三重塔の裏手に苔むしたお墓があります。
早太郎の話は日本昔話等でも見られたが、非常に有名である。
キャンプ漫画(ドラマ)で知って、来てみました。
ゆるい気持ちで来てみましたが、凄く良かったです。
ゆ◯キャン△の聖地巡りツーリングで。
今回の聖地巡りツーリングの最初の訪問地。
しっかりとご挨拶できて良かった。
今より700年程も昔、光前寺に早太郎というたいへん強くて勇敢な山犬が飼われておったんじゃ…わんわんわんっ!その頃、遠州見付村で大きな怪物が現れ村人達は困り果てていた…旅の僧侶・弁存はすぐさま信州へ向かい、早太郎をかり受けると急ぎ遠州へと帰ったんじゃ…次の祭りの日には早太郎が娘の代わりとなって怪物と戦う事に…わんっ!わんわん!わんわんわんっ!!それまで村人を苦しめていた怪物(老ヒヒ)を見事に退治したんじゃ…早太郎は化け物との戦いで傷を負ったんじゃが、光前寺までなんとか帰り着くと和尚さんに怪物退治を知らせるかのように一声高く吠えて息をひきとってしまいました…時は流れ令和弍年…霊犬早太郎をオマージュした『霊犬戦士ハヤタロー伊那谷幽玄の戦い』が長野県伊那市や岡谷市で上映されたんじゃ…早太郎も草葉の陰で喜んでるのかな!?
かわいい形のお墓ですが、これがあの霊犬早太郎の墓だと思うと感動します。
ただの昔話かと思っていたのですが、ここには、それが真実だと思わせる多くの物が残っています。
平安時代後期「天永」から「保安」年間(1110~1124年)に成立した「今昔物語集」の巻26「美作國神依猟師謀止生贄語」をはじめ、各地で語り継がれる「猿神退治伝説」の内容は類型的だが、当地でも「早太郎(はやたろう)伝説」として伝えられている。
その梗概は、「およそ700年前、遠江国見附村(現在の静岡県磐田市)の矢奈比賣神社(見付神社)では、毎年の祭りに白羽の矢が立った村の娘を、人身御供として神に捧げていた。
神が人身御供を要求することを訝った旅僧『一実坊弁存(いちじつぼうべんぞん)』は、その正体が信濃国『早太郎』を忌避する妖怪であることを突き止めると、村人を救うため信濃国へ向い『早太郎』を探し求めた。
ようやく、光前寺で飼われる山犬が『早太郎』であることを探しあてると、さっそく借り受けて、ともに見附村へと急いだ。
再びやって来た祭りの夜、村の娘の身代わりに長持ちに入って妖怪に捧げられた『早太郎』は、激しい戦いの末に妖怪の老狒々を退治するが、戦いで深手を負って絶え絶えとなり、光前寺へ帰り着くと、和上に一声吠えて息絶えてしまった。
」という。
供養のために「一実坊弁存」が奉納した「大般若心経」が、寺宝として現在に伝わるといい、本堂横には墓として「早太郎」が祀られている。
なお「早太郎」を、駒ヶ根では「疾風太郎/しっぷうたろう」、磐田では「悉平太郎/しっぺいたろう」とも呼んでいる。
うちのわんちゃんが長生きして欲しくて水を汲んで帰った思い出の場所。
仕事のついでに御朱印をもらいに来た。
おみくじの元になった早太郎のお墓。
遠州見付天神のヒヒを退治した伝説で有名な、早太郎の墓です、早太郎関係の場所の一つで、早太郎の話を一言で説明すると、「毎年生贄を要求して人々を困らせていたヒヒを退治した犬」です。
もう少し詳しく説明すると。
室町時代、光前寺に一匹の山犬が住みついた、お寺の人は犬を気遣い栄養のつく物など与えていた、その山犬は五匹の子犬を産み、一匹をお寺に残し山に帰っていった、寺の人はこの犬に早太郎と名づけました、また、動作が機敏なこと、精悍な顔つきから疾風太郎(しっぺいたろう)とも呼ばれていました。
