宝麿六年(一七五六)大宰府より御神体を勧請して社殿...
学問の神様として親しまれています。
夕日が沈む頃、御参拝するととても素敵な瀬戸内海の夕焼けが楽しめます。
階段はかなり急なので足腰に自信のない方には厳しいです。
景色は最高です。
瀬戸内海がまぶしい天神様。
お天気に感謝。
境内向って左の小道を行けば、港牛窓天神ロード、瀬戸内海に向う本蓮寺の伽藍を望みながら、しおまち唐琴通りに戻れますので、こちらもどうぞ。
牛窓のしおまち唐琴通りから山を登った先にある神社です。
牛窓新八景の一つに選ばれる景勝地ですが、その分だけ石段もしっかり上がらないといけないので足が悪い方は要注意です。
余り訪れる方がいないのかクモの巣だらけで大変でした。
虫が多い季節に行く場合は、棒状の物を持参しておいた方が無難でしょう。
ただしいったん上がってしまえば、景色はそれらの苦労を補って余りあるほど最高です。
素晴らしい景観です。
関町の丘に祀られた天神社は、宝麿六年(一七五六)大宰府より御神体を勧請して社殿を整えたものといわれる。
この丘は天神城という砦があり豪族石原氏の拠ったところであった。
おそらくその山は、古くは天神信仰の場であったものと思われる。
石原氏は室町期に、この山つづきの丘に木蓮寺を再建するが、そのとき木蓮寺の境内の両に天神様を祀ったようである。
その後、木蓮寺が拠点となっていた天神信仰は、江戸時代の中期に、大宰府より御神体を迎えることにより、再び旧地に移り新たな形を整えていった。
天神社境内にある最も古い奉納物は、文政七年(1824)の狛犬で、大坂長堀熊野屋三郎兵衛が奉納したものである。
大阪の長堀は立売掘とともに木材の集散地となったところで、当時は牛窓の材木商などが、すでに大阪と関わりをもち活躍をみせていたことを暗示する奉納物である。
120段の石段を登ると、犬島まで眺めることが出来ます。
お正月はみかんを振る舞っています。
眺めもとてもよい。
2017年8月12日のラントレで訪れました。
案内板には、菅原道真公が九州太宰府へ流形の際にこの地を訪れ、この場所で腰をかけ、景色を眺め今生の別れを涙されて、後に天満宮として祀られたそうです。
神社は、民家の間を縫って小高い丘の上にあり、下町から上に広がる瀬戸内海の眺めは最高です。
建物も立派な作りですが、手水舎が昔のままで、少し利用しづらいです。
名前 |
牛窓天神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0869-34-5197 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-okayama2/jsearch3okayama.php?jinjya=6584 |
評価 |
4.2 |
日本の夕陽百選!是非再訪し見てみたいです!