以心崇伝和尚が江戸城北の丸内に創建されたと伝わりま...
東京都港区芝公園にある臨済宗南禅寺派、金地院の直書き御朱印を頂きに参拝。
1619年(元和2年)に開山。
以心崇伝は南禅寺の僧侶で徳川家康の政治顧問を務めていた。
そのため、江戸における拠点として与えられたのが金地院の由来。
以心崇伝は京都では南禅寺塔頭の金地院を居所としており、江戸での居所も「金地院」と称した。
そのため、以心崇伝は別名「金地院崇伝」ともいう。
そして上記の由来から江戸時代までは独立性が強く、宗派に属さぬ単立系寺院であったが、明治に入り、以心崇伝が南禅寺派であったことなど、関係の深かった南禅寺派に加わり現在に至る。
江戸三十三観音、東京三十三観音霊場の札所で、お参りの場合はまず本堂向かって右手の寺務所の呼び鈴を押し、御朱印授与と参拝の旨を伝え、帳面を預けてから靴を脱いで玄関を上がり、そこから本堂内に入り参拝。
そして玄関に戻って帳面を受け取り、納経代をお納めして出る形になります。
目の前が東京タワーなので、その聳える様をまざまざ見られる、なかなか面白い所にお寺はあります。
最寄りは赤羽橋駅か芝公園駅…だと思います。
德川家康公を開基とし、元和5年(1619)に、以心崇伝和尚が江戸城北の丸内に創建されたと伝わります。
寛永16年(1639)に現在地に移転しました。
有り難く、江戸三十三観音霊場第28番札所の御朱印 ”霊感殿”と、金地院閻魔堂の”えんま大王”の御朱印を頂きました。
江戸33観音巡礼の28番札所です。
京都の南禅寺東京出張所がある、臨済宗南禅寺派のお寺。
東京タワーの目の前にあるけど、こじんまりとした静寂な寺院です。
尼さんが親切で、ご本堂に上がらせていただき、お参りをしてきましました。
法要準備中にも関わらず御朱印をお願いし本堂にもあげていただきました。
よい参拝が出来ました。
Fascinating experience, going through this temple and it's side walks. There is a display along the outside in honor of unborn children lost to miscarriages and illness which I found humbling to see.The first photo is dark as I used an app to take it instead of my regular camera, but you're able to see Tokyo Tower which is very close by and intact has a short path leading up to the parking lot beyond the road.The second photo is one of the many statues which line the siding of the outer walkway but face the temple. The red hats that are on each of the statues are placed there to keep each child warm during the winter months and rain.
臨済宗のお寺さんです。
御朱印お願いすると本堂へお参りできます。
☆江戸33観音札所、第28番。
東京タワー🗼の真向かい。
2016/7/18拝受 江戸三十三観音巡礼第28番札所。
東京タワーの真下にあるような感じの寺院でした。
展望台から見下ろされているような。
墓所に通じる道に綺麗な花がたくさんあり檀家のかたを迎え入れてくれるのだと思います。
庫裏のインターホンを押し観音巡礼の旨を告げると本堂の中に案内して頂き観音様と対面させて頂きました。
有り難く御朱印を頂きました!
徳川家康の側近で、武家諸法度や禁中並公家諸法度、禁教令、寺院諸法度などを起草した金地院崇伝(以心崇伝)が、京都南禅寺から移転しました。
名前 |
金地院 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3431-1026 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
江戸三十三観音霊場の参拝でお伺いしました。
臨済宗南禅寺派のお寺で勝林山金地院といい観音霊場第二十八番札所になります、江戸三十三観音霊場のお寺の中で唯一の臨済宗のお寺です。
東京タワーの麓にあるお寺で、昔の敷地面積は一万二千余坪にも及び東京タワーが建てられた場所も金地院の敷地であったそうです。
江戸時代の金地院は独立性が高いお寺で、現在でいうところの「臨済宗系単立寺院」でしたが明治時代なり関係の深かった京都南禅寺に属することになったといわれます。
江戸時代の伽藍と御本尊の如意輪観世音菩薩坐像は、太平洋戦争における東京大空襲で全て焼失してしまいました。
現在の八角形の本堂は昭和三十一年に再建され、御本尊も白檀一木造の聖観世音菩薩立像が新刻されました。
お寺の寺務所には「南禅寺東京出張所」の表札が掲げられています。
金地院の開山は京都南禅寺中興開山の特賜圓照本光国師以心崇伝和尚で、南禅寺山内の金地院(塔頭)の住職でもあり京都と江戸の二つの金地院を行き来しながら執務をしていたと伝わります、そのために金地院崇伝和尚と呼ばれていて、墨染めの僧衣をまとい徳川幕府の幕政に深く関与していたそうです。
令和四年十一月に、御府内四十四カ所の閻魔様(お江戸の閻魔大王)の参拝で再訪しました。
境内の墓地(盛岡南部家・八戸南部家・七戸南部家等の菩提寺で大規模な墓所が残っています)の手前に小さな閻魔堂があり、石像の閻魔大王(像高約50cm)が祀られていてガラス越しに見る事ができます。