な佇まいである。
(T^T)👍
普段の生活では、ただ通過するだけでしたが常々気になっていた橋です。
今夜は仕事帰りにゆっくりと橋の周辺を散策してみました。
橋の上では夏の暑さから開放してくれる涼風でまったりとしながら歴史を感じさせてくれる欄干をしみじみと眺めゆっくりさせて頂きました。
この立派な橋を美しく維持管理に努めてくださる皆様方に感謝致します。
どうもありがとうございました。
日本橋郵便局のすぐ側にあります。
東京は、歴史的に都であったことから、粋だなと思います。
正直、これで川も綺麗であれば言うことないのですが・・・。
日本橋ぶらぶら、日本橋川に架かる橋。
日本橋の一つ東側にある橋。
上には首都高の橋桁が伸びている。
日本橋の様にこれといったモニュメントなどはないです。
伝統ある印象で日本橋と並んで好きな橋です。
早くて高速道路が潜って空が拝めればもっといいですね。
五街道の起点の日本橋の隣にあり、江戸という名を付けられながらも、これといった特徴がない。
ガーゴイルのようなオブジェもない。
しかも、首都高の下にあって薄暗い。
橋を渡るとデカイ郵便局がある位。
まあ、大昔多くの思い込めた郵便がこの橋とおりゃんせと全国へ配達されたと思われる。
手紙にとっては、ここが五街道の起点かも。
日本橋川に架かる橋で、日本橋の1つ下流側になる。
江戸時代はもう少し下流側に架けられていた。
江戸橋ジャンクションの手前辺り。
2径間鋼製アーチ橋。
橋西側の南北に首都高速の入口出口があり、橋東側の南には歴史ある日本橋ダイヤビルと、郵便発祥の地である日本橋郵便局がある。
日本橋と違ってこちらは観光客が殆どいない。
初めて橋が架けられたのは諸説あるが、17世紀であることは間違いない。
歌川広重の名所江戸百景にも登場する。
17世紀に大船町(後に本船町)と本材木町の間の日本橋川に架けられていたみたいです。
当初の位置は現在より下流にあって、すぐ東脇を楓川が縦貫していました。
1632年(寛永9年)成立の『武州豊嶋郡江戸庄図』では写本によって江戸橋が描かれているものといないものがあり、創架年代を1631年(寛永8年)頃とする説と、次に登場する『正保年間江戸大絵図』までの間とする説があるようです。
名前の由来は、隣の日本橋との連想から命名されたとする説と都市化以前の江戸中心部がこの周辺だったのではないかと推測する説がありますが、定かではないです。
橋の下は漁船や乗合の舟が集まり、南側には船宿があったほかに、隅田川の舟遊びのための屋形船なども停泊していました。
南西側は木更津河岸と呼ばれていて、江戸と上総国木更津を行き来する木更津船が発着していました。
南詰には明暦の大火後防火のため江戸橋広小路が設けられ賑わっていたようです。
1875年5月に石橋に、1901年には鉄橋に、架替えられています。
1927年(昭和2年)昭和通り開通に伴い現在の場所に架け直されました。
『えどはし』と発音するのですね。
橋のフリガナ標記にて知りました。
昭和通り日本橋川に架かり、石造り、市松の地面模様、川沿いに建つ日本橋ダイヤビルのレトロな雰囲気も相まって、日本橋にも似た昭和レトロの変わらぬ雰囲気です。
江戸橋ジャンクションも近く、首都高高架に圧迫感をおぼえつつ陰鬱な空気感も昭和の時代から変わらない…
首都高速道路の所に、江戸橋の銘板がない(北側)のが、なんとも悲しいところです。
北側の東方から、橋を渡った対角側(西方)に行こうとすると、橋を渡ってからだと歩道橋を行くことになります。
先に横断歩道を渡ってから、橋を渡ると、首都高速道路の出口があり、その下をくぐる、つまり1階くらい降りて上りになります。
すんなり行けない、難所です。
名前 |
江戸橋 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.8 |
近い将来江戸橋の上にも空が戻ってきますが、こういった昭和の構造物も立派な歴史だと思います。