忍岡高校の一角にあります。
江戸時代、肥前国平戸藩主松浦氏の屋敷があった。
別邸を造園し庭園を築いた。
その庭園がのちに蓬莱園と呼ばれる。
現在は東京都立忍岡高校 柳北小学校になり、ただ石碑が残るのみだが、そこに嘗て何があったか知らせてくれるのは有難い。
説明板があり、下のように書かれてました。
現在、都立忍岡高等学校・柳北公園・柳北小学校のある一帯に、江戸時代、肥前国(現、佐賀県、長崎県の一部)平戸藩主松浦氏の屋敷があった。
寛永9年(1632)、松浦氏は、幕府からこの地を与えられ、別邸を造営し、庭園を築造した。
庭園はのち蓬莱園と命名された。
明治40年(1907)刊行の『東京案内』には「文化文政の頃の築造に係り、東都名園中現存するものの一也」と記されている。
園内の模様は大正3年(1914)刊行の『浅草区誌』に詳しい。
同書によると、大池を中心に、岡を築き、樹木を植え、東屋を建て、13基余の燈籠を配し、園内各所に雅趣ある名称を付した。
面積は約2千6百坪に及び、池水は鳥越川から取り入れていた。
この名園も、関東大震災のため荒廃し、消滅した。
現在は忍岡高等学校グラウンド東北隅に、池の一部と、都天然記念物指定の大イチョウを残すだけである。
名前 |
蓬莱園跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
銀杏の木だけが残ってるみたいだよね❗