このお寺から天竜川の下流、遠江国府中の天神社に生贄を要求する神が居た、年に一度若い娘を祭りの際に差し出さないと、大雨を降らしたり、農作物を荒らしたりと災害を起こすので、この生贄を止めることが出来なかった、ある祭りの際、たまたまここを通りがかっ山伏一実坊弁存は、「人を苦しめる神が神であるものか」と、その神の正体を暴こうと、深夜神社に隠れていた、そうすると夜中に何処ともなく奇妙な声誰もない神社に響いた「信州のしっぺい太郎はおるまいな、しっぺい太郎には知られるな」、暗闇でその声の主は解らなかったが、生贄の若い娘が入っている長櫃壊し娘をさらって消えてしまった、「どうやら、しっぺい太郎という者を恐れているようだ、しっぺい太郎と言う人を見つけて退治してもらおう」、そうして探し当てたのが光前寺にいたしっぺい太郎だった、一実坊弁存は寺の人にこの話しを、早太郎にもこの話しを聞かせた所、尻尾を振って応じる様子を見せた。
次の祭りの際、一実坊弁存は村の人たちを説き伏せて、早太郎を長櫃の中にいれ、祭壇の前に置き、村人や弁在はその場を離れた、次の日に来て見ると、そこには血だらけになって死んでいる年老いた狒々の姿があったが、早太郎の姿は消えていた、数日後、光前寺に血だらけの早太郎が現れて、寺の者に一鳴するとそのままを息絶えた。
寺は人々の難儀を救った霊犬として墓を作り、以降、早太郎は厄除けの霊犬として広く信仰を集める事になった。
遠州見付天神のヒヒを退治した伝説で有名な、早太郎の墓です、早太郎関係の場所の一つで、早太郎の話を一言で説明すると、「毎年生贄を要求して人々を困らせていたヒヒを退治した犬」です。
もう少し詳しく説明すると。
室町時代、光前寺に一匹の山犬が住みついた、お寺の人は犬を気遣い栄養のつく物など与えていた、その山犬は五匹の子犬を産み、一匹をお寺に残し山に帰っていった、寺の人はこの犬に早太郎と名づけました、また、動作が機敏なこと、精悍な顔つきから疾風太郎(しっぺいたろう)とも呼ばれていました。
このお寺から天竜川の下流、遠江国府中の天神社に生贄を要求する神が居た、年に一度若い娘を祭りの際に差し出さないと、大雨を降らしたり、農作物を荒らしたりと災害を起こすので、この生贄を止めることが出来なかった、ある祭りの際、たまたまここを通りがかっ山伏一実坊弁存は、「人を苦しめる神が神であるものか」と、その神の正体を暴こうと、深夜神社に隠れていた、そうすると夜中に何処ともなく奇妙な声誰もない神社に響いた「信州のしっぺい太郎はおるまいな、しっぺい太郎には知られるな」、暗闇でその声の主は解らなかったが、生贄の若い娘が入っている長櫃壊し娘をさらって消えてしまった、「どうやら、しっぺい太郎という者を恐れているようだ、しっぺい太郎と言う人を見つけて退治してもらおう」、そうして探し当てたのが光前寺にいたしっぺい太郎だった、一実坊弁存は寺の人にこの話しを、早太郎にもこの話しを聞かせた所、尻尾を振って応じる様子を見せた。
次の祭りの際、一実坊弁存は村の人たちを説き伏せて、早太郎を長櫃の中にいれ、祭壇の前に置き、村人や弁在はその場を離れた、次の日に来て見ると、そこには血だらけになって死んでいる年老いた狒々の姿があったが、早太郎の姿は消えていた、数日後、光前寺に血だらけの早太郎が現れて、寺の者に一鳴するとそのままを息絶えた。
寺は人々の難儀を救った霊犬として墓を作り、以降、早太郎は厄除けの霊犬として広く信仰を集める事になった。
名前 |
霊犬早太郎の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
三重塔の裏手に苔むしたお墓があります。